カテゴリー「Paris」の36件の記事

2010.06.08

「グラン・パリ」法が公布された

例によってWEB版ル・モニトゥール誌からである。現地時間で2010年6月7日17時18分発表。

この法律はとりわけ首都をループ状にとりまく130kmにおよぶ自動運転のメトロを計画したもの。6月5日付の官報において講評された。

5月27日に上院・下院で最終的に採択され、6月3日に大統領により公布された。

法律の目的は、旅客のための公共交通網を建設することで、パリとイル=ド=フランス地域圏の求心力のある地域をむすび、国と自治体が共同で策定し定義し実現するストラテジックな地域と計画によって経済的都市的な発展に骨格を与えるのである(同法第三条)。なのでループ状メトロ網は、9カ所の「プロジェクト領域(teritoire de projetをこう訳してみた)」すなわちプレーヌ=コミューン、ロワシ、オルリ、サクレ、デファンス、シャン=シュール=マルヌ、エブリ、セーヌ=オワーズ、モンフェルメイユ=クリシ=ス=ボワ、を連絡する。

この輸送網は、「領域開発契約」(contrats de développement territorialをこう訳したがもちろん専門家は違う訳語をあてるであろう)ごとになされる。これらの契約は毎年7万戸の住居を建設するという目標を達成する一助となる。これら住居は人口的にも社会的にもイル=ド=フランスに適合したものであり、都市の拡張を制御することに貢献するものである(同法4条と5条)。政府によれば、それを創造することで、「15年で100万の雇用を」創出することができる。

「グラン・パリ公社 Société du Grand Paris」

グラン・パリの新しい交通網は、イル=ド=フランスにすでにある交通網としっかり連絡している。鉄道、河川、国道かならるネットワークのなかに溶け込み、領土における不均衡を抑制する。大陸上にあるフランスの地域圏相互の連絡をより迅速にそして容易にし、イル=ド=フランス地域圏での乗り換えによる混乱を回避することに貢献する。

このため法文では「グラン・パリ公社」という公共機関を創設する(2条)。その任務は、グラン・パリ交通網に関連した整備・建設事業を実現することである。また同時に、競争力拠点とサクレ平原科学テクノロジー拠点によって研究、イノヴェーション、産業再活用などを促進するであろう(6条)

・・・・といったことのようである。基本的には、あまりに強固であった放射状構造・中心/周辺図式を緩和して、ネットワーク型にしようというものである。パリは、基本的には19世紀の古きよきパリの(そのままではないにしても)継承であり、21世紀のパリ首都圏は自律的部分からなるゆるやかなネットワークということか。とはいえ1919年発足のパリ拡大委員会や、アンリ・プロストの大都市圏構想との連続性・発展性において語られるものでもあろう。「都市計画」という学問そのものが20世紀初頭の人工的構築物なのだが、現実と学問が平行して競争し合った、1世紀にわたる併走関係のひとつの結論のようなものであろう。もちろん変化し続けるなかでの暫定的なものではあるのであろうが。

法律そのものもダウンロードできる。

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2010.04.29

フランス上院もグラン・パリ法案を可決

2010年4月27日付けのWEB版ル・モニトゥール誌の記事である。抄訳してみよう。
http://www.lemoniteur.fr/131-etat-et-collectivites/article-dossier-actualites/702119-le-senat-adopte-le-projet-de-loi-sur-le-grand-paris

下院ではすでに可決されている。この計画の目玉は首都を一周する環状メトロである。5月20日に上下院で統一した文書とするため、委員会が開催される。

この新しい環状メトロは郊外の経済拠点 (Saclay, La Défense, Plaine-Commune, Roissy, Orly...) を結ぶもので複線である。駅周辺の地区の再開発をうながし、郊外と郊外の連絡を促進する。

214億ユーロの投資をうけてこのメトロはイル=ド=フランス地域圏の発展に貢献するであろう。特任大臣クリスティアン・ブランによれば、これによって「NY,ロンドン、東京と並ぶ世界4大都市の地位」を保つことができる。(まだ東京は偉かったんだ)

法案を可決した多数派は、対抗案を葬り去った。イル=ド=フランス地域圏が提唱していた「Arc Express」というもので、パリ近郊の環状鉄道網である。この地域圏の圏長である社会党のジャン=ポール・ユションへの宣戦布告となった。

新しいメトロの財政のための新税も可決された。新メトロがこたらす不動産の付加的価値について、RATP(パリ交通局)の資産はStif(Syndicat des transports d'Ile-de-France présidé par M. Huchon, ndlr)が所有すること。40万ユーロの資金は、国が自動車会社に融資したものが2014年にもどってくるので、それで補填。のこりは借入である。

