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2014年10月の2件の記事

2014.10.23

PAPABUBBLE Fukuoka

百枝優に招待され、パパブブレ福岡店の内覧会にいってきた。天神地下街である。開店は明日とはいえ、店構えはすでにオープンである。

地下商店街の一スパンのなかに、切妻屋根の小屋を挿入したような、多重構造のつくりである。平入側の軒先が、さりげなくでている。この軒先の背後に、既存のダクト類が、白く塗られ、さりげなく自己主張している。

インテリアの黒い壁のまえに、商品であるカラフルな洋菓子が並べられ、アートギャラリーか、宝石店のようである。ハンス・ホラインのレッティ蝋燭店(むかし宝石店と誤解していた)を髣髴させるといえば誉めすぎか。

百枝優は、ぼくの研究室にいたころから、多重構造の、あるいは内包関係というべきか、そういう空間形式を追求していた。SDレヴューで入選したり、教会堂コンペで最終審査まで残ったのも同じテーマである。同じひとつのテーマをひたすら探究していることに、良い意味での作家性を感じる。

かつてぼくなどが建築を目指していたころは、ぼくが習った教師たちも、ぼく自身も、空間とは単位にわけて、ヒエラルキーや配列を考えることであった。それはたとえば住宅供給のような、国策的、社会的な建築プログラムも、保守派も革新派もあたりまえとおもっていた時代そのものであった。

原広司は、それにたいし、有孔体の論理と、そうした個の空間が、他から関係づけられるのではなく、自己の展開として相互に関係つけあってゆく、そうした空間の展開を考えていた。それが集落である。それは有孔体が他者をもとめ、他者とかかわってゆくその形式が、普遍性をもつ、そのような関係性のありかたである。

百枝優の場合は、もうすこし等身大なのかもしれない。しかし空間は、単位とその集合に解消されるのではなく、彼の場合、ひとつが別のひとつに内包され、それらがさらに上位のひとつに内包されという、多重構造をなす。だからあるひとつの点は、いくつかの空間がオーバーラップしたものとして意味づけられる。おそらくそれは個が、さまざまな関係性において意味をもつ、そのような多重性のモデルなのである。個は、このようにして重層的なものとなりうる、そのようなモデルである。同時に、グローバルな状況のなかの個のあり方を描く場合においても、よいモデルとなるようなものである。

彼に内なるプロトタイプがあるということは、特別である。このようなプロトタイプ、空間の図式としても、思想のコアとしても、成り立つ、そのようなプロトタイプを扱いながら、すこしずつ展開しつつある彼は、ぼくから見れば、建築家としての本物度がほかとはちがう。これから大きいプロジェクトをしてほしいものである。

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2014.10.18

『磯崎新インタヴューズ』

標記を賜りました。ありがとうございます。

10年かけてまとめたオーラル・ヒストリーであり、重要テーマはほぼ網羅されていた。なおかつリアルタイムで接していないのは岸田、堀口くらいで、読者としては老年層にはいりつつあるということであろうか。

そういえば、別の文献における岸田、浜口、浅田、磯崎の架空討論会は、『空間へ』のあとがきのようにおもしろかった。

あらためて磯崎さんは何者かについて考えると、かつての父/母のフロイト枠組みにおいて論じたときは、両方なのではないかと書いたが、いまではやはり父的存在なのであろう。つまり磯崎さんの書いたこと話したことを読んでいると、やはり内容豊かなので、学習せずにはいられない。つまり最初から客観的に冷静には読めないのである。ところが、学ばせていただいて、ありがたい、で終わればそれでよいのだが、そうでもない。すくなくともぼくにとっては、その枠組みから脱却するにはどうすればよいか、その語りを俯瞰するにはどうすればよいか、という課題を突きつけられる。だから依存して、そして克服するという意味で父モデルなのである。

といえば聞こえはいいが、これは同時代的な競争者でもないことを意味している。

磯崎論を書いたこともあり、畏れ多くも対論などというフレームもいただいた。あれからずいぶん時間もたった。回想してみるに、やはりぼくは磯崎論をしたいのではなかったのであろう。磯崎言説は不可欠の栄養なのだが、そこから位相のちがう別の理論を構築したかったのであろう。さらにえば磯崎モデルを描こうなどということは妄想に等しいのだが、その妄想性を意識したところで、それは磯崎さんそのものを描くこととは異なるものであろう。こういうことは論じられるご当人からすれば、なるほど違和感のあることであろう。

論考するある対象がある。しかしその対象そのものは論じない。その隣にいる対象を論じ、それら2対象の関係を示唆することで、最初の対象を論じることとする。あまり推奨はされないであろう、ということもよくわかる。しかし第二の対象をみつけるための方法だとおもえば、多少は生産的であろう。

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