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2015年5月の4件の記事

2015.05.30

日本建築学会の授賞式にて建築界を思う

金曜日は日帰りで建築会館にいってきた。

もうお役ご免なので書いていいのだが、ぼくごときが偉そうに、某賞選定委員会の委員長であったので、ご指示により出席した。多くの優秀な研究者や建築家たちが受賞したが、やはりこういう場は、晴れやかさが違う。受賞者たちの高揚感が会場を満たし、ぼくまであやかって、ハッピーになってしまうという感じである。

昔からの知り合いとしては布野さん、松村さん、植田さん、地元勢のなかでは、末廣さん、徳田くん(わが学科のOBである!)らが受賞。おめでとうございます。そのほか多くの受賞者のみなさまに挨拶してまわり、いあわせた先輩とも歓談。悪の商談もほんの少し。帰りの飛行機があったので、残念ながら、懇親会に1時間は短すぎた。

ところでテーマをあわせたわけではないが、行きの飛行機のなかで『建築的価値』というアメリカ人研究者の本を読んでいた。ごくいちぶだけパラパラと目をとおしただけだが、MOMAのインターナショナル建築展から、アメリカ人たちがなんとかイズム、なんとか派などと、マニフェストしたり、レッテルを貼る行為そのものの意味について、ぼくたち日本人の感覚がちょっと違うことに気がつく。つまりぼくたちにとって、建築運動のマニフェストはそれはそれだが、それ以上ではない。しかし西洋では、それが価値判断の基準となりうる、というような感じである。だからインターナショナル建築展は、「国際様式」がこれから流行りますよという予測にとどまらず、いくつかの指標を出して、このスタイルが価値基準となるというご神託をしているようなところがある。だからその様式がほんとうに広まってしまうのは、予想が当たったというのではなく、ミュージアム=権力の指示に現象が従った、ということなのである。

だから自由の国アメリカがときに統制的に見えるのは、そのような事情なのであろう。

そうかんがえてみると、日本人にとって、なんとか主義などは、やはり外来の主義であり内発的なものではないので、価値判断の基準にしては相対的に弱いという印象である。これは国家統治のために仏教を移入したというイデオロギー構造のありかたと似ているのかもしれない。

学会賞は、学会内の相互評価がもともとなのだが、転じて、あるいは発展して、社会にたいする学会の自己評価、自己存在証明という側面もある。建築界が実体としてあり、発展するには、むしろ後者がもっと重要になる。それは学会というものの意義にとどまらず、建築を評価すること、建築の価値を示すこと、そのものに繋がるからである。

MOMAのことを批判的にかいたのだが、そこで注目しなければならないのは、博物館による文化コントロール(ちょうどモード界のように)や、職能運動、さらにはより全般的な建設業界の発展により、ひとつの「建築界」が構築されたということなのだ。イギリスやフランスなどを考える場合、RIBAだのボザールだのといったひとつの組織を考察するにとどまってはいけない。それぞれの「建築界」が、地理的そして歴史的な事実として形成された、そのプロセスが重要なのである。

これを今はやりの概念でいうと、資本、ネーション、ステーツの三位一体構造のなかで、「建築界」はネーションに相当する。いちどできれば、これは不可分なひとつの実体である。グローバル化のなかで、資本の一人勝ちに対抗するものとして、ますます重要になるかもしれない。

これから近代建築家研究、職能、組織論などに取り組まれる若い研究者がいるとすれば、この「建築界」の形成プロセスはいかに、が最終ターゲットであることをめざしてほしい。

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2015.05.16

山本理顕『権力の空間/空間の権力』

著者様よりいただきました。ありがとうございます。

雑誌に連載された論文をまとめたものであり、このブログでもなんども紹介したから、こまかい解説は不要であろう。

山本さんとはもともと接点はなかったが、石堂さんに彼の建築を案内していただいたことがご縁で、よく彼の建築を拝見させていただくことになった。建築観的にも共通点があった。ぼくは研究しかしないが、山本さんはそれにくわえて設計をされるので、永年尊敬しておりました。

