ナントの都市プロジェクトについての批評
ナントは都市再生を果たしたということで、日本でもよく知られている。このテーマだとかならず引用される町である。
ウェブ版ル・モンドの記事(2008年10月23日)で、紹介されていた。
ナントの中州は、ランドスケープ・アーキテクトであるアレクサンドル・シュメトフと整備会社社長ロラン・テリのもと、その姿をあらわして18カ月。プロジェクトはかなり建ってきた。
社会党市長ジャン=マルク・エロの政策は手堅かった。1989年より市長である。ナントは最も住みやすい都市と評価された。プロジェクト用地である中州は、337ヘクタール、30年前までは造船工場が占めていた。今日、エムシャー・パーク、ドイツのルール、バルセロナ、ビルバオとともに、ヨーロッパの最も有名な都市プロジェクトのひとつ。都市、遺産、建築についてのプロジェクトである。造船の名残はほどほどに残し、文化、祝祭、余暇のための空間としている。
裁判所は2000年にジャン・ヌーヴェルが建てたもの。シュメトフが緑を整備。しかしもともと工場地帯であった中州はほとんど更地。そこに多くの建築家が呼ばれた。工場施設をリノベーションしたり、新築の集合住宅をつくったり。Roulleau, Lipsky et Rollet, Doazan et Hirschberger. Portzamparc, Michelin, Dusapin et Leclercq, Pondevie, Devillers, Peneau ou le groupe Tetrarcなどが呼ばれた。
Anne LacatonとJean-Philippe Vassalによる建築学校校舎は、真っ白で、裁判所が真っ黒なのと対比をなす。機械博物館は造船の記憶を保存。
・・・・というように記事では、あまり評価らしい評価をしていない。
ただ再生された工場建築の様子をジョセフィーヌ・ベーカーにたとえたり、バナナ倉庫をフォリーにしたりするのを、アフリカとアンティユ諸島の記憶がよみがえる、などと知ったかぶりでかいている。
つまりナントはかつて大西洋貿易、とくに奴隷貿易で繁栄した都市なのである。
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