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2014年11月の5件の記事

2014.11.17

ヒモ国家?

最近になく充実した日曜日であった。

午前中はブローニュ公園をジョギングした。60分で9キロほど。フランス人の特徴で、楽しみ方はほんとうにそれぞれ、ということ。3人ほどのジョガーが、おそらく車いす生活のご老人を、特注の1輪車にのせて、走っていた。あたかも走るスピードそのものを感じてください、といわんがごとく。人間性というものにたいする理解が、ぼくたちとはまったくちがうことを感じる。今回の海外研修で最大の衝撃。

午後、建築見学、教会巡り。ラ=ヴィレットに留学している研究室の学生がいるので、ツアーやるから留学生集めろといったら6人きた。総勢7名で、パリを一周する。アルザス亡命者を記念してつくった教会堂。ハギア=ソフィアに感動した建築家がつくったもの。19世紀の万博の廃材を活用してつくった、労働者のためのもの。ひとつひとつがそれぞれ歴史の側面を語っている。

名言をおもいつく。パリは超
B級建築の宝庫である。A級はどこか?それはぼくもよく知らない。しかしB級であっても、お互いに引き立てかたをよくしっている。さらに層が厚い。それが平均値を格段にひきあげている。

見学のあと、たまたま宿がひろいこともあって、ワインをみんなでたしなみつつ、建築放談をする。ブログにも書けないことをしばらく語る。1時間のジョギングの効果か、気持ちよく眠いが、世代を超えた意見交換もほんのすこしできたかな。話ながら平行して、21世紀の建築はどうなるかも考えてみる。いわゆる団塊世代の全員が65歳を超した2014年に、日本は大きく変わってゆくであろうと、話ながら気づく。大きな構想が求められる。

さらに、である。女子学生が多かったので思い出したが、我が国家は女性に、働け、子供つくれ、税金もっとはらえ、という政策が同時にくるのはいくらなんでもどうか。これはようするに女性にたよろうとするヒモ国家の誕生ということか?

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2014.11.14

アルファン像

パリにも何泊かする。

今回のジョギングコースは
Foch大通である。一直線である。両端にあるのがエトワール凱旋門と、メトロのポルト・ドーフィーヌ駅である。この新古典主義とアールヌーヴォーのあいだを2往復もすれば6キロほどで、距離としてはちょうどよい。

途中に造園家であり、オスマンの片腕であり、今日につながるパリの緑地を整備したアルファンの石像がある。ロマン主義的な庭園をてがけたひとらしく、感動をもたらす群像である。ちなみに宿のすぐちかくにヴィクトル・ユゴー広場とその像がある。パンテオンについての小論でとりあげたので、あいさつをする。とはいえペール=ラシェーズやモンパルナスの墓地にまで偉人を追いかけるようなことまではしないが。

都市と緑地はもともとは対比的なものなので、いかに両者は一体化したかを思い出す。まずは
18世紀、チュイルリー公園を市民に公開するなど、啓蒙主義であった。啓蒙主義はつぎに、興行主義として、万博、オリンピックなどの活動につながる。つぎに衛生主義であった。漠然とではなく、19世紀のコレラ、20世紀の結核は致命的な病であったので、それぞれ空気と日光がもとめられた。同時に、社会政策的であった。疫病は特定の社会階層をターゲットにするから、とくに労働者にも緑は配慮される。さらに防衛主義的であった。19世紀は都市を取り囲む非建設地域が必要であった(ウィーンと同様)し、20世紀はそれが防空思想となってあらわれる。日本では防災を追加してもいいかもしれない。さらには20世紀は、都市の成長を中和させるものとなる。1960年代以降はエコロジー思想をとりあげてもいいかもしれない。

あたりまえだが、都市に緑地をみたらす思想は、いくつもあり、時代的な変遷もある。こうした個々の思想を展開しながら緑地について取り組むことの蓄積が歴史をつくってゆく。ただし事例の積み上げとともに、それらを包括してゆく価値観をつくってゆくことが必要であろう。

