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2015.08.26

北山恒『都市のエージェントはだれなのか』

北山さんからいただきました。ありがとうございます。熱いメッセージも頁にはさまれていた。なぜか成城学園前のドトールで、気合い入れて読んでみた。

周知のとおり北山さんは、真の意味の都市建築を探求してきた建築家として、Y-GSAの管理運営責任者やその教育研究スタッフのひとりとして、時代の課題に真正面から取り組まれてきた感がある。そして本書は大学教員退任記念書といった意味合いの、ビジョンを問う著作となっている。

パリ、NY、東京が俎上にのせられた資本主義都市批判である。1950年代生まれの彼は、全共闘世代とも団塊の世代とも微妙にちがう価値観がありそうだと感じる。1968年の切断面をつくった当事者というより、それによりもっとも影響を受けてしまった世代という自覚である。ただ5月革命もよいのだが、本論の主旨からいえば1968年の都市政策大綱はとりあげられてしかるべきであろう。

パブリックとプライべートとの対比についての論は、ぼくとしては反対というわけではないが、なにかべつの言い方もあるのではないかと感じた。おおまかにいって最近の建築家たちはコモンズという第3の道を模索していることは感じる。しかし歴史的文脈で説明するとき、あたかもそれ以前は資本主義により公と私しなかったようにいうのは極端だと思う。つまりコモンズは近世から近代にかけて、劣勢とはいえそれなりに保存されてきたとおもうし、1970年代のコミュニティ試行もその遺産をすこしは活用していたはずである。脱線するが、数年前ぼくは、クリエイティブシティ横浜の企画で山本さんによばれて、19世紀パリの都市形成についてしゃべった。20世紀的な不動産業とはなまたちがう、19世紀の都市形成について話した。基本は営利目的の市街地開発なのだけれど、まだまだ企画立案者にこれからの都市ビジョンについての理想というようなものがあった。それらはマルクスにより空想的社会主義として非難されたのであるが、21世紀の可能性はこの「挫折した19世紀」にあるのではないか。

同感したのは、シカゴ派への注視である。建築におけるシカゴ派と、社会学や経済学におけるシカゴ学派は、都市シカゴの急速な資本主義的発展という共通の課題を考えていたということで、通底するものがあるという点は、21世紀になってふたたび重要なものとなっている。というようなことを最近考えていたのだが、北山さんもそのように指摘していた。バージェス「同心円的地域構造説」(69頁)などは今日でもコミュニティ論の支柱のひとつであるようだし。

「完全な土地私有」(102、130頁など)というアメリカモデルを日本は採用したわけである。学生であったころ、ヨーロッパとくにドイツなどでは土地は社会資産であって個人資産ではないが、日本では私的財産とみなされるので、公共性は欠如し、都市計画もうまくいかない、このような日本的問題を、ぼくの世代は教えられてきたものであった。こうした場合の社会は、「公、協、私、民」構図(121頁)のどこにおさまるのだろう?

マックス・ウェーバーだったか、古代から商人はいたし商人根性もあったが、なぜ近代だけが資本主義社会と呼べるのであろうか、という問いをなげかけた。ぼくなりに考えると、昔の商人は、まさに私利私欲のために商売した。ところが資本主義社会の商人は、この私利私欲ではなく、まさに資本の欲のために、ほとんど滅私奉公的に?はたらいた。そこにいわゆる世俗的禁欲主義なるものが必要だったわけである。

すると資本というのはユニバーサルな神や霊魂のようなもので、サーバ内の数値のようなもので、それが具体的な個々の商人たちにのりうつり、自分の欲望を彼ら商人が実現するよう、さまざまな指令をだしてゆく、というようなことがイメージできる。

そういう意味では、じつは本書ではまだまだ論じ尽くされていない、だから可能性がある、のが「エージェント」という概念である。ぼくなりに整理すると、資本が都市をつくる、のが基本的構図である。すると「都市のエージェント」ではない。問題はだれが「資本のエージェント」となって、都市をつくっているのか、ということだ。資本そのものは最終的には数字に還元されるしかない、ドライで、普遍的で、抽象的なものである。それがあるプロジェクトにおいて、資本は代理人を指定して、彼に実現させようとする。それがだれかは時代や場所によってかわりうる。その「エージェントX」が都市をつくっている、というかたちになる。このXは、いわゆる資本家とはかぎらず、建設企業、不動産会社、市町村、国などであろう。しかし資産のある個人もそうなりうるし、じつはここに地域社会やアソシエーションも代入しうる。すぐにそうなるのはむつかしいとしたら、代入できるようなものに育てる、なっていただくなどの目標がたてられる。そうすると近年のさまざまな試行の前途に目標のようなものがぼんやりとうかんできそうである。ただ、さらなる資本の支配がすすむことはいえそうであるが。

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