ハウジングも初心にもどって、国が県を経由して振興する。毎年7万戸をイル=ド=フランスに供給。グラン・パリ公社(SGP)の総裁の定年は、下院ではなしとされたが、上院は65歳とさだめなおした。

5月20日に上下院からそれぞれ7名ずつの代表があつまった委員会で法案の調整と統一化される。一方、左派は憲法院に訴えるなど抵抗の構え。云々。

・・・100年とちょっと前に現在のメトロが整備されたとき、それはパリ市域内に限定された。1902年までは入市税(市内にはいってくる商品に税金がかかった)があったことや、やはりパリと周辺市町村間のあつれきがあった。今回も国/地域圏/パリ市では一枚岩でないことが鮮明である。フランスの地政学はほとんど変わっていないようでもある。

パリ外周の環状線については、計画は19世紀末にもあったようだし、アンリ・プロストは高速道路による環状線を考えた。またミテラン時代のグラン・パリ89でも環状線は考えられた。社会党の大統領の場合は、パリ周囲の左派自治体の連携をかんがえた環状線であった。今回はどうか?どことどこを結ぶか、そこに注目すれば、可決案と否決案でそれぞれどのような政党的バイアスがかかっているか、違いがわかるであろう。

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2010.04.08

「グラン・パリ」へ建築家側からの批判

WEB版ル・モニトゥール誌の4月1日付記事である。「反対」以外にとくに意思表示はない。ただ首都と海との連絡をダメだとするのはグランバック案への批判であろうし、屋上緑化はダメというのはジャン・ヌーヴェルへの批判である。スター的建築家たちがグラン・パリ計画に協力的であるのにたいし、建築家協会側は批判的という構図である。

http://www.lemoniteur.fr/155-projets/article/point-de-vue/700400-le-grand-paris-comme-un-nouveau-new-york

記事によれば・・・・・

グラン・パリを批判するのは、ドニ・デシュ(Denis Dessus;建築家協会の全国評議会副議長)、イザベル・コスト氏、ダヴィド・オルバック氏。グラン・パリ計画は首都の歴史を忘却し、グローバル化の波に屈服しようというもの。

まず公共交通網整備は、金がかかりすぎる。予算がそれだけできえてしまう。さらにもともと設備省が計画していたもので、グラン・パリとは無縁のもの。インフラ整備は大切としてもそれがグラン・パリの現実に対応しているとは考えられない。

グラン・パリ建設は、建築プロジェをふやし、それにかかわる建築家の存在を知らしめるので、建築家たちにとっては多少のメリットはあるであろう。しかし建築家のプロジェクトは、あまり費用のかからない広告費のようなもので、少額で隙間を埋めてゆくようなものにしぎない。地方分権化は結構だが、それによって全体的な視野が失われた。フランスはインフラ網を建設することはできず、運河によってセーヌ川ち北ヨーロッパを結ぶこともできない。TGVは既存の鉄道網を破壊しているだけ。

フランスは、毎年1県分が「都市化」しているいっぽうで、ますます過疎化いている。経済、環境、社会には重い帰結がまっているであろう。サルコジは、建築は文明の象徴としているが、そこには文化も考察も意義もない。1977年と1985年の建築法はもはや空文であり、創造的な建築家の地位はひくくおとしめられている。建築生活文化省のようなものはいつできるのであろうか。

グラン・パリ都市計画における諸施設は、まさにアメリカ化願望である。

大統領の願望は、パリをニューヨークに、ロンドンにすることである。セントラル・パークと超高層。アングロサクソンを見習って遮蔽壁をすべて撤去。ロンドン、ニューヨークをみならって、首都と海をつなぐ。すべてをノマド化する。フランスはもはや「ガロ=ロマン」ではなく「ガロ=アメリカン」である。

インターナショナルというだまし絵に譲歩してはいけない。屋上緑化などはその好例。

パリの独自性、歴史性をふまえることが、その未来を語ることにつながる。パリは、ニューヨークでも、上海でも、ドバイでもない。屋上緑化はメディア上のイメージであって、それに譲歩してはならない。

国土的スケールの都市政策が望まれている。歴史と人間をしっかりふまえた刷新をしなければならない。都市は、それを生み出した社会を考察することで、はじめてなされる。文化、意志を共有し、社会を長期的視野で考えることで、フランスならではのスタイルを確立しなければならない。

・・・などなど。

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2010.04.07

グラン・パリは2012年起工?

