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2014.11.14

アルファン像

パリにも何泊かする。

今回のジョギングコースは
Foch大通である。一直線である。両端にあるのがエトワール凱旋門と、メトロのポルト・ドーフィーヌ駅である。この新古典主義とアールヌーヴォーのあいだを2往復もすれば6キロほどで、距離としてはちょうどよい。

途中に造園家であり、オスマンの片腕であり、今日につながるパリの緑地を整備したアルファンの石像がある。ロマン主義的な庭園をてがけたひとらしく、感動をもたらす群像である。ちなみに宿のすぐちかくにヴィクトル・ユゴー広場とその像がある。パンテオンについての小論でとりあげたので、あいさつをする。とはいえペール=ラシェーズやモンパルナスの墓地にまで偉人を追いかけるようなことまではしないが。

都市と緑地はもともとは対比的なものなので、いかに両者は一体化したかを思い出す。まずは
18世紀、チュイルリー公園を市民に公開するなど、啓蒙主義であった。啓蒙主義はつぎに、興行主義として、万博、オリンピックなどの活動につながる。つぎに衛生主義であった。漠然とではなく、19世紀のコレラ、20世紀の結核は致命的な病であったので、それぞれ空気と日光がもとめられた。同時に、社会政策的であった。疫病は特定の社会階層をターゲットにするから、とくに労働者にも緑は配慮される。さらに防衛主義的であった。19世紀は都市を取り囲む非建設地域が必要であった(ウィーンと同様)し、20世紀はそれが防空思想となってあらわれる。日本では防災を追加してもいいかもしれない。さらには20世紀は、都市の成長を中和させるものとなる。1960年代以降はエコロジー思想をとりあげてもいいかもしれない。

あたりまえだが、都市に緑地をみたらす思想は、いくつもあり、時代的な変遷もある。こうした個々の思想を展開しながら緑地について取り組むことの蓄積が歴史をつくってゆく。ただし事例の積み上げとともに、それらを包括してゆく価値観をつくってゆくことが必要であろう。

こう考えてゆけば、大規模な緑地や公園は、近代都市をして近代都市たらしめている本質的なものといえる。

もちろんそれを否定する新しい要素もあるだろう。抗生物質があれば、結核はなおせる。ネットワーク時代は、集会のための大スペースはいらないかもしれない。これらは近代都市の要件を否定する、近未来(現?)都市の新しい要件である。

それにしても・・・寝るまえにテレビを漫然とみる。家電量販店で実物をチェックして、帰宅してネットで最安値を検討する、ここまではどこでも同じだが、フランスの
TVではカップルを登場させるのである。こういうのがフランスらしい。日本なら主婦がしんみんりやるだろう。またパリ近郊の緑溢れる戸建てで、データベース構築を請け負って収入を得ていた初老の男性も、結局クライアントがどうしても会いたい、パリに出てこいというので、快適な隠居生活が成り立たなくなり、結局やめてしまったという逸話。

なるほど
PCやネットワークなどは日本向きなのかもしれない。

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