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2012.09.28

谷口吉生《鈴木大拙館》

「新建築」9月号に掲載されていたので、注目してみた。池と建築を一体化した、ミニマリズムと表現するのは短絡にも思えるような、すばらしい空間構成と動線計画である。大拙の哲学世界に没頭したのちに、水面を眺めながら、いや周囲を水にかこまれたたただなかに身をおき、瞑想する。それは大拙をとおして自分の内面にたちもどり、自己自身の世界をしかし客観的・瞑想的に観照することなのだが、それが一種の彼岸の世界であるかのように構想されているのである。

谷口吉生の作品では上野にある法隆寺宝物館が印象的である。なぜかというと浄土庭園の構図そのままであるからだ。昨年、学生を引率してほぼ30年ぶりに法隆寺を見学したが、その裏にあるミュージアムは擬復古調の和様様式であったので、おなじ法隆寺でも皇室をとおして国民が鑑賞できるものは、日本的にしてインターナショナルなモダン様式、そのままの場所におかれたものは擬歴史様式というわけで、この違いを説明するなにか上位の枠組みがあるのではないかと思えた。

昨年は宇治の平等院、今年は浄瑠璃寺をみたが、後者は建物のスケールはそこそこであったので、まさにこれはランドスケープであり、建築はどうもみてもフォリーの扱いだなと思った。日本建築の解釈としては、昭和になって茶室が日本的なものとして浮上したが、それまでは日光東照宮であったりこの平等院であったりするが、東照宮はそののちランクをすこし下げたが、この浄土庭園の系統はそうではないようである。水/建物、自然/人工、此岸/彼岸という二元論がある意味普遍的であり、西洋でも理解しやすいからであろう。

だから1893年にシカゴで開催された博覧会では、平等院のような日本館が建設され、ライトがそれを見学してますます日本文化に関心をいだくようになる。浄土庭園は日本的なものを代表するイコンであった(10円コインの裏側をかざる装飾でもあった)。

そのシカゴでは同じ1893年に「シカゴ万国宗教会議」が開催され(おそらく万国博の企画の一部であったのではないか?)、そこで鈴木大拙が禅文化をアメリカに紹介し、それが国際的に禅がひろまったきっかけであったというようなことが、磯前順一『宗教概念あるいは宗教学の死』(2012)でふれられていた(pp.132-133)。この書は高揚感をもって読めたひさしぶりの文献であった。近代日本において形成された「宗教学」が一種のメタ宗教(学)であったことを力説している。つまりキリスト教、(宗教ではないが)マルクス主義といった大文字の思想がはいっているのにたいして、仏教、神道などをどう位置付けていくか、しかもそれがたんなる宗教の問題をこえて、日本の近代国家や近代個人をどう確立してゆくかという問題のなかで、「宗教学」とは土着のそして外来の諸宗教の上位に、だから一種のメタ宗教(学)として機能することが期待され、そうすることで内外を調停しながら、日本のアイデンティティを保証してゆくという壮大な思想構築なのであった。

1893年シカゴ万国博。

それを出発点として「禅」が世界にひろまる。さらにはそれが日本に逆輸入される。大拙は『禅と日本文化』をまず英語で書き、それが日本語に翻訳されることで市民レベルでの禅理解ができる。

それを出発点として、浄土庭園=日本的デザインが世界に広まる。ライトの旧帝国ホテル、磯崎新のチームディズニービル、谷口の法隆寺宝物館の系統ができる。

ついでにいうと親鸞の浄土真宗が、個人をその内面に還元することをめざしたという点では、プロテスタンティズムに相当するという宗教観もまた、このシカゴ博あたりかららしい。ぼくは奈良盆地の寺内町である今井町に学生を引率したとき、そういう個人内面指向の宗教が、資本主義を生み、都市を生み、そして近代を生んだというようなことをいおうとしたが、いかんせんぼくは歳をとりすぎていて、なぜかそれはいわないままにしたのだが。

だから谷口吉生が鈴木大拙館を設計することは、たんなる偶然どころか、ほとんど必然であって、そこに近代における変わらぬ構図と問題の核心があるように思える。谷口建築の、静謐な空間。しかしそれは短調さに陥らず、そのなかに深みと精神性と、人間を内省に導く力があることはほとんど説明なしに了解できるもののように思われる。ただそこにまさに「日本的霊性」が空間として実現されているのであろうし、それがなにかのかがまだ完全には解明されていない、いや解明すべきというより、さらに次元を上げて措定されるべき問題として、立ち現れているのではないだろうか。


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