WEB版ル・モニトゥール誌(3月31日付)によると、グラン・パリ法プロジェクト担当の上院特別委員会の広報ジャン=ピエール・フルカード氏によれば、パリ外周を走る新交通システムは2012年初頭に着工される。

この法案は2010年夏に投票される。可決されれrば、同年9月か10月に全体計画が公示され、着工は2012年であろう。可決されれば「グラン・パリ公社Société du Grand Paris (SGP)」なるものが設立される。公社はプロジェクトを作成し、プロジェクトは、地域圏、イル=ド=フランス交通組合、パリ・メトロポリス、国際建築アトリエ、に示され、4ヶ月間検討される。

それから「公開討論があり、数ヶ月かけて最終プロジェクトにいたる」とフルカード氏。彼に依れば当面、予算措置は必要ない。借入は2013年からで、40億ユーロの資本提供からはじまる。彼は公開討論国民委員会の主要メンバーともあっており、委員会は環状線全体を検討し、郊外の Arc Express線プロジェクトをも検討するであろう。

首都圏開発担当の閣外大臣クリスチャン・ブランによれば、着工は上記とは違って2013年12月である。

特別委員会は、国民議会が可決した法案に97カ所の訂正を加えた。法案は、上院議員によれば、野心的な「グランパリ」の「第一幕」にすぎないという。新しい交通網と、ほかのネットワークとの関連もなされるであろう。「グラン・パリ公社Société du Grand Paris (SGP)」の設立も認められるであろう。それにより新交通システムが既存のバスシステムなどと一体化し、地域圏の発展が見込まれる。

社会党はどう反応したか?イル=ド=フランス地域圏議会の議長であるジャン=ポール・ユション氏は、新しいプロジェクトは既存の都市・地域圏交通システムと競合する。とくに地域圏が主宰するイル=ド=フランス交通組合(Syndicat des transports d'IdF)は、将来のSGFと協力しなければならなくなる。新法案が公布されると、プロジェクトは停止するであろう。たとえば地域圏が提案している、パリを環状にとりかこんで走る Arc Express などは。

さらにユション氏は不満を述べる。公開討論はなされないであろう。地域圏が策定している指導シェマ(SDRIF:マスタープランのようなもの)は疎外されるであろう。なぜならイル=ド=フランス地域圏とはまったく協調しない整備がなされるからである。さらにグランパリ代表のジャン=リュク・ロラン氏は、閣外大臣ブランが提案しているパリ外周メトロの駅が、まったく一貫性がない、としている。

・・・要するに国家主導のグランパリ計画は、イル=ド=フランス地域圏からはまったく不評である。これはフランスには伝統的な、中央/地域のあらそいで、それが可視化したというようなことであろう。首都圏ではとくにそうで、19世紀と20世紀、パリは首都であることの重要性に鑑みて、市長がいなかった。グラン・パリもその重要性に鑑みて、地域圏の役割は小さくされている。むしろ地域圏独自にはやらせないための枠組みが「グラン・パリ」の本来の目的であるようにさえ思える。

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2010.04.06

SANAAがラ・サマリテーヌ改修をてがけるという

プリツカー賞を受賞した妹島さんと西沢さんは、パリの百貨店ラ・サマリテーヌの改修もするらしい。

http://www.lemoniteur.fr/153-profession/article/actualite/700414-les-nouveaux-pritzker-vont-transformer-la-samaritaine

これはパリ市が2009年7月に改訂して発表したPLU(地域都市プラン)の枠組みのなかでなされるものである。商業施設の改装ではなく、都市計画のなかに位置づけられたパブリックなプロジェクトなのである。

さて百貨店の名「ラ・サマリテーヌ」の由来はなにか。イエス・キリストに水を与えたサマリア女のことである。ではなぜ水か。百貨店が建設されるより昔、17世紀より、そこにポン=ヌフ橋がある。この橋に付属して、水を吸い上げるポンプ施設があっった。ポンプはセーヌ川の水をすいあげ、パリ市民に飲み水など生活用水を提供していた。この揚水施設が、そのサマリア女にちなんでラ・サマリテーヌと呼ばれていたのであった。だからといってパリ市民はキリスト様なのか、などと野暮なことはきかない。そしてこの百貨店は、そのポンプの名を譲り受けたのであった。だから「サマリア女」→「ポンプ」→「百貨店」、なのである。ああややこしい。

この百貨店は、1990年代のパサージュ、百貨店ブームのなかで内装を建設当初のものにもどしていたが、それからグローバル化のなかで営業が悪化し、閉店を余儀なくされた。閉店するときは従業員たちが抗議の集会を開いたが、無駄であった。結局2005年、最終的に閉鎖された。

報道によると、パリ市は「社会的ならびにきわめて社会的な住居logements sociaux et très sociaux」(ということは低廉そしてとても低廉な住居)に7000㎡、保育園(60人収容)を予定している。さらに2200人の雇用、725人の俸給受給者、という。店舗やオフィスなどもあるのであろう。

SANAAはランス市のルーブル博物館もやっている。さらにパリ16区avenue du Maréchal Fayolleでは140戸の社会的住宅のプロジェクトも2007年からやっているという。

