カテゴリー「建築論」の34件の記事

2010.07.10

革命から100年して都市はできる?

最近、講演やなんかでしゃべったネタである。

革命、といってもフランス革命やロシア革命ではなく、農業革命や産業革命のことである。

トフラーは『第三の波』で農業社会、産業社会、脱産業社会の3段階をいった。とくに脱産業社会は1950年代からである。ぼく的には、いわゆる脱工業社社会、堺屋太一的な知価革命のようなもの、のはじまりはハリウッドにおける映画産業が嚆矢ではないかと思っている。

おもしろいのは産業構造がおおきく変わって、それから都市の姿がかわるのにどのくらい時差があるか、ということである。

農業革命が12世紀ヨーロッパでおこった。生産量が飛躍的に増加した。それらは都市の市場に流入し、都市の富を増大させた。このおおきな枠組みの中で、新都市が建設された。南フランス地方のバスティードなんかがそうだ。この場合、農業革命から新都市まで100年はかかっている。

産業革命は18世紀後半のイギリスでおこった。しかし19世紀にもたらしたものは、大都市における過密化、環境悪化、疫病であって、それらは結果的な変化というよりも新しい都市のための生みの苦しみにようなものであった。

フォーディズム、テイラー主義が定式化されたのは20世紀初頭である。つまり蒸気機関やスチール製造技術が確立されたとしても、どういう人的組織で生産するかという方式が完成するのに1世紀以上かかっている。

都市も同様である。イギリスでも住宅法は19世紀終わりになっってやっと整備される。イギリスの田園都市、ガルニエの工業都市プロジェクトなど、すべて20世紀初頭である。つまり産業革命から100年以上して、やっと都市の像が描けるようになったのであった。

すると1950年代に産業革命ならぬ知識革命があったとして、それにふさわしい都市が提案されるのは2050年以降ということになる。

もちろんすでに新しい社会のための条件はわかっている。

産業社会のための都市は機能別のゾーニングでなりたっている。そして資本制。生産/消費、労働/住居、設計/生産、思考/制作は分離される。分離的方法論によるピュアな空間が生産性を高めるとされた。

知識革命のための都市はそれを逆転させたものとなる。 生産/消費、労働/住居、設計/生産、思考/制作はふたたび融合される。それはウィリアム・モリスの夢を実現するものとなる。ジェイン・ジェイコブズのいうように、ほどほどの規模の都市のなかで、高度で専門的な、しかし多様な専門家たちが、おたがいに刺激しあいクリエイティブな活動を展開するようなものとなる。ポランニーにいうように、「暗黙知」と形式知が相互補完的な関係で高め合うシステムとなる。

しかし、では具体的にどうするか、はまだ定式はない。

もちろん提案はたくさんある。コンパクトシティ、ナレッジリージョンズ、シュリンキング、スマートデクライン、ファイバーシティ、地域社会圏、6次産業・・・。2050年以降のものはそれらの要素をなんらかのかたちで含んでいるはずである。

でも現状確認をすれば、ぼくたちはすでに知識革命のあとの「知識社会」のメンバーでありながら、依然としてフィジカルには「産業都市」に住む住人たちである。そういう意味ではぼくたちは過渡期的な矛盾のなかで生きているのかもしれない。それがぼくたちの限界であるとすれば、建築関係者たちにとってはそれが希望である。

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2010.05.08

ヴェネツィア・ビエンナーレ

今年は妹島和世さんが総合ディレクターであるのは周知であるが、海外メディアでその情報が流れていた。

http://www.lemoniteur.fr/159-culture/article/actualite/703047-la-biennale-de-venise-2010-invite-le-public-a-rencontrer-l-architecture

では、妹島さんが5月7日、パリ・イタリア文化センターで「People meet in architecture」をテーマとする旨の説明をした、とあった。招待された44人の建築家・芸術家・ペイザジストが44のパヴィリオンでめいめいの展示をする。彼らは自分たちの解釈で、全体テーマを展開する。中国代表のWangue Shuは、竹構造を観客に体験させる。インドのムンバイ・スタジオは建築アトリエの日常を再発見させる。日本のアトリエ・バウワウは東京のバーチャル街路に模型を展示しそここを歩かせる、オランダのランドスケープアーキテクトであるピエト・オウドルフは出会いの庭園のなかで休息させる・・・。などなど。

具体的なことはわからないが、展示者と観客の距離がかなり小さいようなことを想像する。妹島さんは展示/鑑賞の距離を根本的に変えようとしているとみうけられた。金沢でのご経験もあるに違いない、と推測する。

