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2015年7月の4件の記事

2015.07.15

川添登

メディアによりご逝去を知った。

ぼくが建築を学び始めたころ、彼は現代建築論についての主著をすでにものしていて、つぎの目標にすでにむかっていたころであった。しかしそれゆえに、完成度の高い論考により、学んだことは多かった。『現代建築を創るもの』や『日本文化と建築』などである。

訃報を聞いてそれらをぱらぱらと読み返すのであるが、基本的にはヘーゲルやマルクスなどどちらかというと戦前的教養が基礎になっているような印象である。これは伊藤ていじについても感じることである。批判をしているのではない。戦前の教養人たちはやはり幅がひろい。建築史に限っても、あの世代のひとびとは数カ国語をあやつれたという。とはいえ戦後の、実存主義や、構造主義には無関心であったようである。基本的には戦前のドイツ観念論、戦後のフランス現代思想というおおきな流れは、建築論にもいえる。おそらくそれを知りつつも、自分の進路を選んでいったのであろう。

そういう部分を差し引くとしても、斜めにせよ読み返して、あらためて先人の偉大さに気づく。つまり哲学、思想、技術論、建築論などがひとつとなって建築が論じられている。その、建築をひとつの世界として描こうという、迷いのない強い意思である。いっぽう現代の建築へのアプローチは、狭義の建築だ、いや都市だ、いや地域だ、というように細かいセクト化がすすみすぎている。そのなかで建築を論じることの普遍性、というようなことを、ぼく自身も反省する。ぼくたちはむしろ、建築を分断し、細分化し、矮小化しているのではないか。

ぼくたちが先人の過去性を指摘することはたやすい。しかし100年後、先人たちとぼくたちが共通の土俵で比較されたとき、ぼくたちの独自性や存在意義はどこにあるであろうか、自信をもっていえるのだろうか?そう思うと、いまこそ現代的興味で先人を読みかえすべきかもしれない。

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2015.07.14

この人を見よ(磯崎新建築論集8)

磯崎新は解体された建築と、不在となった主題にもかかわらず、デミウルゴスとして建築する。建築を制作するとも、建築を思索するともいえない。まさに「建築する」。ちょうどニーチェも、神の死と、ルサンチマンとしての信心にもかかわらず、超人ツァラトストラとして自信に満ちているように。この人を見よ。そう、ぼくもこの人を見てきた。勤勉ではなかったが、ときどきは気合いをいれて見てきた。そしてその像はどう結んだのであろうか。

『磯崎新建築論集8 制作の現場』が編集した豊川斎赫さんから届いた。ありがとうございます。

プロジェクトごとにチャプターが整理されている。12プロジェクト。興味があったので数えると、アンビルトが6件、実現されたものが6件。プロジェクごとに、磯崎新の自注、編集者の解題、複数の批評家の批評、が併記される。そしてそれらが全体として収斂してゆく結論というものもない。法廷パラダイムという説明であるが、判決の日取りも与えられていない。

それらは祝祭なのである。法廷であってもいいが、裁判がそのまま祭りとなる。ひとつのプロジェクト、ひとつの未決定の対象にむかって、多くの人々がさまざまな声をあげて、調和したり対立したりする。参加者たちはその高揚に飲み込まれる。高揚とははじまりはプロセスでしかないとおもわれていたが、やがて目的にすりかわってしまう。

ほとんどの人は、プロジェクトにたいして目的論的か、決定論的か、使命論的かである。磯崎新だけがさらに祝祭的でありうる。しかも彼は、ダンサーにしてプロデューサーである。

そして本書を読みながら、読者はこのバーチャルな祝祭にしだいに参加しはじめる。アンビルトは呪いのように脳に憑依しはじめる。その高揚のなかで、プロジェクトを妄想し、構想し、反芻しつづける。デミウルゴスはそのようにそそのかす。そのそそのかしのなかで、あらゆるものが飲み込まれ、錬金術的に第三の物質を生むような霊感があたえられる。

祝祭の高揚のなかでは、もはや批判などは野暮なものであろう。この人を見なければならない。

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2015.07.13

廃墟論

工学部一号館で建築史の話し合いがおわったあと、隣の教室で人文系の先生方が廃墟論を論じていたので、小一時間聞いてきた。80年代の廃墟論のレビューであった。

コメントを求められたが、もう年寄りなのだからどうしようかとすこし躊躇し、手短なコメントにとどめた。廃墟とはもはや生きられていない建築だが、そこでは住人がいないのではなく、むしろ「不在そのもの」があるという主題性ではないか。そして虚なるものがリアリティをもった存在に感じられるのは、むしろ霊魂、悪霊を感じる感じ方にちかいのではないか。ということをいった。するとホラー映画の文脈とか、あっというまに論を組み立てられるのはさすがであった。

そののち、すこし考えてみるに、近代宗教学のなかで、名付けることもできない初源的な霊性のようなものを「マナ」といい、それが発展してアニミズム、原始宗教、多神教、一神教という発展図式ができたのは19世紀末ころであったことを思い出す。そうすると80年代の廃墟論は、直裁には産業構造とそれに連動した都市構造の変革というものがあったにせと、人々は無意識的に、その変革のプロセスにおいて不可避的に出現する空虚のなかに、マナが跋扈する原世界といったようなもの、人間の構築が介入する以前にあるのは完全な真空ではなく、なにか霊的なものに満たされたなにかがある、という構図が浮上する。それはゲニウスロキといった、その場所固有の憑依霊だけではなく、人間がアプリオリにもっている霊的衝動のようなものではないか。それは私たちの精神を投影したものではないか。

それから多木浩二の「生きられた家」と、この霊的空虚としての「廃墟」は、みごとに、というか本質的に、対(つい)をなしているようにおもわれる。20世紀後半的文脈においても、思想的文脈においても。ぼくとしては建築的文脈でならすこし推論できるかもしれない。

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宗教建築研究の新しい可能性

工学部一号館というところで、専門が近い研究者数名で話し合った。具体的には、19世紀の宗教建築は、建設や管理運営の主体が宗教団体ではなく、国や自立的な世俗アソシエーションであることがおおく、そのことの歴史的な意味をさぐろうという主旨であった。フランスを専門としていると隣の国にはうとくなるのだが、ドイツやイギリスの場合もかなり平行現象がみられることや、日本を代表する教会建築家によるリアリティにもとづいた指摘からも、たいへん勉強になった。全体としては19世紀に限定した話であっても、現代の教会建築設計における諸課題と地続きであるというようなこと。全体としてたいへん成功であった。

とくに面白かったのは、政教分離というような構図のなかで、広島平和記念聖堂と広島ピースセンターとの関係である。前者はコンペ不調で村野藤吾が設計、後者は丹下健三による。いままでは建築史の作家論的な視点から論じられることがおおかった。ところが宗教論的には、前者はカトリック直営、後者はいわば世俗社会によるもの、と大別できる。このような聖性関連施設の付置のなかに、現代におけるモニュメントの課題が表現されているように思われる。すなわち一個一個の祈念碑をイコノグラフィックに解題するだけではみえてこない問題がある。それらが都市のなかにいかに分散され付置されることで、総体として、たんなる算術的加算以上のものを意味するようになるはずである。これは都市の再考になるであろう。

目黒美術館では村野藤吾展が開催されており、この記念聖堂の模型を展示されているのだが、宗教性の目線ではこの聖堂はアポカリプス、つまりこの後はない状況を表しているにもかかわらず、建築は優しく、厳しいまでの聖性はあまり感じない。それでは最初のコンペにおいて丹下案が宗教的超越性の不足により2位にとどまったことをどれくらい克服しているか、こんどは建築的価値観からはどうであろうか、と思う。それを考えれば、丹下がそののち超越的なもの、象徴的なものを探求して最後は東京カテドラルに到達するのは、感動的ですらある。それをある人は、戦前の都市プロジェクトと関連づけて、国家主義的ではないかとほのめかすのだが、それも一方的であろうと思う。

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