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2012年5月の3件の記事

2012.05.30

Born to be wild

しっかりゼミをやったあと、学生といっしょに《イージーライダー》を鑑賞した。

アメリカ60年代のコミュニティ運動に関連したことをやっている学生がいるのだが、なにしろ学生にとっては生まれる30年もまえのことだから、感覚がない。そこで時代感覚を養うためにこの映画を提案したのであった。

ぼくは中学生のころにロードショーで見て、40年ぶりくらいになる。今見るとストレートにわかる(気がする)。

オートバイにまたがり、腕時計を捨てて旅に出る主人公は、アメリカ的自由理念をストレートに表現しているようでそうでもない。西部劇の馬のかわりにオートバイ、である。しかし彼らはモーテルには泊まれず、野宿をつづける。これは西部劇のもじりである。東から西への開拓物語とは逆の西(LA)から東(ニューオーリンズ)への旅、という演出だけがすべてではない。アメリカ原住民、ヒッピーコミュニティ、カトリック(マルディグラ)との出会いを重ねて行くように、マジョリティではなくむしろマイノリティとの出会い、中心的ではなく周縁的なものとの遭遇、そこにこそ自由が問われるという深い構図がある。

記録として重要。道路。1925年のUSハイウエイ網策定案、1930年代のニューディール政策などにより道路網が整備され、そのインフラ上に1969年のこの映画ができる。二人が旅している道の両側に展開されていた、当時の風景が記録されている。工場などの産業施設が撮影されていて、まだまだ実体経済のあった時代のアメリカが記録されている。郊外の新興住宅地、やはり郊外だがほとんどスラム街のようなところ。景観記録フィルムとしても面白い。

伝統的にアメリカのフロンティアは西であった。西部開拓。ジェファーソンのモンチチェロも西方に理想郷を設定しているし、それをもじったフィリップ・ジョンソンのニューカナーンもそうである。49ersというアメフットチームがあるが、それは1849年のゴールドラッシュでカリフォルニアにラッシュしてやってきた人びとを意味する。スタインベックの『怒りの葡萄』(1939)もまた、農民が夢をもとめてオクラホマからカリフォルニアまで苦難の旅をするのであった。しかし1969年にはとっくにフロンティアは消えていた。だからライダーたちは東を目指した。そうしてピーターフォンダらの旅はある種の先祖返り、しかも手のとどかないもどかしい先祖帰りなのであろう。

学生の反応はなかなかよくて、西から東へという旅は、それまでの西部開拓の方向とは逆である、カトリックの祝祭(マルディグラ)やカトリック墓地をとりあげたことの重要性の指摘、など。ゼミ的にきいてみたら、学生全員からしっかりした反応がかえってきた。

関連ありそうなことを思い出す。サイモン&ガーファンクルの《アメリカ》、ポールサイモンの《マルディグラ》や《アメリカンチューン》なんかは同じようなアメリカ的理念の問い直しである。はたまたラストの狙撃シーンは、その数年前の大統領暗殺事件のトラウマそものものが無装飾に露出しているという感さえする。

人類が月面着陸をしたころ、地球上はこうだったのである。アメリカは、地上のフロンティアをなくしていたので、宇宙を目指したと昔からいわれていたが、そのまんまである。

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2012.05.27

中沢新一『建築の大転換』など

ぼくは中沢新一の本はけっこう読んでいたつもりであった。でも最近になって必要ができて再読しようとすると、初期のもの以外はほとんど読んでいないことに気がついた。書評やなんかの話題で接していただけなのに、読んだつもりになってしまう。そういうすごい書き手なのである。ともあれそんな経緯で『建築の大転換』『大津波と原発』『網野善彦を継ぐ』『日本の大転換』『純粋な自然の贈与』『芸術人類学』『フィロソフィア・ヤポニカ』『対称性人類学』などをざっと読んでみた。

あらためてわかったのであるが、彼はかなり若い頃から自分のモチーフを確立していた。つまり5万年ほどまえに人類の脳は飛躍的に進化して、流動的な使い方が可能となり、アナロジーやシンボルのようなことができはじめたが、それは人類共通の原理のようなものとなった。その原理から、芸術、宗教、言語などは生まれた。それを共通の祖型としつつ、人類は各地に散らばり、異なる人種や民族となったが、祖型はあくまで共通している。そんなことに学生のころに気がつき、仏教と量子力学の共通性などについて考えていたという。

この共通する祖型は、流動性という強い特徴があるという。この祖型からラスコーの洞窟壁画、(洞窟の比喩が好きな)プラトンの『コーラ』、仏教、近代物理学、近代アートなどが誕生した、というのである。近代合理主義への批判というように位置付けると、なるほどひとつのしっかりした陣営を構築したかのようである。

レヴィ=ストロースの野生の思考をそんなふうに普遍化するのも面白い。

ただそこまで大風呂敷だと、建築分析に役立てたいなどという動機はけしとんでしまうのであるが。

それからそんな単純な二元論として解釈すると、チュミの『建築と断絶』(ピラミッド/迷宮)とかタフーリの『球と迷宮』といった世界観、すなわち計量的な合理主義と、そうではない非合理主義的なものとの相克として近代建築史はあるといった見方とそんなに変わらないことになってしまって、話を面白くしたい方向にはいかない。

