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2018.04.28

磯崎さんのおかげで文藝春秋デビュー?

磯崎アトリエから『文藝春秋』5月号が送られてきた。ありがとうございます。

なんのことかと思っていたら、「この人の月間日記」というコーナーがあり、今回は磯崎さんの「86歳で沖縄に移住した」である。磯崎さんの文章は、もちろん構築したものも魅力的だが、彼の思想どおりに始まりもなく終わりもない、疾走しつづけているようなものが、ぼくを魅了する。なるほど日記はよい。

その3月8日の記載で、やま中鮨店にぼくが登場するというデビュー(執筆でなく申し訳ありません)。

そのときルイス・カーンと丹下健三のイラン・プロジェクトでの遭遇とその顛末などという、あとで三宅理一さんもかかわっていた展覧会だかなんだかの、そのつながりがわかった。やま中では突然の話題で、磯崎さんの引出しの多さにいつもどおり驚嘆しつつ、へいへいと聞いていた。

そのなかで井筒俊彦のスーフィズムについて多くを語っていたのが印象にのこった。井筒はイスラム学の巨人であることくらいは知っていたが、たいしてのめりこんで読んだことはなかったので、これもへいへいと相づちをうつくらいのものであった。ただ多と一の統合だとか、いわゆる神秘主義はひとつの宇宙という根源に回帰しようという共通する傾向がみられる。おそらく磯崎さんはそういう動向を、ご自身のなかで飼い慣らしつつ、より高次の段階から俯瞰しようとするのであろう。沖縄移住ということで、岡本太郎の沖縄文化論、なにもない空間論などとのリンクがあるのかもしれない。ぼくの都合からすれば、それは聖性についての考察であり、参考にさせていただかなければならない。

それはともかくホメイニ師たちのイスラム革命は、当時の日本人、とりわけ知識人たちにとっては、一種の「近代の超克」であったのである。とくに心情的に反米的である知識人たちは、やはり心情的にイランをかなり応援していた。上述の三宅さんなんかも、イライラ戦争のさなか、銃弾(ロケットも?)の飛びかねないなか、国境を渡ったなどと武勇伝をのたまわっていた。それから40年ちかくたち、ふたたびイランに回帰する機会があったというのが、大先輩たちの今日であるようだ。

もうひとつ思い出すのが、近代都市論である。磯崎さんの祝祭都市プロジェクトのおりに思い出したのが、フロイト的親殺し論であった。近代国家が革命の結果誕生するということを、宗教学や心理学が文化論的に解釈したのが親殺しというメタストーリーなのだが、そこで登場したのが近代的な「死者(祖国に命を捧げた革命家たちとか)のモニュメント」であり、その死者建築と生者建築がバランスをとっていることが近代国家の頭脳としての近代首都の、都市空間の基本的な構図となる。そこからぼくのような建築史学の人間にとっては、モニュメンタリティそのものの歴史的な起源がみえてくる、というようなことだ。

磯崎さんご自身は、親殺しの近代都市のなかで、すべてはミュジアムになったと指摘している。遺産としての都市が語られるのだから、まさにそのとおり。さらにもっと深みもありそうである。ただ、そのままだと、ああまた磯崎さんに支配されてしまう、という内面の声がきこえてくる。

だからぼくとしては、別の路線も考えてみよう。つまり、ありふれた諸概念のリサイクルにすぎないが、上記のような親殺し近代都市(首都)は必然的にツリー構造である。しかしリゾームがそこにオーバーラップする。それは社会である。ツリーとリゾームは二者択一ではなく、ふたつは矛盾し合いながら、協力も対立もする。ただその処方箋などはだれも書けない(のではないか?)。これは建築史学の課題でもある。19世紀以降の、様式史、技術史、建築家モノグラフなど、カテゴリー化された主題についての研究は蓄積されてゆく。しかし現実は、専門性を横断する、いってみれば「業界」「建築界」がいわば建築の生態系なのであった。これについては建築史学はとくに方法論もなく、対象化さえしていない。リゾームだからである。ただこの側面は、空白域であり、伸びしろである。

《孵化過程》などがいまでもインパクトがあるのは、合理的解釈の背後に、神秘主義的ななにかが垣間見えるからなのであろう。そして20世紀そのものが、合理/神秘という激しい二元論により成り立っていたのではないかとさえ、考えられる。その両方を視野にいれられる希有な建築家として、ますます注目に値するということなのであろう。

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