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2015年10月の5件の記事

2015.10.30

中村拓志"The Architecture of Sayama Lakeside Cemetery"

中村拓志さんから同タイトルの建築写真集が送られてきた。ありがとうございます。

佐山湖畔霊園の、管理休憩棟と礼拝堂である。

学生のころ、所沢聖地霊園をみて感激したが、聖なるものの与える感動としてはそれに匹敵する。arupの力を引き出すその手法も見事なのではあるが、コンピューターによる3次元モデリングと一品制作の手造りの組み合わせが素晴らしい。

管理休憩棟は、大きな傘のような屋根が印象的である。森にとけこんでおり、やけにすっきりした印象である。よく見ると、建物を水盤がとりかこんでいるので、雨水はすべてそこにおちる。だから屋根には樋がない。縦ハゼの大きい、チタンという屋根葺材そのもののエッジの、見つけはあくまで細く、すっきりしている。

礼拝堂は、合掌造りのようなA字型断面からなる単純な空間を、ひきのばし、ひねった不思議な空間である。ぼくの建築的記憶からむりやりひきだすと、エグゼター大聖堂のファンヴォールトのようなものともいえようか。内部にいると、扇状に展開する木製リブのカーブに取り囲まれたよう。屋根はもっと手が込んでいて、鋳造されたアルミ板葺である。ひとつひとつが手造り。屋根の端部は、それらが積層するようすが露出されている。
どちらも人間を完全につつみこむ建築ではない。故人を想う。そのとき内部にいながら、外を眺め、思いにふける。つまり此岸にいながら彼岸を見る、そのかたちにおいて故人を想うのである。そのとき身体は内部に、精神は外部にという構図ができる。であれば建築的に、内部と外部のエッジは極小化してみせる。そのほうが、かえって、内部と外部は強い対比をなし、適切な距離感が生まれる。ベーシックなことでありながら、建築家たちが挑戦しつづけた難問でもある。ここでの解は、建築家の的確な問題意識と、創造性を示している。つまりひとつの問いにふたつの優れた解を示す、というような。

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2015.10.25

ヤフオクドームの東京音頭

にわかスワローズファンになって、ビジター応援指定席で観戦してきた。

下馬評どおりというか・・・・。得点差からすれば、粉砕されたというわけではないが、スワローズがいくら挑戦しても、はね返されるといった印象で、チャンスもつくれないままであった。ホークスは圧倒しようとテンションを高めることもなく、淡々と投げて打って、涼しい顔でそこに立ちつづけていた。

贔屓のチームを応援するという段階は通り過ぎたので、ようするにプロらしいレベルの高いパフォーマンスを見ればよかった。だから満足ではあった。

数年ぶりに観戦すると、思い出が走馬燈のようによみがえる。ぼくは、王のホームランも、長島の引退試合も、できたばかりの根本ライオンズが負け続けるのも、広岡ライオンズの初優勝も、東尾のデッドボールも、工藤のカーブも、球場で見てきた。

ながく見てくると、勝負そのものよりも、それに陶酔する人間たちのほうに興味がうつってくる。お楽しみはこれからかもしれない。

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2015.10.23

ギアさんのTOTO講演会

先日、ぼくの大学でTOTO出版主催によるベトナム建築家ギアさんの講演会が開催された。

ぼくはホストを務め、講演会にさきだって、大橋キャンパス、伊都キャンパスにある内藤廣設計椎木講堂、福岡大学キャンパスにある槇文彦設計60周年記念ホール、を案内した。1日で3キャンパスをめぐると、横断的にいろいろな違いもわかる。かつ私大と国立大の違いも体感できる。学生の生き生き感はすこしまぶしいし、三次元的に空間が相貫するなかに、人のたたずまいがさまざまに感じられるのは、身体性がいかなる世界を織りなすかの建築化である。いっぽう田園のなかの、荒涼たる風景のなかの、巨大なアトリウムはその空虚さが感動的ですらある。建築でなにができるか、それを感じ入ったミニツアーであった。

ギアさんの講演は、グローバル化のなかで急成長する都市のなかの、さまざまな悪条件と苦難のなかで、いかに創案してゆくかというお話であったが、そのなかに日本の建築家たちも、方法論、プロジェクト、人材を共有して、ともに地球の課題として取り組んでいけるという希望をも示してくれた。

