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2013年4月の2件の記事

2013.04.28

磯崎新建築論集『記号の海に浮かぶ<しま>』

編集協力の松田達さんよりおくっていただきました。ありがとうございます。

磯崎本は「日本的なもの」いらいひさしぶりである。過去の論文の再録だけでなく、書き下ろしもあり、全体がひとつの都市論をなすように編集されている。

既読のものはとくに高速に進むとして、いっきに読むだのだが、やはり彼の文章は、いいというより独特だが、リズムが特徴的である。このリズムのせいで(おかげで)、よどみなく一直線に最後までいける。

それから彼の文章には、重文や複文はすくなく、ほとんど簡素な構造の短い単文である。箴言集だとも感じる。しかも明快である。ときにむつかしいのは、引用された概念のせいであり、それらは数式のXやYと思ってよめば、よい。そして頁が進むうちに、磯崎的思考のドライブ感がつたわってきて、ある意味、快感である。

このような意味で磯崎ディスクールは、理論というより物語である。しばしば状況への不可抗力的な巻き込まれがディスクールの重要な転換点となっている。だから、むしろ物語的、小説的である。小説・磯崎新である。これは執筆者が読者に憑依しようというディスクールである。

都市/建築というアポリアがあるらしいが、さすがに読者として感情移入はできない。時代横断的というか、彼はむしろルネサンス時代の建築家が20世紀に転生して生き直しているといったスタンスで書いているようにもみえる。

順番にいうと、かつては都市計画と建築という区分はなかった。それが20世紀初頭から、都市パラダイムが転換し、都市計画(学)と建築が分離した。しかしヨーロッパとちがって、アメリカや日本では、戦後になって分離したものの再統合がはかられる。思想としてはCIAM的古典的都市社会像がおくれて伝播しただけのようにも思える。とはいえ磯崎新が学生だったころ、日本の大学における研究体制において、建築と都市はまだ分離していないし、彼もその一体感のなかで学んでいた。だから彼の都市論は、内部における一体感と、外部における分離を、その葛藤そのものを立脚点としているようなものであろう。西洋的時間スケールでも、日本近代的時間スケールでも、あえてずれようとしているかにみえる。

伊藤ていじらと「日本の都市空間」を刊行したのもそういう文脈である。個人的に興味があるのは、参加者たちの役割分担である。日本文化に詳しい伊藤が「結界」や「間」を提供したのだろうし、磯崎は(昔の学生にはすぐれた教養書であった)カッシーラーの枠組みを提供したように思える。伊藤の観念論も卓越していたが、彼は西洋思想によってそれを展開する方向をあえてとらなかった。この意味で、磯崎は可能性としての伊藤ていじを展開したといえると想定している。

ともかくもパルテノンがギリシア都市と、パラディオのヴィラが都市特権階級の農業経営から不可分にように、都市と建築をわけて発想することはオーソドックスな視点からすればそれこそナンセンスなわけで、戦後の一時期の日本建築家たちは、この古典的理想に邁進していたといえるが、すぐ挫折する。建築と都市の分離は、すでに完了していたからである。

ただ磯崎新が独特なのは、事前に理想を準備するわけではないこと。つまり、この点はルネサンス的建築家とは違っていて、自己内部のイデアを準備しないこと、である。編集し、分析し、類型化し、プロットしていった世界を、事後的に建築なり都市なりと呼ぶという、きわめてはっきりした方法論である。地上における都市歩きと、俯瞰的なヘリコプター的観察を、交互におこなうということも特徴的である。そういうことで、すべては建築なのだが、すべてが「事前に」建築なのではなく、すべてを「事後的に」建築にしてしまうのである。

都市論ということで脱線すれば、かつてぼくは(ぼくだけでなく)、彼の都市論と安部公房の小説世界との類似性を感じていた。じっさい両者には親交があったらしい。去年、刈部直『安部公房の都市』(2012)を読んでおもしろかったが、60年代の都市化の時代においての、都市内存在についての新しい了解についてふれられていた。それが近代国家の形成と相関しているという指摘も、磯崎の視線とパラレルである。と思っていたら、磯崎新と刈部直が週刊読書人(3月15日号)で「思想としての建築」というタイトルで対談していた。つねに新事実がすこしずつ公表されるということで、フォロウするのもたいへんである。

すでに歴史の生き証人にして、いまも最前線の人ということで、傾聴すべきことは多いのだが、物語、読み物、として楽しもうとすると、やや既視的でもある。これは「建築の解体」の別バージョンの「都市の解体」なのであろう。