ビエンナーレのHPも見よ、とあったのでそちらものぞく。

http://www.labiennale.org/en/architecture/exhibition/iae/

People mett in architecture:では参加者はみずからをキュレートするので、多くの視点が提供される、と妹島さんが説明している。

Architecture Saturdays:という企画。毎土曜日に講演会・討論会が開催されて、これまでのそして今年のディレクターが、35年にわたるビエンナーレのレビューもかねて、いろいろ議論するらしい。

Destination Biennale di Venezia. Universities meet in architecture:というのはビエンナーレと大学の協定のようなもので、ようするに大学もビエンナーレ見学をゼミや演習のようなものに活用して、学生に単位を与えられるようにするらしい。2時間のセミナー(会場内のどこか)をふくむ3日間の見学、というから、1日5コマとして、全部で15コマ。なるほど成り立つな。

この大学との協定であるが、イタリア国内ではすでに30大学と80学部に提案し、15の前向き回答を得ているし、国外では300大学にコンタクトをとって25の前向き回答を得ているらしい。

パオロ・バラッタのコメント:「新しいビエンナーレの誕生ですね。参加する外国館がホストとなり、いろんな大学がビジターになる。建築や関連分野という名のもとにあたらしい連盟がうまれ、同時に、あらたに建築ビエンナーレは教師や学生にとって巡礼地となるという新しい刺激がもたらされます」ということです。

・・・記事をひろい読みしていると、高階秀爾先生がおっしゃていたことを思い出した。ポンピドゥ・センターをつくることで、フランスは現代アートの中心をアメリカからいくぶん奪い返したが、アートの大衆化をもおしすすめることとなった。

パリの建築・遺産都市はコンテンツの充実もさることながら、見学者の全世代化が印象的である。多くの子供たちも熱心に見ているのが、つよく印象に残っている。さらにヨーロッパ内では建築ミュージアム戦争があるようで、ビエンナーレもそのあたりは意識しているであろう。

先日見た「建築はどこにあるの?」展は、中身そのものもそうだが、誰がみるのであろうか、という点が興味深い。建築関係者しか見ないのでは世界の時流とはすこし違うが、子供もたくさん来るのであれば、日本における建築展も新時代をむかえたといえるであろう。

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2010.04.14

「電子書籍元年を迎えて」

という記事が『週刊読書人』にあったので、目をとおした。原稿書きをしていて、仕事からの逃避でつい読んでしまう。『書物の変』の著者と『紙の本が亡びるとき?』の著者が対談している。

キンドルやアイパッドの登場でいよいよ現実的になった電子書籍である。とはいえ紙の書籍に、電子媒体がとってかわる、というのでは電子情報独自の形態であるとはいえない。そこが変なところで、電子情報ならHPやブログやtwitterや、それから近未来にでるであろう新しい形態がふさわしい。しかし電子情報にはふさわしくないはずの、紙のメディアにとってかわろうとするのである。ということは電子/紙というのではなく、出版業界、図書館制度、書籍というパッケージ、販売制度、権威づけ、著者の署名という制度の問題、なのであろう。

ということで中身はやや業界話しじみている。フランス国立印刷所が2006年に閉鎖されたという象徴的なエピソードが冒頭で飾られている。この印刷所の労働組合はEU批准のときに反対したそうで、つまり自分たちの仕事がチープレイバーの他国にとられることにたいする組織的懸念である。

また活字/オフセットということも説明されていて、電子でもないオフセットでもない、活字文化がそれこそ伝統芸能的に保存されるであろうとか、中国政府がグーグルを排除したことが漢字文化の保護として価値があるとか、いろいろな視点が提供されている。

過度の電子化ということから教育を守るために、重要書籍の一章を手書きで書き写させるという写経メソドをしているというエピソードも披露された。使える手ではあるが、大学でそんな教育法をしているなどというのは、あまり尊敬される話題ではない。

まあそれもいいのだが、ぼくとしては、「個人がいかに紙の書籍やら、電子ブックやら、WEBやらを総合的にカスタマイズするか?」ということが庶民にとっての最重要課題であり、それが上からの情報革命にたいする下からの(反)革命になると思うのだが、そういうことにかんしては、この記事のみならず、あまり触れられない。

電子書籍は安価だから、安易な庶民はみんなそれに流れ、出版社はつぶれ、業界は再編されるだろう。でもそれは業界の問題であるのであって、読者最優先と仮定すればどうなるか、などといった思考実験をどなたかしてください。

蔵書家の武勇伝がある。蔵書に財産をつぎ込んで、妻はあきれて離婚してしまい、自宅におけなくなったので間借りして・・・云々の話はよくきく。予定調和の学者であっても、晩年は書庫付き戸建てを建てるのが団塊世代のパターンである。デザイン史の大家は、平屋住宅で母屋とつかずはなれずの書庫+書斎を構えていた。タンポポハウスには建築雑誌には紹介されていない地下の大書庫があるという噂である。RCで自邸を建て替えた大教授も一階がほとんど図書館の書庫のようなつくりである。戦後日本が国家政策として推進した戸建て持ち家政策をそのまま実現している。その意味ではすごい。