本書はしたがって、彼の建築論的ライフワークというべきもので、重厚で、深い。

ただ率直に不満をいわせていただくと、古代ギリシア、19世紀労働者住宅、世界の集落調査、現代日本の公共住宅というワープのしかたが大胆すぎて、よく理解できない。とくに労働者住宅は、なるほど住宅をとおしての管理であり、政策によってまさに社会構成を操作するものであったが、ただ19世紀の文脈でないとその是非は判断できないのであり、山本さんの普遍的問題意識においてどうこういうのはフェアではない。たしかに中野隆生によるプラグ街研究はよくできたものだが、フランスの住宅史研究(とうぜんフランス語での研究書はうんざりするほどあるが、英語ではないので日本にはまったく伝えられていない)のなかでは結論においてとりたてて独特だというわけでもないし、19世紀から20世紀にかけて住宅政策がそれこそ5年ごとにおおきく変わっていったという歴史的経緯を考えるなら、国家による一方的で永続的な管理強化の歴史であったなどとはいえないと思う。基本的には、19世紀の住宅は、完全な民業なのであり、それこそ資本の論理による労働者搾取なのである。政府は、民業圧迫を非難されるのを怖れて勝手にやらせていたが、ある段階で、いわゆる公的介入をする。国家は重い腰をあげて救世主たらんとした。もちろん結果的に管理はあったとしても。これが20世紀初頭の「社会」概念の奔流となってゆく。

それから世界と社会の区別にもいちおうは同意する。これは素人発言なのだけれど、「社会」はおもには近代になって発明された造語である。近代は、人間の群を「社会として」把握しようとした時代であり、その意味で、知は権力である。フーコーの指摘するように。ただそうすると「世界」とはもとからあった世界ではなく、「社会」ではないなにか人間の群としての存在形態、というさらにつぎの段階の概念構築だと思うのが論理的である。それが古代や中世にはあったかもしれない世界観と意図的に混同されているかもしれない、というのが懸念である。それは人間には「本来性」があるはずだという揺るぎない信念である。「社会」を批判するには、その本来性を出発点とするしかない。しかし本来性もまた構築されたものだったとしたら?

さらに近代における国家と個人の両極化についても同意である。それは革命のときにそうなる。革命政権は、それいぜんの政権以上に、中央集権的になる。そこでは中間集団は徹底的に排除される。ロシア革命は悲惨であった。フランス革命も、中間集団を絶滅させた。しかしそれから100年後、20世紀はじめ、フランスはアソシエーション法を制定して、中間集団を発展させる枠組みをつくった。これは日本流にいうとNPOや、新しい公共といったものの先行例となった。

ぼく自身は、ひとりの生活者として、もう本来性の場所などないと思っているし、そのために努力しようとも思わない。ぼくにとって社会とは現実だが、世界とは妄想にすぎない。ただ、ぼくは世界を妄想しつづける、ともいっておこう。そして社会が管理的で抑圧的であっても、すこしよくすることはできるのではないかとは思う。研究者的目線では、19世紀の前期近代は、ユートピア思想をはじめほとんどの試みは挫折したのであるし、しかも理論的にはマルクス主義によって否定され尽くしたのだが、じつは国家管理一元化にむかってばく進していた状況のなかで、自律的な集団を構築しようとしていたのはむしろ19世紀ではないか、という観測をもっている。

そういうこともふくめ地域社会圏という方向にむけて、歴史は動いているのは、ご指摘のとおりである。横浜での具体的スタディにもとづいており、率直に拝読している。これを刺激にして、ぼくも10年後、住宅論を書いてみたい。

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磯崎新『日本建築思想史』

著者様よりいただきました。ありがとうございます。

よくできた本で、かつての和様化論をバージョンアップさせ、25年周期の近代日本建築史の素描を提供している。

最近の著作を拝見していると、磯崎さんは自分語りをずっとしており、自分をアーカイブ化しつつ、若い世代を育てようとしていると拝見した。繰り返しも多いのだが、しかし内容はしだいに深化し、小さいが新しい発見もあり、飽きさせない。一歩誤ると暴露本的になるかもしれないような内容であっても、歴史の構成要素として役立ちうるようなものばかりである。

磯崎的知性はなにかをつらつら考えてみるに、分類法的であるということである。『日本の都市空間』における都市計画4段階発展説いらい、みごとな分類を展開しているし、今回は4層の文化的地層(古層、江戸、近代、新世界)である。彼は、自分にはアカデミックな探究には興味ないと主張されるのだが、これはこれでじゅうぶん学者的である。むしろ学者さんがすることくらいできるよ、というっているように聞こえる。そこで先日お目にかかったときに、場の空気もあって、磯崎先生は・・・と言ってみたら、じつにすんなりした。もう磯崎先生でいいかもしれない(が結局、空気に従うのである)。