「瞑想」というのも、困難の克服法であり、壁に激突するだけではないことを教えてくれる。

アジアの拠点的な建築学科がネットワークをつくり、定期的にワークショップを開催して建築プロジェクト教育をする、それを特別イベントではなく手弁当で普段着でやる、というようなことがもっと一般的になるのであろう。そのとき、大学も頑張るが、TOTO出版のようなメディアが情報発信の拠点となる。大学を含む建築界により、学生をそだててゆく、というのが好ましく、これからはそうなってゆくであろう。

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2015.10.16

赤頭巾ちゃん気をつけて

大学教員たちが一斉に書類を書かされるこの時期になると、綿密な作業に不向きなぼくは、つい逃避の読書にそれてしまう。刈部直『丸山眞男』の、終章だけはよく読み返す。庄司薫は丸山眞男の弟子スジであったことを後年知って、ああそうかと思ったからであった。『赤頭巾』の最後に登場する、「たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、・・・・でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの・・・・強さみたいなものを目指していく・・・」を体現している大山教授とは、彼が政治学をならった丸山眞男教授であった。丸山が、大学紛争のころ、左右から攻撃され、ときに学生たちにつるしあげられた、という背景を考え合わせると、庄司薫が恩師を援護してイデオロギーの暴力を批判するのは味わい深い。ちなみに三島由紀夫事件も、あさま山荘もそのあとである。

ぼくは中学生であった。『赤頭巾』はけっこう面白かった。13歳にとっては、18歳は大人の世界であった。ついでにいうとこの前後、故郷の県立図書館で、霊感にひかれ丸山の『日本の思想』を書架にみつけ、論の熱気にのまれ、ほぼ理解できたはずもないのに、最後まで読んでしまった。ところが『日本の思想』と『赤頭巾』との関連など、考えもつかない。まあ関心も薄かったし。それが歳をとってやっと知ったというわけである。

近代というのはいちど過去を清算して構築したことになっている。つまり自然(じねん)でなく、作為による。近代批判はそれを再批判する。ただ世界は作為によって成り立つという考え方も普遍性があって、西洋建築史のなかにはそんな議論もある。この件はほとんど議論されていないので、やがてぼくがまとめるであろう。

『赤頭巾』のもうひとつの楽しみ方は、これが60年代ラディカリズム「以前」の感性によって書かれているということであろう。古いといえば、たいへん古い。批判されたひとつの背景である。ところが、建築界では、ポスト・ラディカリズムが語られることはあったが、じつは最近まではこのラディカリズム支配は続いていた。最近、それが決定的に終わりつつあるという印象をもつ。であるなら歴史観そのものはもっと解放されていい。それがたとえば問題コンペを思想として語るという依頼をうけたぼくが、発展させてもいいと思う方向である。

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2015.10.09

『日本の思想』としての新国立競技場コンペ

10+1 web siteに標記を寄稿させていただきました。

http://10plus1.jp/monthly/2015/10/issue-04.php

特集『新国立競技場問題スタディー「白紙撤回」への経緯と争点』である。ほかに松田さん、青井さん、日埜さんが寄稿している。

さて日本建築界を揺るがしている大問題なのであるし、その問題全体を検討することはぼくの力を超えているような感もある。しかしこれがオリンピック問題なら、たいしたものではないことも、あきらかだ。つまり1980年代にあったような、アマチュアリズム、商業主義化、冷戦下でのボイコット、などと比べると、どうということはない。むしろ火に油を注いで、もっと深刻に、もっと普遍化できないものかなとも思う。

では日本建築界の問題としてはどうか。コンペ、職能など、制度の問題としては終わりなきもののようでもある。プロジェクト規模に比例して、問題も大きくはなったが、本質的な差はないようにも感じる。

ではやはり都市のありようの問題であろう。ストレートにこれは、外苑はどうあるべきか、外苑を含む東京はどうあるべきか、であろう。さらにいえば建築家問題が、コンペ、職能といった20世紀型の問題に限定されているので、都市全体を構想する拡大建築家などというものを想定すればいいのかもしれない。まあこれはぼく以外の専門家たちの課題である。

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