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2016.02.21

石山寺多宝塔

恒例の関西古建築見学授業、今年は大報恩寺、北野天満宮、石山寺などであった。個人的な趣味としては、建築はすでに古代において完成していたとするので、いかに中世もゴシックがあったではないか、東大寺南大門はすごいのではないか、といわれても、この偏見はゆらがない。ただすこしは丸くなったのか、中世は作り手の指向性がすこしずつうかがえるので、それを察知するのは楽しい。

石山寺多宝塔は、先学たちがかならず言及するので、一度は見ておかねばと思いつつ見なかったものなので、よかった。円と正方形を組み合わせるのは幾何学的にも困難課題なのだが、ここではみごとに解かれている。さらに、大地に堆積しようとするもっこりしたストゥーパ状ボリュームと、飛翔せんとする鳥の羽のように反りかえる2層目の軒先の対比はみごとである。美意識によりみちびかれた造形である。それは生命感、肉感、躍動というより、観念、知的高み、瞑想を示している。

学生のひとりがニコンDfをもっていたので感激する。ニコンF2を愛用していた学生時代の自分にダブらせたからである。

建築は、理詰めで解明するのであろうか、感情で受け止めるのであろうか。などと思案しつつ、移動のバスのなかで、京都とはまったく異なる『暁の寺』の同じ頁を繰り返す。

「塔の重層感、重複感は息苦しいほどであった。・・・・一層一層が幾重の夢、幾重の期待、幾重の祈りで押し潰されながら、なお累積し累積して、空へ向って躙り寄って成した極彩色の塔。・・・・・・
  この塔は永きに亘って、色彩を以ってする暁鐘の役割を果たして来たのだった。鳴りひびいて暁に応える色彩。それは暁と同等の力、同等の重み、同等の破裂感を持つように造られたのだった。」(三島由紀夫『暁の寺』新潮文庫、p.19)

このわざとらしいあつくるしさを自虐的に浴びながら、むしろ木々のなかに潜もうとする現前の古寺を拝見するのである。

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