ただし後の世代はそこまでのリソースを文献につぎ込む余裕がない。書籍だけで数千万円から1億円超、そのための書庫に半額から同額の地代+建設費の投資。そういうことはパワーのある例外的なお方だけがやればいいことで、だれもかれもやりだすと、社会全体としては無駄な資金を無為につぎこむことでしかない。

ああ、お金の話しはいじましいからやめよう。記事のなかで、活字ももともとはベンヤミン的なアウラの欠如した複製技術の産物であったが、オフセット化、電子化のなかで、アウラをもつものとして再評価されてきているのだという指摘があった。つまりある情報が、輝き生き生きとしてかけがえのないものに感じられるのは、紙、媒体、というものとは無縁であるということだ。情報と人間(の脳)との関係で決まる。それを考察するのは、読書する側の論理である。したがって紙、ディスプレイなどの媒体をまえにして「個人がいかに情報環境をカスタマイズするか」のスタイルを、本質論として考えねばならない。

つまりグーグルが実現しようとしているのは、古いかつての夢にすぎないのだが、その普遍図書館なり世界図書館なりバベル図書館のなかで、人はどうそれをカスタマイズするかということなのだな。それを教えてください。

自家用車が出始めた頃。ミュールーズ市にある自動車博物館を見学したとき、1907年(?)の1年だけ、フランスはアメリカよりも生産台数が多く、世界一であったそうだ。当時のポスターを見ると、車によって豊かになる生活というものについて、きわめてはっきりしたイメージがあったことがわかる。徳大寺氏が、日本の車産業はスペック指向でありライフスタイルのイメージがないという、そのとおりであった。文献もそう。

なぜかっていうと、こんなことを書いているぼく。今、ありがたいことに今年出版されるかもしれない文献のために原稿を書いているのですよ。紙の文献が手元にありまして。それから電子書籍もちゃんとつかっています。WEB情報も使っています。でもなにか決定的ななにかが不足しているんだな。専門家のかたがた、業界向けもいいけれど、個人のライフスタイルも考察してください。

原稿を書いていると、かならず、こんな逃避的脱線をしてしまうのであった。

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2010.04.06

日本建築50年周期説?

誤字脱字チェックのため自分のブログをみていたら、50年周期ってあるのかな?と思った。

(1)西洋化の50年:1870年代から?

明治維新はそれなりに転換点であった。もっともアメリカ人にとっては明治維新というより通商条約であって、かれらにとっては日本を屈服させた日が重要である。日本人にとっては体制を変えた日が重要である。建築にとっては技術の導入が重要であろう。とはいえ建築にとっては転換点はなく転換期間というグレーゾーンなのではあろう。きわめて曖昧に1860から1870年代としておこうか。本格的には、ということで1870年代から?

それを「近代化」とするかどうかはむつかしい。開国とか西洋化とか呼ぶことはできるであろう。しかし西洋もこの時代は旧技術であったからである。

(2)近代化の50年:1920年代から?

RC構造や鉄骨構造は20世紀にはいってからである。さらに家族をコアにすえた近代住宅もそうである。

日本にそれらが導入されて、西洋化ではなくまさに近代化したのは1920年代前後ではなかろうか。1910年代から30年代にまたがるが、中心は20年代であろう。RC、鉄、近代家族、なにより1919年の都市計画法、市街地建築物法などに代表される建築制度。さらに建築学科を中心とする「建築学」の整理。国と学科が整備した高専などの「中等教育」、そこにおける建築技術教育の標準化など。建築は「学」になり「制度」になった。

(3)近代をのりこえようとする50年:1970年代から?

次の50年後は、それへの根底的な批判がなされた。

1970年の万博とその直後のオイルショックを思い出せばよいが、建築は滅亡し、解体され、消滅するというようなことが宣言された。その宣言の妥当性そのものはどうでもいい。そのような批判的精神に満ちた時期であったということである。「近代批判」「地方の時代」「地域主義」「エコロジー」などがいわれたのがこの時期であった。現在の環境指向も、この方向性をきわめて高度化したものであろう。

(4)××××の50年:2020年代から?