こう考えてゆけば、大規模な緑地や公園は、近代都市をして近代都市たらしめている本質的なものといえる。

もちろんそれを否定する新しい要素もあるだろう。抗生物質があれば、結核はなおせる。ネットワーク時代は、集会のための大スペースはいらないかもしれない。これらは近代都市の要件を否定する、近未来(現?)都市の新しい要件である。

それにしても・・・寝るまえにテレビを漫然とみる。家電量販店で実物をチェックして、帰宅してネットで最安値を検討する、ここまではどこでも同じだが、フランスの
TVではカップルを登場させるのである。こういうのがフランスらしい。日本なら主婦がしんみんりやるだろう。またパリ近郊の緑溢れる戸建てで、データベース構築を請け負って収入を得ていた初老の男性も、結局クライアントがどうしても会いたい、パリに出てこいというので、快適な隠居生活が成り立たなくなり、結局やめてしまったという逸話。

なるほど
PCやネットワークなどは日本向きなのかもしれない。

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2014.11.08

パリがオリンピック開催立候補?(前稿つづき)

報道によると、大統領が勝手なことをのたまうので、下のものたちは当惑しているようである。

ここで注釈すると、パリでは革命直後の10年間に、三度、「共和国のオリンピアッド」を開催している。古代ギリシアを模範とするのは、革命理念、共和国理念の表明であった。だから社会党の大統領がオリンピックにこだわるのはスジがとおっている。クーベルタンの提案の背後にはそれもあったのであり、彼は英米における体育教育に関心があったが、とりわけ第三共和政のスポーツ振興政策の立役者でもあったのだ。

それはいいとして、まずパリ市長は2025年の万国博にほうに関心があり、オリンピックはそれほどではないらしい。なにしろ1889年、1900年の万博はそれこそパリの栄光であった。それをひさしぶりにやる、そちらのほうがパリとしてはアピールできる。だから大統領と市長はかならずしも一致しているのではない。

パリはすでに1992年、2008年、2012年のオリンピックに立候補してことどとく負けている。首都圏では1924年いらいやっていない。

冷静な経済分析。プレスは、前回ロンドン大会では収益性を考え、インフラも都市整備の一貫としていたが、それでも最終的には赤字ではなかったかと分析している。「1990年代以降は、オリンピック投資は回収できないものとなった」と分析している。つまりオリンピック=都市整備、という20世紀的構図はもう成立しない。

いっぽうで2024年あるいはそれがだめなら2028年のパリ・オリンピックは、2012年案のようなものにはならない(失敗したから見直しは当然だが)、一種の未刊の「グラン・パリ」計画となるだろう。ようするに「首都パリ」ではなく「イル=ド=フランス地域圏」のようなものになるかもしれない。とすれば都市が立候補という構図もくずれる。

などという報道を読むと、やはり前稿のように、近代都市を念頭に置いた近代オリンピックという構図そのものが崩れはじめているるとしか思えない。もはや国民国家の首都経営というような図式が古くさくなっているようだ。だからここで妄想を膨らませてもよいであろう。グローバル資本をむしろエンジンにする。統合ヨーロッパとその首都を母体として、国家連合が経営する。あるいはイスラム諸国が、オリンピック経営のために臨時のイスラム帝国をつくって(西洋はあわてるだろう)開催する、などである。

近代オリンピックが、冷戦もふくめた戦争の圧力にはときに屈しながらも、永続したのは特筆に値するし、近代都市の成立基盤はそれだけ堅固であった。これからはその堅固であったものが弱体化してゆくということか。

さてパリびいきとしては、この都市は100年ごとに熱くなる。革命直後、古代風にスポーツしてみた。第三共和政の時代、1890年にはオリンピックと万博をやり、エッフェル塔までたてた。さらに1924年にオリンピック(パリとシャモニ)、25年にアールデコ博をやった。同時開催はパリの栄光という意識でもあるのか?さて21世紀は、100年周期説にしたがえば、なにかやってくれそうだ。おおいに期待しよう。でも理念的根拠はなにかな?