それはそうとして、この百貨店の地下はかつてホームセンターのような店舗であった。留学していたころ、メラミン合板を裁断してもらって、下宿に本棚をつくったなあ。10年ほどまえも、自宅の浴室の壁タイルをやりかえようとおもって、出張ついでに、タイルのサンプルを買ったなあ。そこで一式買い付けようかとも思ったが、そこまではいかなかった。日本の日常世界は極端に工業化されていて、フランスはよっぽど手のぬくもりが残されていると思ったものであった。

セーヌ川を見下ろすところに社会的住宅か。つまりパリ市が財政補助をして収入の少ない人びとを一等地に住まわせるということである。勝ち組だけが、商業とオフィスだけが、都心に居残るのではないということである。都市計画としてはじつは古典的なのであるが、今日の状況下では、さわやかにも感じられる。

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2009.09.14

アスピリンと「ル・グラン・パリ」

パリに着いて、まず医者にあった。

・・・・お歳は?どこにお住まい?観光客ですか。フランス語完璧ですね。熱がでてから10日ですね。最初のお医者さんの診断のとおりだと思いますが。べつに新型インフルでもないし。薬を処方してもらってまだ4日目?もうすこし様子をみなきゃあね。こちらにきて。息吸って、はいて。咳してみて。「あー」っていってみて。耳がいたい?覗いてみましょうか。はいよろしい。まあなんらかのウイルスにやられたのは確かですね。でもウイルスといたってたくさんあって、未発見のままとくに危険がないので問題にもならないものが多いですね。毎年2万種類の新種のものが発見されるんです(聞き間違いでなければ)。ところで1000mgのアスピリンは強すぎます。熱は下げるでれど、病気そのものは押さえないし、病気と戦う身体をむしろひっぱっています。こうしましょうか。抗生物質は処方箋を書きます。このとおり。でも今のんでいる抗生物質が切れるころでも症状が改善されなかえれば、もういちど来てください、そのときに処方箋をお渡しします。アスピリンは身体にやさしいものを処方します。500mgです。それからビタミンCですね。こんど来るときも電話してください。よいご旅行を。・・・

ナントの医者はちと不安であった。なので再度診察してもらった。おしゃれな医者であった。500mgのアスピリンもよく効いてくれた。夜中、寒さで目が覚めることもなくなった(アスピリンが切れると体温が2度も平気で上昇するのである)。マレ先生、ありがとうございます。

元気が出てきたので、日曜日であったが、シャイヨ宮にゆく。「ル・グラン・パリ」展である。

「京都以降」のメトロポリス再構築をめざすサルコジ大統領の肝いりであり、文化・通信省が担当しているプロジェクトである。

まずRogers&partners, London school of economics, ARUPらが全体スタディをしていた。これは展覧会のいちばん良質の部分であろう。パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京などの世界都市が、それぞれの国と比較して、どのような環境性能を発揮しているか、が示される。当然のことメトロポリスは環境効率がよい。などなど。

そののちパリ・メトロポールのための10原則が示される。多核化、郊外の一体化などであるが、ぼく的に興味がひかれたのは、行政区画をどうするか、というスタディである。これはいろんな議論があって決まらなかったし、この展覧会においてもひとつの案ではなくいくつかの案を提案しているのみである。選挙権者50万人ずつでまとめる、旧パリはそのままで同程度の人口の自治体にまとめる、など4案が示されている。

1860年にオスマンが周辺市町村を統合して大パリを再編成したとき、既存の市町村の境界は無視され、地理的にのみか、社会的にも再編成されることとなった。1960年代、時の建設大臣は、保守的なパリと、革新的な周辺市町村の対比をさらに強調するため、パリ内外をさらに分断しようとした。1980年代、社会党の大統領ミテランは、郊外の革新系自治体の連携をはかるような大パリプロジェクトを検討させる(しかし成果は少なかった)。

そしてサルコジ大統領の大パリは、どのような政治的党派制と結びついているのであろうか?もう左右の構図はふるくて、ほんとうに新しい世紀にはいったのであろうか?環境、持続可能性がいちばん前面にでているので、大政翼賛会的にもみえてしまう。

招待された10の建築家チームの案は、どうもいただけない。ポルツァンパルクも、オート・フォルムの頃のほうがよかった。ヌーヴェルも急に優等生になった感じ。グランバックも、これでは1960年代案の再録ではありませんか。MVRDVになると、もう。ノーコメント。

グランバック案は、世界のメトロポリスは海洋性都市であるが、パリだけは内陸性なのでハンディがある。だからパリとル・アーブルまでをリニアな都市網としようというもの。パリ、ルーアン、ル・アーブルを高速鉄道で1時間で結ぶのだそうだ。ボルドー、ラ・ロシェル、ナントとみてきて、フランス王国は海洋性都市をことごとく去勢してきたのではないか、といいたくなるのであるが。パリは内陸性メトロポリスでいいのではないか?