さらにそれから50年、というのが2020年代である。ちょうどぼくが西洋化ではない真の近代化とよぶものから、2サイクル、100年後ということになる。

2010年現在の10年後だから、まだよくわからないが、予兆はすでにあらわれていることになる。地球のための50年、ソフトな衰退の50年、かつていわれたネオ中世の50年かもしれない。「××××」はなにか、いろいろご検討ください。

50年ごとであってもそれらの基底にあるグローバルシステムは変わらないようでもある。

ぼくもそれなりに準備しておきましょうか。

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2010.03.28

小林重敬『都市計画はどう変わるか』

小林先生から賜った。ありがとうございます。

Y-GSAでごいっしょして、ぼくはあいかわらず言いたい放題なのであったが、小林先生からはいろいろアドバイスをいただいたのであった。

グローバル/ローカル、マーケット/コミュニティ、まちづくり三法など制度・政策の専門家から教えていただくのはたいへん参考になる。

それ以上に興味深かったのは、彼の論考もしっかりした歴史観にもとづいているという点であった。19世紀末のドイツ都市法などを原型として20世紀のそれが形成された。20世紀の近代都市計画は、新中間階層をターゲットにしているのであり、それがあるので各国でバリエーションがあるとはいえ、共通の戦略というものを比較することができる。

反面、グローバル化などが作用して都市計画がまったく違うフェーズに突入していることはあきらななのに、次世代の都市計画を支える階層の姿がはっきりみえてこないことが問題であるという。

都市計画についての歴史観とはどんなものか?それはいわゆる都市史とどう違うか?などを考察することはよいことである。

ヨーロッパではルネサンス以降、都市はひとつの法人格なのであるから、王(宮廷)や国家と、都市は、上下の関係とはいえことなる法人格として交渉し、対話をしていた。だから王の命令による、都市のプロジェクトは、きわめて特徴的であり輪郭のはっきりしたものとして、異彩をはなつものとなった。

19世紀、オスマンのパリ大改造などは、いわば国が指導してブルジョワの都市空間投機をあおったようなものであった。このとき行政は土地収用を恣意的にすることができた。しかも近代的な都市計画法などなかった。都市計画法はない状態で、都市開発行為がなされた。それはブルジョワ都市の形成であった。このとき産業化、都市化の勢いで、「労働者」階級が、そして労働者街区が生産された。つまりブルジョワが突出することで反射的に労働者階級が生産されたのであった。階級闘争はまさに都市スペース内闘争としてきわめてリアルに発生する。それが2月革命でありパリ=コミューンであった。

20世紀はこの階級闘争を調停しようとして、普遍的市民というあらたなイメージを確立しようとする。象徴的なことが「労働者住宅」という概念そのものである。ヨーロッパ内でも国によって異なるようであるが、すくなくともフランスでは、労働者住宅という概念そのものをなくし、それにかわって低廉住宅、適正価格住宅という概念がうまれる。CIAMはそれを最小限住宅と読み替える。そして20世紀末にはアフォーダブルなどという言葉まで生まれる。

CIAMの最小限住宅とは面積最小限ということだけではないと思われる。バストイレ、台所などの住宅設備がすくなくとも備わっているというような意味である。20世紀初頭のその時代、8時間労働、社会保障、選挙権、バカンス法など、いわゆる普遍的市民の社会的存在を規定する法制度が整備されたことを忘れてはならない。法制度によって社会的に規定された普遍的市民、それにあてがわれたのが最小限住宅なのであった。それはブルジョワ/労働者という切断をないことにし、労働者住宅というカテゴリーをなくすことに戦略的な意義があったのであった。

日本国内でも同様な経緯がある。たとえば1930年代における建築学会の検討のなかで、「長屋」といった前近代的な類型用語はあっさり抹殺されたのであった。戦後も浜口ミホが住宅の封建制を批判するのであるが、それはむしろ、普遍的住宅という20世紀イデオロギーを強化することとなった。

このことに象徴されるように、20世紀都市計画は抽象的市民を念頭においたし、山本理顕さん流にいえばまさにそのような抽象的市民を生産したのであった。

21世紀の都市計画はどんな階層を念頭におくか?・・・などぼくにわかるわけがない。ただ住宅を指標にして、さらに20世紀の大テーマ、サニタリーや情報のパーソナル化などを考えると、これらが19世紀にまで逆行するなどとは考えられない。すると考えられるのは、住宅が指標であった20世紀にたいして、同様な住宅が供給されつつも別の指標によってドライブされる21世紀ということなのかな?まあ現実の推移から学ばさせていただきましょう。(というわけでこれからサカナ焼きます)

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2010.03.14

Y-GSA公開シンポジウム「住宅」

3月13日(土)の午後、横浜YCCでシンポジウムに参加した。山本理顕さんに呼ばれたのでよろこんで参加させていただいた(山本さん、チューリヒ空港コンペおめでとうございます)。

