« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月の3件の記事

2016.04.25

豊川斎赫『丹下健三 戦後日本の構想者』岩波新書

先日、建築会館のちかくで研究室のかなり後輩にあたる若い研究者とあって世間話のようなものをした。彼は敬老精神の持ち主であったこともおそらくあるが、建築的課題はとてもよく共有できたような気がした。ということは、ぼくもけっこう気持ちは若い?でも時代はさほど進展していないということか?などと感じ入った。

豊川さんの最新作を送っていただいた(ありがとうございます)。丹下のKWがうまく整理されており、読みやすく、密度濃い内容がこめられてり、読み応えがある。ただあえて批判すると、総論があいまいである。箴言「美しきもののみ機能的である」を冒頭にもってきた意図はわかるつもりだし、なかなかいい書き出しである。しかしかならずしも展開されいるのだろうか。今度会ったらそのあたりを解説していただけると思う。

個人的な興味としては、美、象徴性を論じているのだから、イセは不可欠とも思えるのだが、それは意図的に省略したのだろうか?

おぼろげながら想像するのは、豊川さんは新書ということもあって、丹下論全体を披露するというよりも、まず入口を明示し、はっきりした輪郭のスタートとしようとしたのであろう。それは丹下の「モダン」であると要約できるだろう。ヨーロッパのモダンにように、まず過去との切断をはかり、いちど建築を体系的に初期化し、そのタブララサのうえに、再構築する。かならずしも過去との完全切断ではなく、この再構築のプロセスにおいて、過去とのきずなも再接続される。そのような切断/再構築としてのモダンを、戦争を契機にして、実践したのがこの丹下である。豊川さんが整理整頓したKW群は、その再構築のための、ひとつひとつの石、ひとつひとつのレンガなのである。

だから方向性はしっかりしているのだが、いやしっかりさせたゆえに、ぎゃくに、やや平板に、ややデータベース的になってはいないだろうか。そして建築史家が建築や建築家をかたるとき、どうじに自分の歴史観をかたっているのだというぼくの了解をあてはめるなら、そのヴィジョンを聞きたいものである。

ぼくは70年代以降、多くの建築家やとくに建築史家は、丹下健三を仮想敵(のようでリアル敵)とあえてした経緯を実感できるだけに書くと、1913年生まれの丹下健三と、1914年生まれの丸山眞男はとてもかぶってしまうのだが、彼らのモダンの否定のされかたはよく似ている。彼らを否定した中心にいたのは、あるひとつの世代ということも似ている。丹下が再評価されているプロセスと、丸山が最近になって回顧されているのは、おなじような現象かもしれない。では、さんざん批判されたモダン、されどわれらがモダン、をふたたび論じるには、このようなよく整理された丹下モダンの叙述のうえに、もうひとつ別のレイヤーをオーバーラップさせなければならないだろう。

本書はなにに対抗しているかを考えるに、1977年に出版された新建築誌における近代の「虚構」性にかんする特集である。つまり近代建築は虚構を構築したのであった。1977年の時点で、それは批判されるべき虚構であり、当時の人びとにとっては戦前にまだ残っていた近代以前の国土と都市の一部は、実在するものであり、ひょっとしたら回復されるべき「本来性」の場所であった。そうした立場からの近代批判、丹下批判であった。しかし今日のわたしたちにとって、たとえ虚構であっても、もはや引きかえせない生きる場である。虚構はわたしたちが生きる世界という意味において、リアルなものに反転している。そしてそれ、虚構/リアル、を構築したのが、丹下健三、というより丹下的なものである。本書は、近代にたいする反近代、という70年的なものの構図を乗り越え、ふたたび近代を内側から生きなおす、認識しなおす、あたかも虚構の設計図を探す旅のようにも思える。だからぼくは批判もしたが、評価もしたい。

そして丹下健三を忘却するとか、しないとかという問題ではないだろうという気もする。彼が生きたプロセスをわたしたちがもし、追体験するようなことがあったら、どうするのだろうか、ということでもある。つまり、世間は激しい丹下時代のあとまったりした永遠の現在がずっとつづくと思い込んでいる。しかし、ペースは緩いが同じような方法論的再構築、歴史との切断と再接続に直面したときに、わたしたちには丹下のような根本があるのかどうか、という空想である。あるいは丹下を忘れたつもりでいたら、すべては丹下に支配されていたという別の悪夢も想像可能である。ぼくは悪夢を想像したほうが、よい(楽しい)と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.04.08

磯崎新『偶有性操縦法』青土社2016

磯崎先生より賜りました。御礼申し上げます。

しばらく大学を留守にしていたので、一週間ちかく遅れて手にした。

ザハ・ハディド追悼文も事前にメールでいただいた。勉強させていただいたが、あまり即座に反応するのもためらわれた。ただ、オリンピック誘致のためにおおいに活用したが、環境問題・建設費問題のためにリジェクトし、ということは手続き的にはどうかしらないが、その後の配慮がなさすぎるようである。国家として個人の名誉というものに無配慮だし、こういう国だから建築や建築家の価値も認識されないのだという永遠の嘆きとなってしまう。ザハ建築がとくに好みではないぼくですら、そう感じる。

いくつかの経路が交差しつつ展開する、そのような語りの文献である。

ひとつは丹下健三と梁思成とのパラレル。日本的と中国的が同時代に探求されたという説明。ただし日本はネーション=ステーツのふりをしていられるが、中国は帝国的であらざるをえないので、中国的という問いには、日本的文脈にはない困難が伴うと考えられる。

