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2015年3月の3件の記事

2015.03.24

シンポジウム「丹下健三没10年『今、何故、丹下なのか』を問う」

日曜日に建築会館でお話ししてきた。サプライズ参加した磯崎さんが最後をまとめたこともあり、もりあがった。

パネラーごとにかなり多様な見解がだされた。結果論としては、3人組で討論するもいいが、各論の積み重ねでよかったのではないか、という気もする。

それはいいとして、丹下を論じることは、これで終わりなのではなく、ここから始まる、というのが参加者としての実感である。それは日本の建築界にとってとてもいいことである。

まず没後これまでの企画は、やはりまず思い出すこと、生き直すことから始まるのは当然であり、さまざまな記録や記憶や逸話の掘り起こしに力をいれなければならない。それは完了はしていないが、この一〇年でかなり前進したように見える。

そこで今回は、これから本格的に丹下を論じ、そこから建築論を発展させるとともに、さらに建築史叙述とその枠組みを展開してゆくための、最初の作業であったのではないか。シンポジウム全体としては、丹下を論じるための枠組みをどうするか、枠組みとしての20世紀をどう扱うかという基本的なことについて、前進がみられたように思うのである。

丹下論としては、丹下は国内限定では論じられない、国際的な共有遺産である、いいかえればより広い普遍的な建築の世界にいざなうのが丹下である、という愚説を述べた。それにたいし、丹下はCIAM会議などでグロピウスなど世界的なイデオローグたちとの意見交換のなかで、かなり緊張したものいいをおこなっていたなど、当事者からのご指摘もいただいた。

20世紀枠組みについて、司会者から日本近代建築史の記述が、いつも第二次世界大戦でおわることの問題をどうおもうかという質問があった。愚見としては、まず稲垣榮三『日本の近代建築』は、ニュートラルな時代区分とテーマ分類をしているようで、じつは堀口捨己を定規として全体を構成しており、いわば近代建築家・堀口にむけてすべてが合流しているかの意識で書かれており、かつこの構造はいわば隠し味のようにひそかに滑り込まされている仕組みなので、読者はそれとは知らず、各論併記のような全体なのに、妙な統一感を感じることになっている。この「妙」さは、この書全体が堀口への宛て書きとおもえば、すべてが氷解するのである。ただいっぽうで、そうだからこそそこに丹下健三は書けなくなってしまう。そういう構造的な課題がのこる。

もうひとつは、戦後の近代派/近代批判派の二元構造である。とくに戦後すぐに生まれた世代のひとびとは70年代前後に近代批判を展開する。その構造は、いわば原理主義的に、たんに60年代の高度経済成長批判にとどまらず、明治維新前後をふたたび生き直すような、尊皇攘夷の再生のようなものであったという指摘さえある。さらに三島由紀夫『豊饒の海』にあるように、戦後という時代はまったくの虚無であるというスタンスはそれに重なる。ぼくは、三島が主人公に感じさせた最後の虚無感は、8月15日のそれを描こうとしたのではないか、とあくまで比喩的に述べたのだが、それにしても、戦後という時代には、ある種フロイト的な意味での抑圧がはたらいているのは、思想のみならず建築も同じなのだ、だから戦前戦後の連続性はわかっていても、通史は書けないのだ、という指摘をした。それにたいし、戦後の圧倒的なアメリカ的価値観の支配や、そのなかで丹下が日本的建築を論理化するのは、一種の戦いであるというような説明もいただいた。

それにしても「神々のスケール」はもっと生産的に論じたかったものだというのが、帰りのタクシーのなかで感じたことであった。丹下は神々のスケール/人間のスケールという二重構造である。最後のパネラーが、この二元論はじっさいは社会/人であり、さらに具体的にはこれら二種類の都市モデュールと建築モデュールをひとつのプロジェクトで使い分けるので、担当者はたいへんであったという逸話が披露された。それはそれでよいのだが、そうすると「神々」と「社会」はどう関連するのか、が課題となるはずである。

じつは基調講演的なものを担当したぼくが大前提で指摘したかったのは、まさにこの「神々」と「社会」との関係なのである。最後にはこのテーマに回帰したのだが、やっとたどり着いたともったら時間切れであった。