ぼくの発表はフランスの19世紀におけるさまざまな住宅プロジェクトをいくつか紹介するもの。ぼく的にはオスマンではなく、民間の業者が開発したあまりしられていない街区がじつはいまのパリを構成してる、すくなくとも都市パリの「地」を構成している、というようなことからはじめたかった。あるいはパリ19世紀というとオスマンのパリ改造ばかりが注目されるなか、いろいろあったんだよ、ということもいいたかった。

じつは撮りだめしている写真がいっぱいあって、自分でもじっくり見ていないものも多く、それらを紹介するという意味もあった。

ミュールーズ市や、ギーズ市の労働者住宅、パリ郊外の田園都市などは現地でじっくり観察したので、写真もそこそこいい。若い学生たちにとっては知らざるフランスの一面であろうと思う。プレゼはとにかく写真をたくさんみせた。

結論としては3点あらかじめ用意していた。

(1)フーリエの「情念」を建築史・住宅史の立場からどのように解釈するか?

ぼくは「情念」とは、世界の基底にあって、世界のなかのさまざまなものの基盤となっている普遍的で抽象的ななにか、だと思うようになった。それはマルクスにおける資本や貨幣、ライプニッツにおけるモナド、デミクリトスにおける原子、古い物理学におけるエーテルのようなものである。世界は情念と情念でないものに分割できるのではない。基底となる「情念」がさまざまま形態をとって、異なるものとなって、世界を構成する。そのような基底的で、ある意味で流体的なものなのであろう。

「情念」とは、人間の意識がなにものかに向かうその欲動のようなものであろうし、他者をどのように関わってゆくかという人間の根本的指向性のようなものであろう。だからこの普遍的・基底的な「情念」を、ある形態に編集すれば「家族」になるし、別の形態なら「共同体」になろうし、また別の形態なら「アソシエーション」となろう。

そして19世紀のさまざまな住宅プロジェクトがきわめて多様であるのは、こうした基底的「情念」を編集する、その編集の仕方が多様であったというように書き換えることができるのではないか。

(2)民間事業か公共事業か?

これは通説どおり。19世紀は民間の活力によって開発がなされた時期である。オスマンが強権によってパリを大改造したとはいえ、彼は資本の力を活性化したのであった。そして19世紀の民間開発の時代、国や地方公共団体は住宅という民業を圧迫してはならないということで、日本でいえば市営住宅や県営住宅や公団住宅に相当するものには手をつけなかった。

ところが20世紀初頭になって、住宅の不足や、それからサニタリーや個室といったものが普遍的に住まいの基準であると考えられるようになって、公共もまた住宅建設に直接かかわらざるをえなくなった。フランスでは、地方自治体に従属する住宅供給公団のようなものが、国から財政支援を受けるというかたちで、公共住宅が提供されるようになる。両大戦間のことである。これをもって近代住宅の形成と考えて良いであろう。

(3)19世紀は20世紀の前段階か?

このように20世紀は普遍化を目指していった。たとえば最小限住宅などである。それにたいして19世紀は多様であった。反面、過渡期的であるにすぎないと考えられてきた。しかしその多様性にも意味があるのではないか。とくに21世紀は人口減から建設チャンスもすくなくなる。新規の建設で実験する機会もとてもすくなくなる。そのときにほとんどが挫折したかにみえる19世紀のいろいろな実験もなんらかの意味を与えてくれるのではないか。

などである。ぼくの発表はこんな感じであった。

小林重敬先生は都市計画制度の歴史と、土地所有の問題、目下取り組んでいるまちづくりの話しをしていた。オーディエンスにいた憲法学者から、私的土地所有の絶対性について解説があった。これはとても重要な問題提起で、勉強になった。ぼくも素人とはいえ、たとえばドイツにおける土地公有の制度がもたらす都市の統一性、日本における私的所有の絶対性がもたらす都市の貧困、などは学生のころから教えられていた。それが今でも困難な構図としてあるということだ。でもそうであるなら、フランスの19世紀後半に、労働者たちを不動産所有者にしたてようとした政策があったこと、しかしそれが失敗したこと、の歴史的解釈はもっと考えられていいように思えた。

梅本洋一先生からは、劇場空間、オッフェンバック、パサージュについて専門家の立場から解説があった。近代の劇場空間とは近代人の鏡像関係的な自画像であり、いわば都市の自意識なのである。

桑田光平先生からは、ベンヤミンのテキストを専門のたちばから解説いただいて、勉強になった。とくにフランス語/日本語のバイリンガルで解説していただいたのはとても参考になった。つまりフランス語のほうが意味が広いので訳しきれない。たとえばL'interieur va mourrir.を「室内はダメになりそうだ」と訳すのは平板だが「内部は死滅するであろう」ならさまざまな領域に拡大できそいうだし、「内面は死にそう」とすると深刻である。つまり原語のほうがいろいろな解釈ができて、建築的にも広げられそうだ。まあ余裕があればそんなこともできますかね。

