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2013年3月の3件の記事

2013.03.29

『宮脇檀まちなみ読本』

住宅生産振興団体から「家とまちなみ」no.67が送られてきた。ありがとうございます。

その特集が宮脇檀であった。

彼はぼくが大学3年生のとき、非常勤講師としてやってきた。ほかにも池原先生がきてくれた。ぼくは宮脇檀のグループにはいり、彼の課題をこなした。住宅の課題であり、例の「ボックスシリーズ」の手法を踏襲させるものであった。同時に彼が出版した日本の近代住宅についての文献などは、課題があったこともあって、なんども目をとおしたという、教科書であった。当時は黒沢隆、ミシェル・フーコー、フィリップ・アリエスなどが世代的教科書であった。

宮脇は洒脱な人で、非常勤にきていたときはまだ40歳そこそこであったことに今計算してわかったのだが、手八丁口八丁、吉村順三の弟子であることを自慢しつつも「ぼくはドメスティックなものが得意(注:住宅作家だという意味)という評価だけど、それだけじゃないよ」と講評のときも教授たちのまえで言い放つのであった。

特集の解説にもあるが、オレゴン大学が日本の伝統的集落をデザインサーベイしたのが1965年、宮脇ゼミのそれが1966年から73年までである。非常勤にきたのはその直後であったのか。さらに逸話としては1960年、24歳のときに、彼は日本全国8600㎞あまりをドライブして民家や集落を見学していた。その資金は、石津謙介の店舗設計のバイト代というから、まさに時代の子である。

そののち周知のとおり、まちなみデザインの方向を発展させ、東急、積水など多くの仕事を手がけるのだが、ぼく自身はそのあたりはあまりフォローしていない。

今思うのは、アメリカ発のバナキュラーなものへのまなざし、60年代から70年代にかけてのデザインサーベイといった全般の、歴史的位置付けである。おそらく若いときにこれらに関与した世代がのちに環境法などを制定する主体となったのであろう。また、その前例はなかったかというと、イギリス19世紀のドメスティック・リバイバル、スケッチェスクなどはそれに相当するであろう。そこからアーツ・アンド・クラフトや近代デザインが誕生した。もちろん100年後のほうが方法論も格段に進歩している。宮脇のスケッチもほんとうに達者である。19世紀後期のイギリスも、1960年代の日本も、いちおうは近代化をなしとげている。近代化したからこそ、まだまだ残っている前近代の遺産をふたたび建築に環流させている。まちなみから学んだものを、郊外の新興住宅地に適応する。広い意味での再帰的近代化というやつではないだろうか。

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2013.03.27

槇文彦『漂うモダニズム』左右社

左右社さまよりいただきました。ありがとうございます。

360ページもあるエッセイ集であり、最近「新建築」誌で発表された「漂うモダニズム」など多数の論考が納められている。

彼が教授であったころ、ぼくはすでに研究室に配属されていたので、自分の恩師という実感はない。むしろ恩師以上のスーパー先学という感じである。つまり建築に進んだときのの最初の演習が「代官山ヒルサイドテラス」の図面コピーやらパース作成であったりしたので、この偉大な建築家は、教科書であり、神様であり、雲上人であり、ついでにいえばその最初の課題もたいしたできではなかったので、できの悪い学生がいだく劣等感のトラウマの根源のようなものであった。こういうリスペクトの仕方はもちろんよろしくないし、現代建築批評を書かせていただいたころにおいても、槇文彦について書くということは想像を超えていた。そういうことはぼくの発想のなかにはなかった。

個別なことで興味をひいたのは、谷口吉生への共感、そしてたびたびでてくる原風景という言葉であった。あるいはピーター・ウォーカーの言葉を引用して「静けさ」を建築の至高の価値とするといったくだりである。

槇は、やはりモダンを生きた建築家であり、モダンとそれへの批判の両方を、しっかりと誠実に天秤にかけられるそういう世代に属している。その他の世代はどちらかに肩入れしているのではないか、というような意味で。まず市民として近世や明治からの都市を体験として知っている。そして1950年代にアメリカに留学することでモダン本流の建築教育を受けることができた。だから1960年代のラディカル、70年代の伝統回帰、80年代のバブル、90年代のグローバル化といった20世紀後半のおおきな変動にたいして客観的な距離をとりつつ的確に判断してゆく。そして現在は「大海原」である。