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パリが2024年オリンピックに立候補するかどうかの件について

テレビでオランド大統領がインタビューされる番組があって、そのなかでパリ市が検討しているオリンピック立候補の動きにたいし、好意的に構えているという発言があった。市長も大統領もおなじ社会党なので、意見のすりあわせは事前にできているのだろう。翌日、インターネットをみると、パリはまた2025年に万国博も考えているらしい。予算はだいじょうぶかと、ひとごとながら心配である。ともかくもパリ市長としては来年1月以降に結論を出すらしい。

東京は3度目のオリンピック誘致ということだが、1000キロ遠くに住んでいるぼくには、ほとんど外国の話題のように思える。ところがフランスも外国だから等距離である。そこでトライアングル的等距離考察をしてみると、例のコンペ論争も、けっきょくなにが大前提かがあいまいなので、あるいは意図的にあいまいにしているので、落としどころもわからないようなきがする。

そこで、オリンピックとはなにか。まずそれは「近代オリンピック」である。そして近代の近代たるゆえんはなにか。それは近代都市の近代である。

なにしろ第1回は1896年であるから、ロンドンやパリ、そしてアメリカの大都市がいよいよ近代都市にふさわしい威容をあらわしてきた。そして20世紀になって有名なアムステルダム都市国際会議などにより近代都市の国際フォーマットが確立される。このような近代都市を念頭において、そこでの興行として「近代オリンピック」が構想された、と考えるのは自然である。

まずロンドン、パリは19世紀になんども万国博が開催され、近代の「興行都市」(なかなかいい造語である)としてたちあがる。それをスポーツにおきかえればオリンピックである。万国博の専門家も、そのような流れで理解すべきと指摘していた記憶がある。

ではなぜ興行都市は可能であったかというと、人口が100万規模に達し、かつ都市内に広大な緑地・公園スペースがあった。ほとんどは王領地の下賜である。

また有数のヨーロッパ都市はスペースのストックを構築しつつ、アメリカではパーク・アベニューという概念で、やはり大都市に広大な緑地を準備していた。ちなみにヨーロッパは、このアメリカ方式をよく知っており、研究していたし、それが1920年代のグリーンベルト構想に合流するのだが、緑地の都市論というのは考えてみるとだれもやらない。

つぎにスポーツについては、国民教育、国民皆兵というバックグランドがあるが、それを陰画としてスポーツは兵器のない闘いという意味づけである。だから平和の祭典である。

つぎに都市の空間利用として、体育施設は公園施設の一部であった。(だからほとんど室内空間なのに、公園に建設されるということも可能となる)。スポーツそのものがしだいに室内化してきた事実もある。(今回にしても、開幕くらいは都市ページェント化などはすでに提案されているのだが。)

整理しても長くなるが、これがオリンピック都市=近代都市=興行都市、である。またいくつかの都市祝祭研究が示すように、突出したヨーロッパ都市はそもそも祝祭指向、興行指向であった。

では東京でオリンピックを開催することの意味は?つまり東京は、まがりなりにも興行都市ロンドンやパリを理想化して近代初頭に都市化を進めており、大規模緑地の確保もすこしはやっていたので、結果として(はじめからオリンピックこみあったらすごいが)、開催も可能な都市になっていた、というのが愚見である。これはこれで遺産であり、東京が自負できる点である。だから緑地を減さないこと、ランドスケープを守ることが、まず近代オリンピック都市として適格だということが、歴史的にいえる。

ただ整理すると1940年東京オリンピックは、東京が世界規格の近代都市になったことを宣言するものとなるはずであったが、開催を辞退した。1964年は、平和と復興というような側面がつよくて、かえって都市理念が忘れられた。2020年は失われた20年からの回復といった気持ちになっていないだろうか。ここでも都市理念は希薄である。

さらに64年の成功体験があまりに強烈であったので、意識がそれに拘束されすぎてはいないだろうか。近代都市=興行都市は20世紀なのだが、21世紀はべつのかたちで都市にかかわってゆくことが求められてしかるべきである。