二次会は山本さんの空港コンペのはなしやなんかで盛り上がった。桑田さんとも話したが、ぼくのフーリエ理解はそんなに間違ってもいないそうである。元気いただきました。

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2010.03.08

中沢新一『純粋な自然の贈与』

初版は1996年。2009年の文庫本を読んだ。「贈与」と「等価交換」との違いをやさしく解説してくれるだけでなく、その射程のおおきな違いまでも明らかにしてくれる。

等価交換は、たとえば貨幣で商品を購入することである。デジタルで、論理的で、機械的で、合理的な世界である。計量的、あるいは情報的な世界だともいえる。

ところが等価交換でできる合理的なプロセスだけでは、資本が拡大再生産するといったことは説明できない。贈与は、捕鯨、ゴダールのマリア、剰余価値論、バルトーク、などの背景に流れる真理なのである。

さて思索としてみると、「建築」がある意味で「贈与」である、贈与であるかのようにみえることは平板すぎるほどの真実であるようだ。

新しい建物が目の前に出現することは、神からの贈与であるように感じられることがある。施主と、資金繰りと、施工業者にかんする情報を知っていたとしても、面前にある巨大な物的秩序は、軽い奇跡のように感じられるであろう。

図書館や学校といった公共建築を使う者は、やはりそこに贈与性を感じるであろう。たとえ納税者意識が合理的な説明をすることがあっても、すくなくとも金銭と等価交換をしたはずだという意識は襲ってこないであろう。

サステイナブルな建築は、前の世代からの贈与であろう。

というのは建築は等価交換という合理性からはかなり遠いのではないか。土地を購入する、建材を購入する、労働力を調達する、月いくらで貸すといった個々の行為はすべて等価交換的であり、計量的である。しかしピラミッドも大聖堂もつねに観光客が支払う旅費という価値を生み続けるのであり、それは建設時には予測できなかったものである。だから建物の収支決算は、けっして予測できるものではない。だから建物は、等価交換では決してないのである。

建物は、等価交換では決してない。一個の建物の両側には、得をしたひとと損をしたひとがいる。だから損をした人は、得をした人に贈与をしていることになる。すべての人に得を与えた建築もあるかもしれない。

建築は、本質的にそして必然的に、市場原理を超越している、なんてことにならないかな。だれかそういう理論を構築してください。

そうなると建築は、これまた必然的に、霊的なもの、オーラを帯びたものとなる。建築を物語ること、鑑賞すること、思索することは霊的なものに触れようとすることにならないか。

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2010.02.28

磯崎新『Any:建築と哲学をめぐるセッション1991-2008』(カント的退行?)

00年代を磯崎さんグループがどう見ているか、参考にしようと思った。「カント回帰」「カント的退行」という括りであるらしい。

カントのいう「もの自体」つまり、人間は感覚や言語をとおして世界を把握するのだが、ものそのものを五感や言葉などを経由して認識するというのは、間接的で迂回したやりかただから、もの自体はぜったいに認識できない、ということである。この構図が現代を物語っているという一貫した視点が展開されている。

浅田/磯崎対談によると、グローバル資本や地震などの大災害はまさにもの自体であって、それが直接立ち現れる構図となっている。すると細やかにシンボルや図像表現を研究することであった表象文化論などというものはすでに時代遅れらしい。時代でいうと、ロココ文化が表象の時代であり、カント的回帰をとおして新古典主義の巨大建築が登場する。それがたとえば北京の鳥の巣なのだ、ということになる。

でもフランス革命と今のグローバル経済は同じものなのかね、という疑問もいだく。

柄谷/磯崎対談によると、カント回帰がよりはっきり説明されている。それは「世界は言語的にしか把握できない」(p.38)ということである。柄谷行人は「建築への意志」をあらためて表明しており、それは建築を指向しつつ建築を批判することであり、原理的であろうとしつつ原理主義を批判することという「一人二役」であり、それがトランセンデンタルにして横断的移動である、と述べている。彼がカントのアンチノミーに注目していたことが思い出される。理論は純粋化しようとすればむしろ破綻するという(しかし無理論でいいわけではない)所論である。

岡崎乾二郎はこの論をさらに展開し、リスボン地震を語ったカントの「霊能者の夢」でいわれているのは「地震という現実世界に起こった災害が、実は、言語的な地滑りと通底だった」ことであると的確にのべている。

これはわかりやすくいうと、天災も人災ということである。ある区で被害が多いのは、都市計画制度(言語)によって災害に弱い地区が人為的に建設されているからである。だからこの意味でも言語はすでに世界を創っているし、世界は言語化されているのである。