この「国際的討議」はもちろん、起爆剤であって到達点ではないようだ。

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2009.02.09

なぜ都市計画は無宗教的か?

これは前の投稿とセットです。

なんでもかんでもフランスをモデルにする必要はないのですが。まあ今フランスに滞在しているということで。

つまり都市計画には一般的に宗教施設の配置やなんかは考慮されないし、そもそも「都市計画学」というのは宗教など関係なく体系づけられている。このことは明らかだと思う。宗教はそのとき任意の団体にすぎず、あってもいいけれど、なにか「その他」カテゴリーにはいっているように思われる。

もちろん政教分離だ。ただ厳密にいうと、「政教」とはもともと政治と教会のこと。政治と宗教ではなかった。ただ社会の世俗化ということが広まると、カトリック教会のみならず宗教と政治のこととなった。

だが「宗教と都市計画」とは、「宗教と政治」のこと、ではない。「宗教と行政」のことであるはずだ。行政が地域に住むいろいろなことに関わるとすれば、宗教はどうなるのだろう?微妙なところです。ぼくには本質論的レベルで指摘する資格はない。ただ政教分離とは、わかったようで、よくわからないシステムなのである。

こんなことを考える理由は、フランスの宗教建築を考えていると、つぎの3点に気がつくからである。

(1)カトリック教会はもともと行政を担当していた。

いまでは出生、婚姻、死亡の届けは役所にいってするが、かつては教会にいってやっていた。つまり市役所、区役所の仕事をしていた。もちろん日本の近世においても仏教というかお寺はそんな存在であった。しかしキリスト教の場合、宗教は主体的であった。日本の場合、世俗権力が優位にあって、宗教にその仕事をやらせていたという違いはある。

(2)カトリック教会は地理的広がりをよく考えている。

新しい都市が建設されたり、市街地が成長すると、かならずカトリックは教会堂を建設する。この宗教は、布教の空白域をつくりたがらない。だから20世紀、郊外が急速に成長しても、教会はそれに追いつこうとする。

比較すると面白いと思うけれど、日本の郊外は完全に無宗教であることがある。寺、神社、教会のない郊外住宅地は多い。だからそんな空白域をねらって新宗教がはいることもある。ぼくは外国の例をいろいろ見ていると、日本の郊外がこれほどまでに無宗教的でいられるのか、不思議な気がする。

ともかくカトリックはつねに、世界、国土、都市など地理的なものを考えているように思える。だからイエズス会の世界布教も、20世紀における都市郊外への布教も、根は近いように思える。

(3)都市計画と政教分離

フランスでいうと20世紀になってすぐ「政教分離法」ができる。これより、政治は政治、教会は教会。教会は政治には介入できない。いっぽうで国や自治体も、宗教には介入しない。

建築にとって重要なのは、教会堂を建設したり、修復したりするために、基本的には公金は使えなくなった、ということである。それ以前はどうか?19世紀においてそれは可能であった。税金で、教会堂を修復したりしたのであった。

ただ1913年の文化財法のようなものによって、文化財(歴史的記念碑)に指定された教会建築には、公金が使われえる。これは財政的には、世俗国家としては「宗教」は支援しないが、「文化」は支援しましょう、というような意味をもっている。

近代的な都市計画は1910年代以降である。だからものの順番からいえばあたりまえである。「都市計画学」が大学などの研究機関におけるディシプリンとして登場したとき、社会はすでに政教分離であった。だからそこでは宗教や宗教施設が対象とされないことは、理論的には自明のことなのだ。

しかしもし都市計画が1850年頃に成立していれば、これまた理論的に明らかなことに、宗教施設を一種の都市施設として扱わなければならなかったのである。なぜならそれは地方公共団体の所管であるからである。だから都市計画では教会堂を扱わねばならないことになっていたはずである。

世の仕組みというのは、時系列でおってゆくと、けっこうはっきりわかるのである。

ただ実際は、都市計画事業のなかで、宗教関係者がしっかり介入し、教会堂を建設している。よくあるパターンは、都市計画区域のなかで、行政が宗教団体に、その敷地をきわめて廉価に99年間貸与するというようなものである。さすがに上物は募金や喜捨などに頼るのであるが。

でもあらかじめ宗教がインプットされている都市計画を想像しても面白いかもしれない。日本にも実例はあるし、地球上はそんなもののほうが、多いはずである。

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2009.02.08

宗教的なパリの日曜日

またまたパリにきています。今回はパリとボルドーで資料蒐集。日程は比較的余裕をもたせています。

往路は、日仏の航空会社のコードシェア便でした。ありがたいことに出発直前、航空会社がビジネスクラスにしてあげる、という。席があまっていたのだろう。ありがとうございます。とても快適でした。