でもいろいろ考えると、戦前の京都学派は近代の超克などということをいっていて、批判されることもあったが、前述の『コーラ』概念を導入し、西洋の近代合理主義を批判するなどというようなことをやった。ジャック・デリダの『コーラ』なども出版され、建築界でもこのプラトンの概念が80年代90年代にさかんに言及されると、結局のところ、というか、ひょっとしたら、20世紀のKWであったのかもしれない。

さらにいえば、日本は西洋の建築概念と格闘したあげく、伊藤ていじが「間」をKWとして抽出し、さらに磯崎新がその世界展開をして、世界に知らしめた。でも最終的には『建築における日本的なもの』などのなかで、間=プラトンのコーラ、などという主張を繰り返しているなどということを読むと、勉強させていただいておいて傲慢ではあるが、むしろぎゃくに「間」の活用とは20世紀的なものであったなどと相対化されて、はい一丁上がりなどということにもなりかねない。

でもそうした相対化こそに意義があるのかもしれない。20世紀論はまだはやいかもしれないが、その枠組みのイメージのひとつをもたらしてくれるからである。

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2012.05.19

豊川斎赫『群像としての丹下研究室』

オーム社よりいただきました。ありがとうございます。

さっそく一読した。建築雑誌2011年2月号に書いた拙論『国家のアイコンをめぐって----折衷主義・純粋美学・弁証法』を思い出した。国家を代理代表する建築として、日本では、鹿鳴館的な折衷主義、「日本的なもの」のような純粋美学、アポロとディオニソスを統合しようとした丹下健三のような弁証法、という3類型に分類できて、私見では丹下的アプローチがまだのびしろがあると指摘した。それにたいし難波和彦さんからは、多様な現代にあってそんな単純化ができるのだろうかという批判をいただいた。そういうながれからすると本書は、ぼくの予言(?)を応援しているかのようである。

さらにくだらないことをいうと、日本史上の建築家をひとりえらぶなら、重源か丹下健三のどちらかであろう、ともこのブログで書いたこともある。

個人的には、遠い昔、建築に進学して専門家になろうと意識したころ、まず読んだのが丹下の文献であり、まず見学したのが香川県庁舎であったので、気合いはすこしははいる。じつは最近気合いをいれて読む本がなくてほんとうに困っていたのだが、ひさしぶりにテンションが高まった。

表題からわかるように、丹下を中心にしながらも、立原道造、浅田孝、浜口隆一など多くの同時代人にも触れていて、たいへん詳しく取材していて、詳細に書かれており、本格的である。論文はやはり素材が命であり、大きなものを対象にすえ、かつヒアリングなどでオリジナルな生の情報にもとづいて書かれているので、久しぶりの本格派といったところである。

本格派なので読む側もつい細かいところが気になったりする。たとえば「衛生陶器」(p.7)発言は、そのとおりなのだが、本書では1985年の文献に再録されたものからの引用である。戦前の、具体的などの状況で、具体的にどの建築家のどの作品についてなされた批判かはわかっているはずなので、そこまで書いたほうがいいのではないだろうか。

P.63あたりで感じたが、やはり国家=モダン、近代化は国家が主導するもの、という時代なので、丹下はそのパラダイムに忠実であろうとした。その忠実度が際立っている。ただぼくが注目するのは、時代の課題に忠実とは言っても、機械的な政策検討者・立案者にはならないで、スタディをベースにしながらも、どこかで超越するその超然としたありようが丹下ならではなのであろう。そういう意味では、本書のなかでも述べられていた構造派と芸術派の対立を、まさに弁証法的に超越するような立場にいたことになるのだが。

「住宅は建築ではない」(p.76)というのは、端的に西洋思想である。ただ、これは日本がそこまで近代化したというように解釈するか、あるいは市民派を自称する建築家とは違うぞ、あるいは商業主義的建築家とは違うぞ(それぞれ代表選手がいるのだが)、という建築家意識なのか、いろいろであろう。

ドイツ観念論で成長した丹下が、ロストウ「離陸論」などをいいだすのは、どうもそこでなにかが変わったような気がする。20世紀全般を俯瞰すると、戦前はドイツ観念論、マルクス主義、フランス現代思想という順番で、日本の建築若者にとっての教科書は変わっていったのだが。

長谷川堯による丹下批判「<国家>の意図に従順」(p.370)の再批判は、すこし機械的な気もする。たしかに70年代は丹下批判もあったのだが。ぼくとしては丹下理論も理解し、長谷川の主張もわかる、両にらみの気分ではあったが。ただ丹下の場合は、国家が彼に指令したというより、彼自身が国家であったので、従順もなにもないとおもうのだが。つまり磯崎さんの追悼文にあるように、丹下はなによりも国家建築家であった。それは国家主義の建築家という意味ではなく、国家=世界を自分で構築しようとする建築家、すなわち神/建築家アナロジーという意味においてそうであった、のだが。

ともかくも深い追体験の書であることは確かである。

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