これを機会にいろいろなことを再考してみればいいと思う。近代オリンピックの創設者たちは、やはり興行空間として、近代都市についてのビジョンをもっていたのではないか(万博がモデル、は考えやすい)。その近代都市は、内部に広大なグリーンをかかえるというそれまでにはなかった特性をもっていた点がきわだっているが、同時に、国威発揚的なナショナリズムの国家の首都でもあったこと、そのような近代都市そのものが歴史的に相対化されてしかるべきではないか。あるいはそのような限られた数の20世紀都市が、世界的拠点のデファクトスタンダード都市となって、数世紀世界を支配するという話なのか。

とはいえパリはすこしまえにロンドンと開催をきそって負けている。今回は敗者復活。オリンピックとは開催することに意義がある。グローバル経済下で疲弊しつつある国民経済を抱えた国々のなかで、じつは開催可能な国の数が減ってしまうようなことがあると、ますます開催はその国の力の証拠のようなものになる。あるいはクリエイティヴ都市のような、ほとんど認証手続きののようなものになったら、いやなものである。

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2014.11.06

ながい48時間(ボルドー紀行その1)

11月4日は6時起床、10時の飛行機。

13:30より学会で委員会。2時間の予定が3時間となる。さらに委員長なので、気疲れはある。つくづく会議がへただと自戒しつつ、心のなかで「ほんとうに東京はテンポがはやいなあ」とつぶやく。

羽田空港に直行し、時間つぶしの読書。

水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』は、すでに数冊は書いている利子率革命の内容であり、それらをコンサイスにまとめたもの。面白いが、専門の経済学から、それを指標とする大歴史観へのステップアップは、参考になるが、あえてする飛躍だけに、どこまでいえるか、が見物。ただ建築は、お金の循環と深い関わりがあるので、背景としてはとうぜん意識すべき内容である。現状においては、政策的に金余りの状況がつくられているので、それが建築プロジェクトをうむ。後世、とうぜん「新自由主義の建築」なる括りができる。問題は、それがいつまで続くか、である。

増田寛也『地方消滅』。これも話題の本。人口減少がまず地方を襲うという内容。しかしそればかりではない。近代国家日本は中間層の構築(戦前なら臣民化、戦後なら中産階級)と一貫していたが、失われた10年ののちは、むしろ両極化を目指すようになったわけで、これは180度の政策転換である。ということは、革命と称すべきことをすでにおこなったのだが、政治にも市民にもその意識がなく、だから50年後、100年後の姿を描けなくなっているのではないか、という感想。そればかりか、日本国民という近代の国民幻想を、政策立案者たちが崩壊させかねない状況で、20世紀における「美しい日本」だの「日本的なもの」などという論考が、まったく過去化してしまうのではないか。それにかわる建築のコア思想が求められるのであろう。丹下健三は、半世紀後には、それこそ神格化されているのではないか。ただし最大限の距離感をもって。

もう5日になって、0時30分に離陸。爆睡するつもりであったが、60%は寝てすごす。

現地5時40分にパリに到着。鉄道切符はインターネットで予約していたが、自動券売機がすべてダウンということで、窓口で発券してもらう。フランスではよくある体験。それでも空港でTGVにのれるのは便利でありがたい。

8時19分、定刻どおり発車。やはり定刻どおり12時38分にボルドー・サンジャン駅に到着。カフェで時間をつぶして、13時45分に宿に到着。家主と、部屋代と鍵を交換し、台所の使い方などおしえてもらう。ああ疲れた。さて自宅をでて、どのくらいたっだだろう?38時間くらいか。意識が薄い感じがしたので、スーパーで買い物をするだけで、宿にもどって、食事、シャワーして8時ころにはねてしまう。

現地6日、6時ころにはめがさめたので、ガロンヌ川ぞいにジョギングする。すでに当地では6キロ巡回コース、5キロ往復コースなどとマイコースをきめてある。今朝は後者。やっと目がさめた。自宅をでて56時間である。


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