・・・でも、手前味噌でたいへん申し訳ないが、それこそぼくが『言葉と建築』(1997)で書いたことです。ぼく自身は時流を書こうとしたのではなく、もっと普遍的なものをめざしました。たしかに20世紀初頭の言語学の発展とか、80年代の言語論的転回もあるでしょうが、ある意味、建築辞典はルネサンス以降の伝統であり、言語にそくして建築は構想されてきたのです。その意味で言葉と建築は、たんなる現代思想的な解釈ではないのです。

もちろんぼくは哲学や現代思想に関連づけてさらなる展開をめざすには時間も能力も不足していたし、似たテーマで書くとすればヨーロッパ語を母国語とするフォーティには量的にはおよびません。ただぼくは、ドリーマーあつかいされるでしょうが、ほんとうにウィトルウィウスやアルベルティらを意識して、彼らと競合しているつもりです。言語は時空をこえます。そういうことは不可能ではありません。ただそういう発想は、目下の問題に取り組んでいる建築界からは浮いてしまうのはいたしかたありません。

磯崎さんはさすがで、『漢字と建築』を書いたように、「言葉と建築」からの展開をすることができた例外的な人でした。フォーティの翻訳者たちが及ばない点ですね。

ただ建築史家としてどうか?と反省するところも大である。誰もが知っているように、時代が大きく変わりつつあるのは事実である。そして歴史家の存在意義があるとしたら、その歴史観においてである。しかるに自分の歴史観において現代を語る建築史家はいない。藤森先生は面白いが、あまりに大風呂敷である。作家の松山巌のように、昔の建物を擁護することだけが建築史家の使命であると勝手に思い込んでいる人もいる。現代を語らない・語れないのが建築史家だというなら、困ったことである。

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2010.02.27

『現代建築家99』

という書籍をいただいた。ありがとうございます。

と思ったら、ぼくも執筆者のひとりであった。オルタ、ヴァン・ド・ヴェルド、ギマール、アール・ヌーボーについて書いてある。が、いつ書いたかも忘れたし、書いたことそのものを失念していた。ひょっとしたら20世紀の執筆かもしれない。

執筆者は40人ほどで、いわゆる現代建築家99人についててわけして書いている。こうい企画はもっとも遅筆なひとのペースに支配される。編集者は心労により胃に穴が開いたかもしれない。ご苦労様です。

名のとおった執筆者が書いているので、内容は充実している。

ところが書かせてもらっておいて傲慢だが、あまり面白くないのだな。そこで考える。なぜ面白くないかではない。本質的にはいい本なのだ。なぜぼくは面白く感じないかという自己分析である。

ひとつはWEB文化なので、データベース的な文献は、実用的な見地からはもう魅力的でないということである。

すると肝心なのは、東西の建築家たちのなかから99人選ぶとして、その「セレクションの妙」というものがあるかどうか、である。さらにそのセレクションにしても、まず枠組み、その枠組みで選んだ結果、という2点から検討してみてもいい。

じつをいうと「選択の基準」がはっきりしていない。個性がはっきりした輪郭のある、といった基準があるようだが、それがはっきりしていない。だから選ばれた99人にしても、なるほど、とうなることもないのである。

こういうのはシャレや冗談などを迂回してやると面白い。

生涯でもっとも多作であった作家チャート(19世紀だとGGスコットは900作品ものしたらしい)。生涯総延べ床面積でのランキング・トップ30とか。有名な箴言を多くのこした建築家トップ30。建築書を書き残した建築家トップ20。まったく建築書や解説をのこさなかった建築家ベスト10。酒癖の悪い建築家ワースト10。赤派/白派ではないが、建築家がよく使う好きな色によって、建築家を分類してみる。黒い服が好きな建築家は黒派といえるかどうか(ヨーロッパでそういう本が出版されたらしい)。

そうそう。現代を語るなら組織設計事務所にきにしてはいけないが、本書ではあくまで個人である。

ぼくは建築史をやっているので、その興味でいうと、この本の背景にはどうもはっきりした歴史観はなさそうだ、ということはいえる。

では歴史観のある建築家トップ××としてはどんなものが考えられるか?