エコノミー乗客のなかからどうやって選ぶのか、(顧客サービスのシステムということで)知りたいところだが、マイレージの多い順、渡仏回数の多い順、過去の滞在期間の長い順、親仏派の順(まさかね)、などといろいろ推測するが、まあどんなところでしょうね。

パリは、郊外は雪化粧、でも市内はふつう。

夜、ホテルに到着。

日曜の朝は、すこしだけTVの宗教番組を見る。

ミサの日だから、ラジオやテレビでは宗教番組をやっている。これは20年前に留学したときもそうでした。メディアができたときから、そうであったのでしょう。

乏しい体験から言ってるにすぎませんが、番組のスタイルもずいぶんかわったような気がします。

かつては司教、牧師、ラビが信者などに直接語りかけるスタイルでした。

しかし今は、指導者が導くというより、信者の紹介のような感じです。信者たちが、いかに生活し、どんな困難を乗り越え、心が満たされているか、淡々と紹介する。あるいは宗教的モチーフが出発点とはいえ、それがどんな社会活動となって実現されているか、など。

メディアの宗教番組は、基本的にはフランスにある主要な宗派を偏りなく紹介することになっています。

今回は最初から最後まで見たのではないのですが、下記のようなものが紹介されていた。

ユダヤ教については、イエルサレムにおける医療活動。2005年から、女性の活動家が、心臓の平和的な運動を展開している。つまり医師と連携して、先天的に心臓に重大な疾患をもつパレススチナ人の赤ん坊や子供のために、彼らを受け入れ財政支援もやっている。番組によると、パレスチナは社会保障がないので、ただでさえ高額な心臓手術など難しいし、イスラエルの病院がパレスチナ人をこういうふうに受け入れることはいろいろ意義深い。いままでに155件の手術件数であり、ただひとり亡くなったが、大多数は家族生活に復帰しているという。

プロテスタントについて。いろいろな信徒の人生が紹介されていた。スイス在住のアフリカ系スポーツインストラクターは、家庭崩壊の危機をのりこえ、立派なインストラクターとなり、生活も安定し、ボディビルコンクールのようなものでは優勝して、社会に受け入れられた。救急士。彼はの福音とは理論ではなく、実際だという。困っている人を目の前にいるからだ、ともいう。自然災害被災者の心的外傷をケアする精神科医も語ってました。

オーソドキシーでは、集会所に来た信者が信心を語っていました。

カトリックについては、局スタッフが信者の家族を訪問して、取材していました。題材は、金曜日は肉ではなく魚を食するという一般的なものですが、子供も確信を持ってその信心を語っていたのが印象的でした。

ところでこの種の日曜宗教番組では、ミサの中継は定番です。今回は、パリ郊外ルイユ・マルメゾン(裕福な人びとの戸建て住宅地もあるけっこういい地区)のサンテレーズ教会。昔の画像を見せながら、1960年頃の建設、信者たちの寄進、その当時の殺風景な郊外の様子、今の団地とオフィスビルが建ち並ぶ様子、を紹介していた。教会堂を鍵にして、半世紀にわたる郊外成長のパノラマのようなもので、面白い。教会堂そのものはとても簡素なつくり。建築に詳しい人なら、50年代的、といえば「そうか」と理解していただけるようなものです。

普通にしていればあまり見えないが、この社会はとても宗教的であることには、変わりない。共和国としてのフランス。それはしっかりある。共和国は宗教的ではない世俗社会を構築しようとした。だからといってカトリックとしてのフランスがなくなったのではなく、しっかり連続している。もちろん他宗派のフランスも。

・・・蛇足。今回の出張のために誓いをひとつたてました。コーヒーは1日一杯だけ。コーヒー大好き人間なので、ときどき摂取過多で体調を崩す。その悪癖を改めよう。神さまの前ではなくみなさまの前で誓うことにいたします。

・・・蛇足の蛇足。宿の事情で、1時間あまり、カフェで時間つぶしをしなければならなかった。

だからカフェのテラスでこれを入力しています。禁煙となった公共ゾーンのなかで、テラスは喫煙ゾーンのようで、煙は我慢します。道もよく見えます。街中のふつうの歩道でジョギングする人も増えた。日曜とはいってもね。この社会も変わったものです。注文したのはコーヒーではなく、紅茶。

