本書はさまざまな知見を与えてくれるが、私にとって興味深かったのは最後のラスキンとヴィオレ=ル=デュクを比較して論じたくだりである。●これはニコラウス・ペヴスナー著『ラスキンとヴィオレ=ル=デュク』(1969)を意識して書かれていると思われる。ペヴスナーは、ふたりのゴシック主義者を論じるために、まずアルプスという共通の関心からはじめ、最後は合理主義とエモーショナル志向との対比、フランス的と英国的との対比という結論にいたる。まず人間性を論じ、最後は建築観を述べる。建築家を論じながら、個人を超越した思想や時代精神を解明しようとしたのであった。●しかし本書では逆に、先学ペヴスナーへの対抗意識からまったく異なる叙述が試みられている。合理主義思想、修復、作品が論じられたのちにアルプスに触れられている。合理主義のなんたるかは既知のものであり、議論の出発点である。鉄の使用、建築家としての造形力の不足、信じた合理主義への偏見、アカデミー教育での挫折ののちに、癒しの場所としてアルプスを発見したが、そこにこそヴィオレ=ル=デュクの特性がみられる。ワトキンは、高尚な理論や、たぐい希なる傑作も、すべて生身の個人に限界づけられていると考えているようだ。あるいは同時代の制度や、学問の水準や、技術的な限界などからなる網の目のなかの一項目としての制約がある。かならずしも時代を超えたものとは扱われてはいない。