中身のディテールにいちいち触れないし、こういう読書は、読みつつふつふつと湧いてくる妄想のほうが面白い。堀口捨己「非都市的なもの」「日本的なもの」とか、伊藤ていじの「間」概念などは、それを考えつくまでの助走と研鑽もあったであろうが、なによりあるとき、アプリオリに現前にくっきりみえていたヴィジョンのようなものであろう。『日本デザイン論』の「間」論を再読したときの印象だが、とにかくはっきり見えている、しかしいい言葉が見つからない、その葛藤があのこむつかしい文章を生んだのはあきらかなように思える。

発展段階論というのは、やはり近代日本という文脈では、結果的にクリティカルであった。なぜなら基本的に、近代/反近代という二元論に支配されたことが日本近代の最大の問題なのである。このことの重要性にはだれも気がつかず、あいかわらず二元論が再生産されつづける。しかし磯崎さん、失礼、磯崎先生は反近代か、それもあるが非近代もある、さらに前近代も、というように崩し始める。つまり彼は「二元論崩し」をやっているのである。このことに気づこう!

二元論的日本近代にたいして「二元論崩し」を徹底することについては、賛同したい気持ちである。さらにいうと、あくまで自由人の立場を貫こうとすることは、やや自作自演的なムードはするとはいえ、前向きにうけとれば、第三者の立場にたとうとすることだし、それは社会学者がいう第三者の審級というものを獲得するための戦略にようにも思える。

ただあえて批判すると、磯崎新が建築史を書いたら、というような企画は、すこし磯崎依存がすぎはしないか。歴史家はあくまで批評家であり、建築家はそうではないと彼自身も指摘していた。横手さんの世代は、彼の言葉をアーカイブしてゆく世代的ミッションがあるにしても、すこしは挑戦してほしいし、伊藤ていじ大先輩ももっていた建築的ヴィジョンにおいてそうしてほしい。

それで結局、磯崎的、堀口/丹下/磯崎/妹島の輪廻転生とはなにかということである。三島由紀夫『豊饒の海』は言及されているし、ぼくも気になっているが、年とって読み返すと、虚無という運命との和解のようにも読める。それがぞっとするような空虚だともただちには思えない。三島のばあいは仏教的世界観が構図として描かれており、その虚構の枠組みが最後には意味をもつこともある。では時代的切断によって区切られた25年ごとの背後に、どういう宇宙があるのか、がつぎの問いではある。

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2015.05.15

キャンパスめぐりの1日

総合大学なのでキャンパスがいくつかある。

いちども立ち寄ったことのないものもある。しかし今日は3キャンパスをハシゴした。

まずHキャンパスでは、委員会に出席してメモをとった。ここは移転作業が進んでおり、空がやけに広い。こちらに赴任したて、街中で車を転がしていると、夏、暑く、窓からの風がここちよい刹那、なんかカリフォルニアみたいだなあ、と思ったことを思い出す。

つぎの50分移動してOキャンパスにゆき、そこで打合せをし、書類を作成し押印し、電話をとって、事務に書類を渡した。自分の部屋があるところだが、長居したことがないのは問題である。

さらにIキャンパスまで1時間15分移動して授業をした。1年生むけの導入科目である。この人達が卒業か修了するころ、ぼくも大学を去るのだなあと思うと、若い人びとがいとおしくなる(年寄りは勝手な感慨にふけるものである)。きみたち、大学にはいったというのは手段にすぎない、業界にはいるという意思をもて、などと檄をとばす。この手の言葉はほとんど馬耳東風なのではあるが。

ちなみに丹下健三を語った。この建築家を知っているか、ときいたが、誰もしらなかった。

そういうことも超越して、読書をつづける。内藤廣が設計した講堂が目の前にあるがそれもいちどもよったこともなく、今日もパスする。ここ一週間、持病の自律神経失調症に悩んだが、恒例のことであり、コーヒーを絶てば一週間で直る。ということは500回禁煙したみたいなジョークである。きょうはその1週間目である。なのですこし回復し、地下鉄、電車、バスのなかで最近送っていただいた磯崎新さんと山本理顕さんの本を読了する。ブログでも書こうかな。

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