で、近場のおじさんから「あなたはこれ(PC入力)のためにいくら払っているのかね?」と聞かれた。

彼はヘッドフォンでCDを聞いていたのでした。迷惑にならないようにわざわざテラスを選んだのだが。「キーボードを叩くのでうるさいのですね」とダイレクトすぎることを言ったら「いやまあそうじゃなくてね、まあ・・」と返ってくる。静かにキーをたたくことにしました(おじさん、気が利かなくてごめん、時差ボケ+外人だから)。

・・・おフランスでございます。

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2008.10.31

レンゾ・ピアノの「改悛」

「レンゾ・ピアノは『改悛』し、ロンシャンの修道院プロジェクトを手直し」

というのがウェブ版ル・モンド紙文化欄の見出しである。2008年10月31日付、Frédéric Edelmann署名記事

これは5月に問題になって、ぼくのブログでも紹介したことの顛末である。

フランスのロンシャン郊外に、ル・コルビュジエによるノートル=ダム=デュ=オ教会(1955)がある。その丘の中腹あたりに、ピアノが、クララ女子修道会の施設をつくろうとした。歴史的建造物委員会は賛成し、建設許可もおりたものの、カガン、コーエン、ル・コルビュジエ財団などが反対したもの。

記事を要約してみる。

「論争のすえ、土地造成は、11月17日に開始されることとなった。ピアノのプロジェクト第1案は、この夏のあいだずっと、シャイヨ宮の建築・遺産シテにずっと展示された。しかし建設されるものは、これではない。ピアノは違う案で建設することにした。しかし第1案も、目立たないかなり控えめなもので、ランドスケープ・アーキテクトMichel Corrajoud に協力してもらって、敷地になじむ建築とした。しかしル・モンド紙5月29日の記事にあるように、他の建築家から抗議の声がおこった。6月25日、建築・遺産シテでは、激しい論争がおこり、口頭ではかなりに辛辣なこともいわれたようだ。論点はひとつ、新しい修道院施設がすこしでも目立てば、それはル・コルビュジエへの「侮辱」になるぞ、ということであった。」

ル・モンド紙は、ピアノは対話を重要視する建築家であって、論争を沈静化し、引くところは引いた、というような説明をしている。

「ピアノはプロジェクトを修正したが、これはほとんど「改悛」であり、修道女たちの寝室を断片化するという当初のアイディアは守りつつ、丘の上からはほとんど見えないようにした。また丘の上には駐車場もなくなった。森のなかの地面にわずかな切れ目をいれて、そこからヴォージュ山脈が望める。こうしてル・コルビュジエ財団は青信号を与え、建設許可も修正され、着工日も決められた」。

・・・などなど。記事はあきらかにピアノにたいして同情的で、建築家が保守派に遭遇したが奇跡がおこって、云々の常套的説明で締めくくっている。ピアノは対話し、譲歩し、それでも創造のコアは守り抜いたのであった。かつてル・コルビュジエが賛美されたのと同じ書き方で、ピアノが賛美されているわけだ。

これは一種の景観論争であるが、日本でこの種の論争がなされるとき、保存/開発という60年代からの構図を引きずっているので、それはほとんど文化財/非文化財、デザイン性のある建築/もうけ主義の建築、などというステレオタイプとなってしまう。このロンシャンにように、優れた建築家どうしの対決というのも、いちど発生してみると面白いのだが。傷つく人も多いだろうね。でもロンシャンなら、改心、改悛といったとても好意的に受け止めてくれる。信念を通さないことは、ほとんどの場合、マイナスのはずだものね。

それとうがった見方。シャイオ宮のしかも大ホールでピアノ第一案を展示するというのは、宣伝ではなく、もちろん、見せしめなのですよ。そこまでやるか。6月のディスカッションもほとんどイジメだったんでしょうなあ。見たかった。

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2008.10.30

エコール・デ・ボザールで『身体の図像』展

パリのエコール・デ・ボザールでの展覧会である(ウェブ版ル・モンド紙2008年10月30日の記事)。Ensba(ボザール校舎), 13, quai Malaquais, Paris-6e. Du mardi au dimanche de 13 heures à 19 heures. 4 €. Jusqu'au 4 janvier. Catalogue, 510 p., 45 €.・・・ということで、1月4日までならいけるかな?