たとえば「人類建築史上の偉大建築家トップ20」。

だれが考えてもそんなに変わらないと思う。ウィトルウィウス、パラディオ、ル・コルビュジエ、シナン、・・・。でも「建築」そのものの輪郭が見えてくるという効用はある。

でもそのなかに日本人をひとりいれるとしたら、じつは重源ではないか?なんて考えるのも楽しい。近現代に比重をおくとしたら丹下健三かな。でも日本史のなかからひとりというなら重源か利休であったりという視点もあったりして。

で、重源/丹下あたりでその選定をめぐって国内を二分する論争があって、その結果、有名なA教授とB教授が喧嘩したり、建築学会は分裂したり、あるいは建築学会と建築史学会のあいだには遺恨が残って口もきかなくなったり。日本建築における守旧派が立ち上がったり。はたまた磯崎さんや伊東さんを推す一部のコアな勢力がとんでもなく高尚な哲学的言説を展開したり、ポリティカルな理由でいや民家こそ本質だなどと主張する外国勢力が内政干渉をおこなったり、議論そのものが下らないからみんな壊してしまえなどという坂口安吾みたいな人があらわれたり、その結果、日本建築はなにかという統一的概念は修復不可能なまでに分裂したり。国内でらちがあかないので、海外の第三者機関に調停してもらおうとしたが候補のル・コルビュジエ財団とMITのあいだでまたヘゲモニー争いがおこったり・・・。

なんてことのほうが楽しいかも。

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2010.02.20

『読んでいない本について堂々と語る方法』

ピエール・バイヤールという人が書いた本。世界中で読まれているそうだ。これも勧められたので読んだ。おもしろかった。

シニカルな冷やかし本ではなくとても真摯な内容であった。テキスト論や主体論といったフランス現代思想もそこはかとなく導入されているようである。

「共有図書館」「ヴァーチャル図書館」といった表現があるように、本は一冊一冊よりもその総体・体系が重要である。つまり本の内部ではなく、外部が重要だというもっともな指摘からはじまる。

エーコの『薔薇の名前』が題材になっていた。ぼくはこれを読んでいないが、映画で見たのでよくわかった。中世の修道院で怪死事件がつづいた。修道院の図書館にあるアリストテレス『詩学』など古代文学を読もうとした人びとが、ページに塗りつけられた毒のおかげで死んでいったのであった。これは笑いを罪悪とかんがえた図書館書司のようなひとが仕組んだことであったが、主人公はその殺人をあばいてゆく。ふたりは古代の「笑い」をめぐって論争するが、バイヤールの指摘によれば、ふたりともじつはアリストテレス『詩学』などを読んだつもりでいてほとんど読んでいない。しかし彼らはその読書体験にもとづいて、論争し、古代文学/キリスト教倫理の対立を代表し、殺人事件の大捕物を展開し・・・というように物語はつづく。

つまりアリストテレス『詩学』の「非読」がコアとなって、『薔薇の名前』ができている。さらにバイヤールはその『薔薇の名前』をコアにして、自著を非読のすすめとする、という入れ子構造である。

とはいえバイヤール自身は『薔薇の名前』をよく読んでいると思われ、非読・非読といいながらちゃんとよんでいるね、という安心感を与えている。

このようにバイヤールは非読サンプルとして、『薔薇の名前』『エセー』『第三の男』『ハムレット』『吾輩は猫である』『ひなぎく』などをつぎつぎと紹介しており、なるほど、彼のおかげで読者はこれらの本を非読にして理解したつもりになれるのであった。

教訓をふたつ。

(1)共有図書館のなかの本は、部分冠詞のようなもの。

つまり本は、目の前の一冊一冊の本でもある。しかし古今東西のあらゆる本が集合したその総体でもある。目の前の一冊は、その総体のある一部であり、部分冠詞がつけられ得べきようなものである。

本の総体を読むには人生はあまりに短いので、ちゃんと読むごく一部と、非読の読をする99.999%を関連づけて、この本の総体、すなわち共有図書館の利用者となることが肝要である。これがバイヤールの主張である。

(2)「見ていない建築について堂々と語る方法」もあるのであろう。

たとえば「伊東豊雄さんがアジアの××市に大規模な透明建築をたてたんだって、なんでも外観が断面として表現されているらしい」という断片的な説明で、ほぼすべて理解できたつもりにならないかい?関係者ならせんだいメディアテーク、サーパンタインなどをつぎつぎに連想するであろう。ぼくたちはヴァーチャルな建築アーカイブを共有しているからである。

さらにこのヴァーチャルな建築アーカイブでは、伊東さん→透明→パサージュ→ベンヤミン→フーリエ→ル・コルビュジエ→マルセイユ→プイヨン→・・・といった自由連想も可能だ。アーカイブのなかの連想=ネットワークには無限の可能性がある。

そしてこれは建築関係者にとって不可欠の能力である。なぜならぼくたちは、たとえば学生が描いた未完結のプロジェクトについてじつに高尚なことを語ることができてしまう。目前の架空のプロジェクトも、わたしたちの「内なる建築アーカイブ」を刺激し、そこからつぎつぎに連想をもたらすものなのである。

であるなら「内なる建築アーカイブ」こそが建築であり、「建築」という超越であり、「建築」そのものなのである。これは20世紀初頭の近代運動における一種の建築イデア論とはまったくちがう位相にあるものであろう。

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