産業は20年ごとに浮沈する。文化や社会はもっとはやく変化し、10年すれば状況はかわる。そのなかで揺らがない視点をもちつづけたということである。

そういう論考は、エッセイ「漂うモダニズム」のなかでおおきな枠組みとして描かれなおされている。「個別/普遍」という構図である。地球上の各地域にあったそれぞれ固有の建築は、近代という時代になって、共通の基盤をもつようになり、普遍的なものがオーバーラップしてゆく。そうした文明を生きているという自覚である。

とはいえ槇は、様式建築/インターナショナルスタイルといったすこし時代遅れの陳腐なことをいっているのではない。「様式」もまた普遍をめざすものだからである。

以上のような槇の論考をぼくなりに受け取ると、「個別/普遍」は、概念においてはたがいに排他的であるが、現実においては対立しているのではなくレイヤー的にオーバーラップしているということである。昨年話題になった橋爪大三郎『ふしぎなキリスト教』においても、多神教から一神教への移行は、ある意味で必然的な段階的プロセスとして説明されている。そして地球上のかなりの地域では、多神教世界が根底にありながら、その上位に一神教がなりたっている。この構図はヨーロッパでもそうだし、ぎゃくにイスラムではどうかと思う。そしてその構図は、21世紀における世界の動因のなかで宗派がきわめて重要なものとなっている状況のなかで、まずます鮮明になってきているように思える。グローバル化のただなかにおいてまさに宗派間の争いは最も激化しているのである。

そう考えると、反近代を叫んだもっとあとの世代よりも、個別/普遍のレイヤー構造を理論としても体験としても知っている槇文彦のほうが、グローバル化の21世紀初頭においてもまた別の有効な広い視野を提供しつづけているのも、これまた理論的に納得できる。

個人的な史観としては、近代はいつはじまったかという議論があるが、都市計画法の成立をもってひとつの画期(始まりではない)とすると、よく整理できると思っている。そういう意味では1928年生まれの槇はまさにモダンである。その言葉の最良の意味で。

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2013.03.04

澤田肇『フランス・オペラの魅惑』

著者の澤田先生より賜りました。ありがとうございます。

留学していたころ今のオペラ・ガルニエで《トリスタンとイゾルデ》を観たり、ディープなファンではないのでまったく体系的ではないが、親戚を案内してバスティーユのほうで《トスカ》を観たりもした。2年ほど前、モダンな演出の《魔笛》をみてがっかりしたことがあったが、ミロス・フォアマンの《アマデウス》にあるような演出のものを観たいのになどと思ってしまう、このあたりがぼくの素人感性である。

そもそもオペラ座というのはぼくにとってはシャルル・ガルニエの建築としてまずプリントされ、つぎにオペラ座だからオペラなんだという順番であったので、本末転倒、遠近法の逆転なのではあるが、じつをいうとバレエのほうが楽しめる。ドロテ・ジルベールは華があっていい。《ライモンダ》はほんとうによかったなあ。でもだいぶ系統はちがうけど、2カ月まえにガルニエで観たウイリアム・フォーサイスは素晴らしかった。

というようにまったく系統だった観劇でないのは、研究旅行のついでに観ているからなのだが、まあ未熟な趣味のせいでもあるのだろうね。なにしろ、こっそり演目にあわせて海外出張の日程を調節している大学教授もいると噂には聞くのであるが、そこまでの根性はない。

だからこのようにフランスに的を絞り、博覧会や政治といった背景をおさえつつ、文化史としてのオペラを描く本は、ぼくにとってはほんとうに教科書である。ちなみに2年前、澤田先生にはシンポジウムにご招待していただいて、そのなかでぼくはサクレ=クール建設の話をしたのだが、この聖堂の計画当初、ガルニエのオペラ座をサクレ=クールに改装する案もあった。ぼくは建築畑の話として、教会建築の文脈でさらっとのべただけであった。澤田先生はこの逸話にも触れられていて(44頁)、つまり劇場史あるいは音楽史のなかでもこの逸話は有名なものであったということで、他分野の専門家がどんなことを知っているか、まったく無頓着であったことに反省する機会にもなった。とはいっても反省はできても事前に予期はできないのだけれど。

本書で選ばれている「20の傑作」のなかで観てみたいのはメシアン《アッシジの聖フランチェスコ》であろうか。《時の終わり・・・》はときどき愛聴しているし、カトリック信仰を背景にして音楽にとりくむ彼をみていると、いわゆる「宗教芸術」なるものの典型的な20世紀的意味を感じられるような気がする。20世紀的意味とは、政教分離社会において宗教と芸術がまたあらたな関係をもったのではないか、というようなことである。

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