廃墟論のながれで、瓜生島、ヒロシマ、フクシマが語られる。これは最後の空地論までの伏線になっている。

さらに岡本太郎という軸線であり、バタイユ、ドニ・オリエの系譜の前衛思想である。これは「反建築」という批評軸となって貫通している。

主題は偶有性や冗長性などであり、談合システムと外圧の葛藤として日本という悪い場所が語られるのだが、近代職能問題をベタに論じる場でもないようである。ただ、職能や社会機構についての懸案もあるが、ル・コルビュジエとボザールの葛藤のようなことも遠い背景にはあるのであろうが、個人的には、同職組合的ないわゆる建築界としての一体性を実態ベースで検討したいとも考える(が大問題でもある)。

終章の『「空地」が生まれた』はやや唐突な幕引きではあるが、さまざまなことが合流し、そこからいくつかの方向へ流出する概念であろう。間(ま)や、空白としての広場(つくばセンタービル)、コーン(チームディズニービル)なのであろう。手前味噌だが、ぼくがatプラス25に書いた「聖なる空虚」論(いってみれば「磯崎先生に提出した宿題レポート」のようなものだが)の立場からすれば、たいへんごもっともだというべきであろう。

PP.210-211の見開きに、皇居前広場と神宮外苑の「空地」を結ぶ経路が描かれている。聖なる空虚と、御嶽に見立てた空地が、結ばれる。東京都心の緑地ネットワークを前景化したプロジェクトそのものはよくある。しかしこの空地ネットワークはまた別のものを考えさせる。皇居前広場は、国民がその身体をかけて社会構築を問うてきた歴史的空間であったとしたら、神宮外苑は伝統的にスポーツ施設がおおく建設された、身体性の都市空間であったといえる。祝祭、デモ、云々が都市空間から排斥されたのが70年代以降であったとすれば、このサーキットは、都市空間における国民の身体性を回復させるものかもしれない。

ただ時世との関連でいえば「空地」と「マイナス金利」は、素朴表象的にも、つよく関連しているという直感をいだく。素人がいうことでもないかもしれないが、利子のもつ神学的意味、資本制誕生との関連は、専門家たちが繰り返し指摘しているし、マイナス金利の経済論的、神学的な意味はこれから彼らが説明してくれるであろうから、注目すべきである。それはプロジェクトの意味を再考させるであろう。投資がかならずしも未来を築くわけではないという構図はすでに描かれてはいるようであり、それが再確認されるかもしれない。

内苑/外苑の諸研究からわかるように、国民からの寄付でなりたっていた場所である。そこにさらに国民の税金を投入することが予定されている。消費税問題はまだ決着しない。そのなかで日銀主導の別のかたちの税金と呼ばれているマイナス金利が導入される。「オモテナシ」は対外的アピールであったとともに、重層的課税についての国民懐柔であったことがわかる。そういう文脈で、投資効果は疑問視され、維持費不安もあれば、ここがしだいに歓迎される場所ではなくなっていきそうで、いやな予感ばかりが増幅される。

先日、初詣の専門家から、初詣の近代性と国民統合的意義について教えてもらったばかりである。神宮内苑/外苑においてケチをつけると、この国民統合にまでカゲを落としかねない。利子神学論の骨子は、時間はもともと神のもの、という考え方らしい。だから磯崎さんの空地論は、いちど神に戻す、という発想に還元されるのであろう。さなざまな祝祭の形態については、ぼくは無知であり、おまかせするしかない。しかし反建築による建築がなりたつとすれば、神にもどす、近代性の外に立ちうるという妄想、しかない。しかもこの発想は、いくどか繰り返されたもので、取扱注意である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.04.03

年度がかわる

卒業式。学科長なので祝辞をいい、卒業証書をひとりひとりに手渡す。ひとりひとりに、思い出せるかぎり、短いメッセージをいう。ひとりひとりの4年間にはそれぞれ「かけがえのなさ」がある。

謝恩会の二次会で、教員だけでワインをいただく。

人事異動。学科からの転出はひとり。律儀に31日の便で異動ということのようだ。転入もひとり。やはり31日。たぶん新幹線と飛行機。日本列島のどこかで、おたがいに知らないまま、交差していたのであろう。などと妄想する。新歓コンパの式次第を考えたり、学生気分だね。

同31日、博士論文の公聴会。オーソドックスだが、領域横断的でもあるという面白いテーマ。研究そのものは、ご指導もしっかりしており、文句のつけようもない、ただ広い、高い文脈にひきだして、いわゆる大所高所から論じてみるというのが招待された副査の仕事とこころえる。いかに高い次元に引き上げて賞賛するかでこちらの見識が見られる。かえりしな、他大学の先生方3人と世間話。

やはり31日。自宅マンションの30メートル先にコンビニ開店。すでに徒歩圏には4店のコンビニがあるのだが、この至近距離は感動的。

4月1日、新任の先生とお話しをする。これは単純な欠員補充ではなく、大学、学科などの戦略から決めた人事である。人の特性を最大限にいかすことで、組織もいかされる。ぼくなりの信念である。

2日。晴れ。ひさしぶりに浜辺をジョギングする。桜咲く。ビーチバレーをしている。日光浴をしている。砂浜。時間は強制的に?ゆっくり流れている。天が許したことにして、夕方からビール。なにか音楽を、ということで、ふと思い出し、高中正義《虹伝説》。35年ぶり・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »