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2015.05.16

磯崎新『日本建築思想史』

著者様よりいただきました。ありがとうございます。

よくできた本で、かつての和様化論をバージョンアップさせ、25年周期の近代日本建築史の素描を提供している。

最近の著作を拝見していると、磯崎さんは自分語りをずっとしており、自分をアーカイブ化しつつ、若い世代を育てようとしていると拝見した。繰り返しも多いのだが、しかし内容はしだいに深化し、小さいが新しい発見もあり、飽きさせない。一歩誤ると暴露本的になるかもしれないような内容であっても、歴史の構成要素として役立ちうるようなものばかりである。

磯崎的知性はなにかをつらつら考えてみるに、分類法的であるということである。『日本の都市空間』における都市計画4段階発展説いらい、みごとな分類を展開しているし、今回は4層の文化的地層(古層、江戸、近代、新世界)である。彼は、自分にはアカデミックな探究には興味ないと主張されるのだが、これはこれでじゅうぶん学者的である。むしろ学者さんがすることくらいできるよ、というっているように聞こえる。そこで先日お目にかかったときに、場の空気もあって、磯崎先生は・・・と言ってみたら、じつにすんなりした。もう磯崎先生でいいかもしれない(が結局、空気に従うのである)。

中身のディテールにいちいち触れないし、こういう読書は、読みつつふつふつと湧いてくる妄想のほうが面白い。堀口捨己「非都市的なもの」「日本的なもの」とか、伊藤ていじの「間」概念などは、それを考えつくまでの助走と研鑽もあったであろうが、なによりあるとき、アプリオリに現前にくっきりみえていたヴィジョンのようなものであろう。『日本デザイン論』の「間」論を再読したときの印象だが、とにかくはっきり見えている、しかしいい言葉が見つからない、その葛藤があのこむつかしい文章を生んだのはあきらかなように思える。

発展段階論というのは、やはり近代日本という文脈では、結果的にクリティカルであった。なぜなら基本的に、近代/反近代という二元論に支配されたことが日本近代の最大の問題なのである。このことの重要性にはだれも気がつかず、あいかわらず二元論が再生産されつづける。しかし磯崎さん、失礼、磯崎先生は反近代か、それもあるが非近代もある、さらに前近代も、というように崩し始める。つまり彼は「二元論崩し」をやっているのである。このことに気づこう!

二元論的日本近代にたいして「二元論崩し」を徹底することについては、賛同したい気持ちである。さらにいうと、あくまで自由人の立場を貫こうとすることは、やや自作自演的なムードはするとはいえ、前向きにうけとれば、第三者の立場にたとうとすることだし、それは社会学者がいう第三者の審級というものを獲得するための戦略にようにも思える。

ただあえて批判すると、磯崎新が建築史を書いたら、というような企画は、すこし磯崎依存がすぎはしないか。歴史家はあくまで批評家であり、建築家はそうではないと彼自身も指摘していた。横手さんの世代は、彼の言葉をアーカイブしてゆく世代的ミッションがあるにしても、すこしは挑戦してほしいし、伊藤ていじ大先輩ももっていた建築的ヴィジョンにおいてそうしてほしい。

それで結局、磯崎的、堀口/丹下/磯崎/妹島の輪廻転生とはなにかということである。三島由紀夫『豊饒の海』は言及されているし、ぼくも気になっているが、年とって読み返すと、虚無という運命との和解のようにも読める。それがぞっとするような空虚だともただちには思えない。三島のばあいは仏教的世界観が構図として描かれており、その虚構の枠組みが最後には意味をもつこともある。では時代的切断によって区切られた25年ごとの背後に、どういう宇宙があるのか、がつぎの問いではある。

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コメント


土居先生、初めまして。
私は仙台で建築の勉強をしています。私が建築を勉強していく中で、磯崎先生は避けて通れません。また磯崎先生の考えを、建築を理解するということは、私にとってはミッションインポッシブルに近いものとなっています。そのため、失礼かとは思いますが、建築を理解するために先生に質問をさせてください。

磯崎先生の「二元論崩し」は、磯崎先生の師である丹下先生にその起源があるように思います。丹下先生は『縄文/弥生』、『伝統/創造』などの二項対立を掲げて、その弁証法的統一は図っていました。磯崎先生は、その著書から、師の手法からの脱却ということが発端となっていると拝察できます。また、岡本太郎氏の対極主義の影響も感じられます。

ここで、私が思うことは『二元論』や『二元論崩し』は絶対的存在がいるなり、権力の所在がはっきりしているときに、はじめて成立します。つまり、丹下という絶対的存在がいて、戦後日本建築界の中心とみんながはっきり認識していた。絶対的権力も政府や官僚にあるとわかっていた。「反権力も権力の思考の一つ」という言葉がありますが、思考を進める上で、絶対的な存在が必要になります。

しかし、現代においては、建築が何かということ、権力の所在というものがはっきり見えてきません。つまり、現代を見つめる上では『二元論』や『二元論崩し』が成り立たないのではないかという疑問が私の中で湧いてくるのです。たしかに、テレビや新聞などのマスコミの報道を見れば、二項対立で溢れています。しかし、これは単にマスコミが、短い時間枠や少ない文字数の中でいかに自分たちの責任をどう回避するか、という組立ての中で使われているに過ぎません。

このような現状の中で、私たちが建築と向き合うことになった場合、何をはじまりに定めればいいのでしょうか。物事の絶対をつくりだすことでしょうか。自分が何を望んでいるかということを、強く意識することでしょうか。

初投稿にもかかわらず、長々と文章を書き、また答えにくい質問と思いますが、よろしくおねがいします。

投稿: O.M | 2015.06.19 09:01

名乗らない人に答える義務は感じませんが、真摯なご指摘ですので、ぼくなりの返答を書きます。

丹下については神格化しすぎないことです。代々木オリンピックプールの件で建設大臣に直訴したので、それ以降は官僚たちは丹下を無視したことはよく聞きますし、そんなに絶対的存在ではありません。

さらに丹下流の弁証法は、やはり二元論のダイナミックな乗り越えであることに歴史的な意味があります。そういう意味では、磯崎さんも超越的視点という点では継承している。もちろん具体的なあらわれは違います。

磯崎さんが対峙した二元論とは、とくに1970年代の反近代思想のことです。あのころの近代批判はそれなりに意味があったとは思いますが、弁証法的なブレークスルーはなく、依怙地なところがありました。これについて、最近の左翼批判の思想家が指摘していることは、それほど的外れではないというのが実感です。とうぜん背景には冷戦構造があり、東西対決という和解しがたいものがあり、その代理戦争を国内でおこなっていたと理解できます。

磯崎さんは、冷戦構造の前の時代を知っているからこそ、それから自由でありえたと思います。

さて21世紀初頭の状況にもどると、二元論と、それを前提とする二元論崩しもありえないのも事実です。それはおそらく投稿者にとっての切実な状況でしょう。

もうすこし正確にかくと、いわゆる戦後のラディカリズムがすでに成り立たない。その象徴が、新国立競技場の一件です。あれは戦後ラディカリズムが(まさに反権力という権力)がすでに成り立たないのに、その不成立性に気がつかないで昔の勢いでやってしまった事件です。そのラディカルたちに批判されていたモダンの人びとが、より常識的でモラルを守っているように見える。立場が180度逆転したのです。これが二元論も二元論崩しもなりたたないということの現実です。

そこでその状況で、建築を向き合うこととは、なにか。磯崎的スタンスは、悩む自分、自分を悩ませている状況、などもろもろ一式を、いちどカッコにくくって、客観的に眺めてみる、というような、一種の自己疎外化ではなかったかと思います。これは自動的に解が見つかるというような方法論ではないと思いますが、すくなくとも磯崎さんは建設的なサーフをしていた(ということでしばしば批判されるのですが)、はじまりや絶対点を求めることもなく、ということです。あまり答えになっていませんが、問いかけを変えたらどうか、とお答えすることとします。

投稿: | 2015.06.19 10:43

先程、質問した東北大学の小野寺操というものです。
土居先生にお答えを求めたにもかかわらず、自分の名前を明かさなかった失礼を、まずお詫びします。私は名乗れるような立場を持っていないため、先程のような形で質問をしてしまいました。先生のご指摘がなければ、そのような非礼に気がつかない自分を恥ずかしく思います。本当に申し訳ありませんでした。

それにもかかわらず、丁寧な回答をいただけたことに本当に感謝します。ありがとうございます。

私事にはなりますが、仙台で被災し、被災地の惨状の移り変わり、というより更地のまま何も変わらない現状や、建築の話題では伊東豊雄先生がプロデュースする「みんなの家」の厳しい現状を自分の目で見てきました。
東北に住み、眺めていく中で、他人と同じベクトルに向かうような方法は何か、何を共通項にすればいいかと考えています。戦後は、焼けた都市、建築界では丹下という存在が、思考の接続方法は人それぞれにしろ、それが人々の共通項になっていたのではないか。津波に流されたあの惨状はなぜ共通項になりえないのだろうか。
このような思いが募り、先程の質問に至りました。これは言い訳がましく聞こえるかもしれません。

しかし、先の問いは、戦後という時代が歴史になって自分が俯瞰出来る立場があって出てくるものであり、自分が存在する時間軸においては、どんな時代にあっても物事のはじまりや絶対点は見えないのだろうと、考えるようになりました。
これからは、自分が出来ることを見据え、自分が実感したことを足がかりに、建築の勉強に励みたいと思います。

今日は本当にありがとうございました。

投稿: 小野寺操 | 2015.06.19 14:21

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