多様な論点があったので、絞り込むことはできなかったのである。さいわい延長戦のおさそいもあるかもしれないので、機会がいただければ、がんばってみる。

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2015.03.08

『豊饒の海』

ふと思うことがあって、三島由紀夫の遺作を数十年ぶりに読んでみた。

『豊饒の海』というストーリーは輪廻を枠組みとし、19年周期で、本多繁邦の19歳、38歳、57歳そして76歳を描いている。主人公は、死を見つめる。

「ふと」とは、金沢の近代日本建築展によせて、磯崎新が4題噺を展開していることを知ったことによる。すなわち堀口、丹下、磯崎、妹島が、20年周期で、1935年、1955年、1975年、1995年に岡田邸、広島、群馬、岐阜に「わ」空間を実現したというあらすじである。かつての和様化論がさらに肉厚に展開し、より適切なバランスを保ち、飾られている。西洋的で直線的な時間概念ではなく、また発展的な段階論でもない。はたまたたんに東洋的な循環論とも即断はできないであろう。それら異なる四つのは「時」は、同じとも、似ているともいえるが、元素記号にまで還元すれば同と異の区別もまた無意味になってしまうような悟りとなってしまう。

些末事ではあるが、『春の雪』の悲劇的恋は、堀口捨己の岡田邸にそこはかとなく連なる。もちろん貴族の若者の、階級的義務と個人的感情の葛藤は、それはそれである。近代ブルジョワの、市民的倫理と花柳界的遊戯のあいだの葛藤とは、ちがうといえばちがうが。

『奔馬』の右翼的純情は、政治色を脱色すれば丹下健三の広島がもたらす感情とは親密な関係にある。純粋であること、美であること、そのことにすべての存在は依拠しているという意識である。

『暁の寺』において、本多はタイやインドで仏教的世界の根本をつかもうとするが、その濃厚な都市描写を割愛しても、いくつかの書評にあるように仏教的な唯識論を、読者になりかわって学習すると読める。この唯識論とは厳密には違うのではあろうが、主題の不在という主題、建築を行政的プログラムから切り離し、芸術としてとらえようとした、いやそのまえに芸術をリアルな画商的世界ではなく建築家が自らを支えるために捏造した「識」の世界のものとしてとらえようとした、とすれば、群馬はどこの世界に所属するのか一瞬、判断を迷うような、暁の寺であるとも思える。

はたまた『天人五衰』の、ひたすら見る、観察者の客観と欲望のようなものは、妹島建築のなかにひそやかにしのびこまされているような気がする。しかし第一話の聡子であった門跡が、本多の目撃した四回の循環はすべて「心ごころ」でしかなかったという指摘は、三島の最初の構想ではなかったとしても、第三話からすなおに引き出される終わり方である。主人公はすぐれた観察者であったが、失明してしまうことでまずコアとしての物語は終わる。観察者はまず滅亡する。その滅亡をかかえ、本多は四循環を確認するために門跡に会うのだが、そこですべては「識」であるという内なる哲学を、外から確認されてしまうのである。

とはいえこの終わり方は、8月15日のそれに似ている。三島はようするにこの「時」を、まわりくどく、装飾ゆたかに、濃密に、しかしどこまでも間接的に、描こうとしたのであろう。歴史的な、あるいは国家的な時を、個人的な時に還元し、どうじに仏教的世界観における時にすりかえてゆくのである。おそらくそのとき、存在者の連綿からなる因果関係による西洋的な時ではなく、無関係、不在、雲散霧消、からなるまことに不思議な日本的な時、そして歴史、がこれまた美しく捏造されるのであろう。

さらに「とはいえ」、建築家と作家は異なる。こうしたループのさらに外側に出ようとする。あえて快楽主義的でもあるかのように。

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2015.03.01

不惑とは

論語では40歳のことだといいたいわけではない。そもそもぼくには手遅れである。

丹下健三のことを考えているうちに、彼は42歳で広島ピースセンターを、43歳で香川県庁舎を竣工させている。

すこし脱線すると三島由紀夫が自決したのが45歳である。数年は誤差とおもえば、まあ不惑+αである。ことの是非はともかく、彼が25歳であったら行為に重さはなかったであろう。

20歳、30歳は専門家としてはあまりに経験不足で、観念は革新的であっても、実践まではそうはならない。それが不惑くらいになると、実践力と観念力のバランスがとれて、断固として革新的なものを、具体的なかたちとして残すことができる。

ただいろいろ拝見させていただくにつれ、やはり人生にとってこの時期は重いようである。成熟するのも、老成するのも、あるいは水平飛行にうつるのも、この時期にしっかりやったからこそである(それにつけても、ぼくには手遅れである)。いわゆる大作や傑作ではなく、射程距離の大きい、問題提起に満ちたことを、という意味である。

というわけでこの2015年になにかを残すかもしれない建築界のあるいは建築史上のホープは、1970年から1975年生まれの方々のだれか、ということになる。個人的にはいくつか名前を思いつくが、そんな予想をしてもはじまらないから言わない。

とはこの個人的時間が、歴史のサイクルと同期するかどうかである。

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