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2013年11月の2件の記事

2013.11.22

『多木浩二と建築』(「建築と日常」別冊)

編集の長島明夫さんより賜りました。ありがとうございます。

多木浩二は1976年の『生きられた家』から、建築外にありながら建築界における注目すべき論者でありつづけた。美学や現代思想をベースにした論評は、じつのところ建築界の片隅にいる住民であるぼくにとっては、しっくりとくるものではなかったが、大きな方向性はそれなりに共感できるところがあり、リスペクトしつつ距離をとるといった書き手であった。

この別冊は、多木浩二がたんなる評論家ではなく、建築家との思索の場をいかに共有して、批評の空間を構築していたかが紹介されており、証言としての価値も大きい。

そこで学生時代の衝撃として、磯崎新、原宏司、そして多木浩二らがいた、そのひとりを、回顧しつつどう再解釈するかということである。

『現代思想』2013年1月号は「現代思想の総展望」ということで、大澤真幸と成田龍一が対談していた。創刊された1970年代が語られていたが、その知的風景こそ、『生きられた家』の背景であった、ということが納得できた。つまりマルクス主義という大文字の思想が消えつつあった1970年代は、どうじに意識と言語がどういう関係にあるかが問題とされ、思想や世界を成り立たせていたさまざまな枠組みが相対化されていった時代であった。

しかし他方で、過激な近代化に特徴付けられる60年代の反動で、70年代とは保守化の時期でもあった。1930年代論が議論されたのはそういう文脈であった。

その状況において多木は『生きられた家』を、それこそどう生きたのか?あるいはこの筆者はそれをどう生きたかと、(ぼくもふくめ)読者はどう想定したか?

とりあえずはハイデガーや、現象学理論の適用であるということはわかる。しかし70年代の時代を反映して、「生きられた家」も、見ようによっては保守的でありながら、相対化を予感させるものでもあった。

ただもちろん偏見と自覚しつついうと、「生きられた家」論は具体的な叙述ではなく、きわめて観念論的であったことが建築界にとってはなじみにくいものとなった理由であろう。つまり作る側、供給する側の論理が、20世紀にあっては合理主義的、あるいは方法論的、概念的になってしまう。そういう合理主義の立場にたいし、生きられた世界、生活世界を説く側も、対極にあるはずの人間性の根源を示すために、象徴論、宇宙論、などといった別の普遍的世界を描こうとした。たとえばバナキュラー論、建築家なしの建築論、ミクロコスモス論、などはそういう同じ系統であろう。

おそらく建築界は「生きられた家」と聞いたときに、ベタなまでに生々しい現実世界を予想したが、提示されたのは当時きびしく批判されていた機械論的合理主義をはるかにうわまわる観念論であった。ただこの観念論は、ベタな世界を無視しようとしたのではなく、生世界を読み解くための枠組みを構築しようとするためのものであった、のであろう。

そうでなければ、社会的プログラムから自律した建築を構築しようとした建築家たちと思索の交流もできなかったであろう。

いずれにせよ「生きられた家」はサスペンディドである。


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2013.11.02

建築の七つの冒険

きのう、山下保博さんといっしょにワインをいただいた。"Tomorrow"と"Listen to the Materials"なるご著作もいただいた。ありがとうございます。

じつはそのまえに、午後、1年生用の入門科目の講義をした。テーマは、21世紀の予想される趨勢と、それを念頭においた心構えという大仰なものと、丹下健三の建築というこれまた大仰なものであった。

基本はぼくのような20世紀(東西対決、インフレ、人口増加)の人間と、きみたち(教室の学生200人)21世紀(ワンワールド、デフレ、人口停滞と減少)人は人種が違いすぎるので、ほんとうはアドバイスできませんけど、という保留をしたうえでの話である。まずきみたちは2080年代をこえて長寿であり、ほぼ21世紀全体を生きるし、実労期間は50年をこえるだろう、しかし産業構造は20年ごとに激変するから、キャリアのなかで1回~2回のギアチェンジはかならずある。そういう可能性があることを前提とすべき。さらに人、食料、生産品、資本などすべて過剰となる長期デフレ社会ではつねに競争をかちぬく、そのためのイノベーションだという気の滅入ることもうけいれねばならない、そのためには学生のうちに異種部門の友人をつくって、各界にネットワークをのばせるとよろしい、など。つまりぼく自身がやってきたことの真逆である。

丹下健三論としては、ブルーノ・タウトの伊勢評価に刺激をうけた日本建築界が、さらに伊勢建築理論を深化させて独自の精神性と深みに到達したのが、丹下健三においてであり、大東亜プロジェクト、広島、代々木、東京カテドラルなどをならべると、彼は一貫して「精神的な伊勢」を探究したことがわかる。彼自身はそれを「象徴的」と称していた。その象徴性の次元において、神道もカトリックもかれにとっては同じであった。

学生にはそんな話をした。いきなりこれでは消化不良かもしれない。でも最後までほぼ全員が神妙に聞いてくれたようなので、20年後、彼らの心のなかで復活するかもしれない。ぼくは目の前にいる学生ではなく、20年度の立派な専門家たちに向かって話している気でいる。

夜、山下さんとお会いしたので、そんなことも話し合った。香川県庁舎はどうみても桂の路線なのだが、今見るとあまり迫力がないのは、そもそも原型にそうした崇高なる「象徴性」が不足していたかのように思える。

そのほか震災、競技場、建築業界、批評、交友、共通の友人、ここにいない第三者の建築家、世代論、人生計画などなどである。ぼくはいつもは物静かな人間のつもりであるが、おいしいワインのおかげで、しゃべりすぎたようで、宮崎に出張している大物建築家に、電話口でどうも酔っぱらって挑発的なことを言ってしまったようだ(反省しています)。

建築の5つのオーダーとか、7燈とか、建築はセット化が好きなである。それとはちがって山下さんの「7つの冒険」というセットはダイナミズムを感じさせる。さらにそれがモノ/コトの座標軸化により計49マスのマトリクスが生じる。建築家としてのアクティビティやアプローチを、○○主義というひとつに収れんさせるのではなく、定義をしっかりしたうえでの多様性を展開されようとしている。最近、建築の新方向をさぐるために、まず建築家の再定義がいるという論調が広まりつつあるようだが、山下さんは意識のチャンネルがおそらく最初からマルチ化されており、そのマルチ性を使いこなしているという印象であるし、そのような建築家性(?)について意識的でいらっしゃるようである。

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