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2013.04.02

福田晴虔『アルベルティ』中央公論美術出版

図書館で発見したので読んでみた。じつは昨年6月に、ある機会に福田先生におめにかかったとき、拙ブログのブルネレスキ評をほめていただき、アルベルティも読むようにとご指示いただいていた。が、多忙を理由にすっかり失念していたという次第で、つくづくぼくは世渡りがヘタである。

稲垣先生と福田先生のやりとりまではさすがに後輩のぼくが知るよしもないが、近代における建築家のありかたのような課題であったらしい。すなわちアカデミズムからプロフェッショナリズムに引き継がれる西洋の保守本流のながれのなかで、アーツアンドクラフツ運動から近代デザインへの流れはバージョンアップされた職人的な建築家像を対峙させるのだが、そういう近代の文脈を意識しつつ、建築家概念の始まりでもあるアルベルティの思想、そしてアルベルティが建築家として自ら選んだ立ち位置を再検討しようというものである。

とはいえ職能論ではない。むしろ理念と理論を構築することの立ち位置である。福田先生によれば、アルベルティの核心は「リネアメントゥム」から出発してコンキンニタス(全体的な調和)にいたるという道筋なのであるが、この建築家は古典主義建築の言語を隠れ蓑にしたり、仮面としてつかっているうちに、後世の人間は後者こそがアルベルティの本質であると勘違いしてしまった、という。

だからここでは建築家とは何者かということと、理論とはなにか、ということが相関している。これは重くて核心的な課題である。福田先生でなくしては提示できないような課題である。

『ブルネレスキ』と同様、本書ではルネサンス建築をネオプラトニズム的視点から解釈することを拒否し、さらには19世紀的な様式史観をも批判し、みずからの視点を確立する。すなわち、冒頭で述べられているが、建築を超越的なものに従わせるのではなく、その内側から解釈してゆく、という。たとえばアルベルティの建築がネオプラトニックだと指摘するのは、アルベルティの仮面をもって形而上学的なものと評価し、そのことによって彼の本意をみすごすことである、といったようなことである。

本書には作品解説もよくなされていて、マントヴァのサンタンドレア教会堂は古代バシリカの単純な再生ではなく、いわば抽象空間を凱旋門という具象で隠蔽したものだとか、刺激的な説明に満ちている。

さてそれはそれとして、いろいろ刺激的な読書からぼくがどう誤読してゆくかという話なのだが、たとえば都市は大きな住宅であり、住宅は小さな都市だというテーゼは、それこそネオプラトニズムの大宇宙/小宇宙理論ではなく、そこに都市社会/個人の二重性のようなものがひそかに含まれており、都市国家間の抗争と、都市社会内における有力勢力の葛藤というつねにクリティカルな状況のなかで建築を構想することは、建築を二重に語ることを余儀なくさせる力学を作用させるのではないか。そこでは絵画に描かれた図像がじつは別のなにかを意味するというイコノグラフィーのことではなく、建築が、というか建築を構想し、建築理論を構想することそれら総体がひとつの隠喩なのであろう。理想都市も、彼らがいきた現実の都市社会との関連で理解しないとわからないのは当たり前だが、建築はきわめて具体的な空間や建造物を提示しながら、べつのなにかを覆い隠し、あるいは換言するのであり、この換言はわからない人にはわからない。

そういう意味ではコンキンニタス(全体的な調和)というのは、理論的にしっかりした概念ではなく、あくまで理念である。現実から抽出したものではなく、アプリオリな理念ではないか。たとえば神学が、神を前提にしなければこの世のすべてが成立しないという論理構築をしていながら、せっせと神の存在証明をしている(ということはこの世の存在証明をしている)ようなものであろう。だから透視図法の消失点とは、紙のうえのコンパスの痕跡でありながら、そこから遠く隔たった別の理念的な点でもある、といったようなことと同じようなことなのであろう。

そういうことを考えると、理論とは現実に一致することに意義があるのではなく、現実と違っているからこそ意義があるのであろう。

さて情報によればこれから福田先生は、理想都市論を書き、そしてブラマンテ論を書かれるそうである。ブルネレッスキ論、アルベルティ論から推察してそれは「それ自身としての建築」というものになるような気がする。ルネサンスの巨匠という多くの碩学が解釈に解釈を重ねたものをとおして、それを探究するのはひとつの大胆な冒険であり、誰もがなしうることではない。それは諸理念の否定ではなく、それら以上に普遍的なものをめざす別の理念の表明となるのではないか。しかしそこには、建築の論壇が長いこと忘れていた、本質論への希求があることは確かである。

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