ダヴィンチの解剖学図像は有名だ。彼はおなじ原理で建築デッサンも作成したこと、それがたとえばローマのサンピエトロ計画の基礎となったこともよく知られている。そのとき、身体が美しき比例を満たしていること、またウィトルウィウス的身体といって、四肢を広げた身体が正方形や、円に内接することを描いたデッサンも有名だ。もっともあれがウィトルウィウス建築十書の挿図であることは、それほど周知はされていないが(建築の人間は自分たちのものと思っているが)。

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頭部のデッサンだけで、Léonard de Vinci, Michel-Ange, Dürer, Le Brun, Hogarth, Houdon, Géricaultなど59点もあるそうだ。

展示されたものはほとんどエコール・デ・ボザール自身のコレクションである。ペヴスナーが『美術アカデミーの歴史』で説明しているように、ルネサンス以降の美術教育の基礎は、まさに人体デッサンであった。16世紀イタリアのアカデミア・デル・ディセーニョからはじまる伝統だ。だからこのエコール・デ・ボザールも、1648年に設立された当初から、この方面に力をいれていた。どうじに17世紀は、解剖学、医学が発展した時期であった(17世紀=科学革命でもあった)。

だから美術=医学・解剖学、という蜜月時代であった。

アーティストは、医学のために、観察し、デッサンした。これはちょうど今日、ヴァーチャルリアリティの専門家と医者が共同して、3D身体モデルを作成しているようなものだ。

さて記事にそくして、内容を説明すると。ルネサンスから18世紀まで。上記のような蜜月時代。Vinci, Michel-Ange, Vésale, Lomazzo, Martinez, Adam et Gamelinなど。1746年、Gautier-Dagoty が彩色をはじめる。Mascagni、Bonamy, Barye, Géricault, Dumoutier, Paul Richer, Marey, Muybridge, Duchenne de Boulogneなどが取り上げられる。

通説どおりだが、18世紀の劇場型の解剖学教室のこと、19世紀前半の病原的興味のことなども紹介されているらしい。それから写真などもっと近代技術が導入され、医学と美術は分離し、おたがいに無関心になってゆく。

記事は、4世紀つづいた美術と医学の蜜月のあと、相互無関心の時期はあったが、美術学生はふたたび解剖学に興味をもちだした、というようなことで終わっていた。

・・・・人体と建築のアナロジーはダヴィンチ以降、というよりすでにウィトルウィウス以来、伝統的なものである。ルネサンスにおいては機械論的メカニズム、数学的比例ということを介してであった。また19世紀末の感情移入論的建築論においては、たとえばヴェルフリンなどが、人間が身体の図式を投影して、建築を観察するという図式を提案している。最近ではA・ヴィドラーが人間がいだく心理や不安などといった概念を投影して建築を解釈している。これなどは、いちど脱人間化を模索したあとの、建築の再人間化なのであろう。フロイトの理論を枠組みとして導入しているように、基本的には19世紀末ウィーンなのであろうという感じがする。

さて人間(身体)との類推で建築を考えるのか、逆方向に、建築との類推で身体を考えるのか、シナリオはふたつだ。当事者たちはひとつをモデルとし、他方を対象としていることは明らかだ。それは自覚的に、方法論的にやっていることだ。

しかし距離をとって第三者的にみれば、アナロジーの2項のより上位に、普遍的な図式が設定されていることは明らかであるように思われる。人間機械論は、機械人間論なのかもしれない。つまり人間も機械もおなじように説明できてしまう普遍的図式、それはメタ機械かもしれないし、メタ人間なのかもしれない。そしてこのメタレベルは、しばしば無自覚的になされることもある。・・・こんなことがずっとなされてきたのではないか、という気がする。

遠目で専門家たちを眺めると、ちょっとまえまでのグニャグニャ建築は、CTスキャンや3Dモデルで人間身体を描いているようなものだし、さまざまな臓器で隙間なく埋め尽くされた身体、などと書いてみると、まったく建築モデルそのものであるし、そのような建築はたくさん製作されたし見られてきた(たとえば伊東豊雄さんのあれ)。VR専門家と医学者の共同研究などもなされているそうで、3DのVRで構築された(描かれた?)身体は、解剖学の検体のかわりにもなるし、手術の練習台、疾患のモデル、などにもなるそうである。ましてや建築など、といった感じである。

CTスキャン、MRIなど20年前はなかった(正確にはあったが一般人の日常からは遠かった)。レントゲンなどは古典的と思えるが、それでもやはり近代のもの。現在は、簡単な手術でも、これらハイテクで患部の内臓、神経、骨格を立体的に把握したうえで、つまり徹底的にサーヴェイし、手術プランをたて、執刀する。逆に、それまではかなり経験と勘に頼っていたはずで、ゴッドハンドなる名医とそうでない人の差はかなりあったのだろうね。ああ怖い。

そして内視鏡手術がますます多くなる。すべて画像データによる世界となって、VR的になる。VRにより身体を構築することの重要性はますます高くなる。

もっとも建築家もいっているように、住宅ていどなら手でやったほうがずっとはやい、のであるが。

ともあれアナロジーで面白いことは、アナロジーは異なる2項目の類似性や関連性を考察することなのであるが、この両項目ともどんどん進化し変化しうるものである、ということだ。もっと都合良くいうと、そこに歴史性があるのであろう。きっと。

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