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2012年3月の3件の記事

2012.03.25

ティム・ブラウン『デザイン思考が世界を変える』

たまにはこんな本もと思って、図書館で斜め読みした。学生のころ『生きのびるためのデザイン』なる本があったが、そんな感じかなとおもっていたら、この本もしっかり引用されていた。

学生向けなのであろう。理論的すぎず、現在進行形の語りであり、いろいろなプロジェクトがいきいきと説明されている。小池百合子のクールビスだとか。最近のBOPにも言及されている。いわゆる先進国のデザイナーは第三世界といわれたものへの注視をおこたっていない。といった比較的最近の動向も紹介されている。MBAなどビジネス教育にもデザイン思考がとりいれられている。翻訳もこなれている。

ただ上流に遡るとか、クリエーターと消費者(ユーザー)のコラボとか、クライアントをデザイン経験に参加させることっとか、グローバルからローカルへといったよいことが書かれている。ちょっと平板である。ライトの「フレーベル教育」、フラーの宇宙船地球号とか、すこし題材が古くさい印象もうける。

それから理論的基礎は省略されている。ポランニーの暗黙知や、アメリカ大都市の死と再生論、知識産業・知識経営、はたまたサッセンのグローバル都市などといった理論が背景にあるのはあたりまえだが、それへの言及はない。はたまたipodが企画されたとき、アップルの経営者たちはそもそも音楽を聴くこととはなにか、といった根源的な議論がなされたとかいった面白そうな話もない。だから全体としては表層的である。もちろんデザイン事務所が活発にいろいろ活動している雰囲気はよくつたわってくる。

でもこれならグーグルがデジタル図書館をつくって世界政府を構想するなどといった、ちょっとファナティックなほうが、一種の悪未来的な読み方もできて、読書としては楽しいのだが。

それから建築的に思うのは、建築/デザインの関係がまったく変わったということであろう。100年前、古い技術がまだ残存していた建築は、工業デザインを模範として、みずから近代化・合理主義化しようとしていた。いま、それほど根本的にパラダイム的に学ぶものはないのであろう。大量生産の時代がとっくに終わっていて、高度な一品生産の時代だなどといえば、ようするに建築の時代(のはず)なのである。ぎゃくに建築はなにをモデルとしたらいいか、という問いが残っているとも感じられる。

もちろん311以前に出版された書物なので、すこし雰囲気があわないのは不利ではあるが。

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2012.03.14

建築・遺産活用エリア(Avap)という新制度

これは従来の「建築的・都市的・景観的文化遺産保存区域(ZPPAUP)」にとってかわるものである。従来制度をはなはだ損ねるものではないが、持続可能な発展というものを組み合わせることで、バージョンアップされる。Avap(Aires de mise en valeur de l'architecture et du patrimoine)の定訳はないようで、建築・景観活用区域とする研究もあるようだが、ここでは「建築・遺産活用エリア」としたい。

2011年12月19日にまず「建築・遺産活用エリア(Avap)にかんするデクレ」が発令された。
2012年3月2日に、上記にかんする通達が、文化財局長から地域圏知事へなされた。Avapのための手引きのようなものらしい。

ル・モニトゥール誌WEB版の解説などによると、現行ZPPAUPは2015年7月14日(なぜか革命記念日)まで有効。つまり持続可能性にかんするGrenelle II法が制定されて5年後、という。建築・遺産という枠組みのなかに、さらに環境・持続可能性という軸がはいってきて、両立できるのかという懸念もあるというのではあるが。また現行ZPPAUPが新しいAvapとしてぞれ以前に承認されることはできる。しかしこの日までに新制度に再登録できないと、歴史的建造物の周辺地区とかはほぼ最初から再構築のようなことになるらしい。

もともと文化財保護の政策は、きわめて中央集権的に、国家主導的になされてきた。その権力がしだいに分権化され、地方圏知事などにすこしずつ委譲された。Avapはさらにコミューン(基礎自治体)の自律性を高める枠組みになっている。

地域ごとの建築や文化財の価値は、まさに地域の人がいちばん知っているだろうし、その活用もまた遠隔操作では問題があるであろう。だから1980年代以降の地方分権化のながれにそって建築・遺産活用も展開してゆくのであろう。ただうがった見方も知りたいのではあるが、教育・文化予算などは大幅削減の傾向のなかで状況は苦しいのではないかとは想像するのだが。

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2012.03.13

大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ』など/アトリエ・ワンの42住宅

大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ』

早く帰宅できたので、ターミナルで書店によってみた。3月6日発行という標記文献を買った。

311以降の哲学を論じた本書は、まず前半は理不尽な絶滅、アイロニカルな没入、偽ソフィーの選択などのこれまでの緒論を編集したような内容である。後半は、(原発事故=)すでに訪れた神の国、普遍化されたプロレタリアートの概念、そして「未来の他者」について論じているが、ぼくのような読者にとってはあまり読みやすくない。結論が特異な社会契約というもので、これはいわゆる「第三者の審級」をいちど未決定の状態にもどす、すなわち「原子力の平和利用」という超越的記号を決定以前の状態に戻すこと、なのだという。そういう結論は、疑わないで、そうなのだと受け止めるべきであろう。

メタフォリカルな話と、理論的な話を交互にくりかえすのは、たとえ話のテクニックなのであろう。ただ今回はそれが黙示録的な語りにような雰囲気を生じさせる。たとえば超越論的記号をいちどもとに戻すという発想も、現実にはそれがいかに困難であるかという認識を地にして語られているのであろう。

中野剛志・柴山桂太『グローバル恐慌の真相』

こちらはEU危機に応えて書かれている。グローバル経済、アメリカ金融経済、ギリシア危機、中国経済の困難といった状況のなかで、デフレ傾向、格差社会、製造業の没落、新しい南北問題、内需の重要性、が論じられる。よくまとまっているが、新しさはどこかは、専門家でないのでよくわからない。共感がわくのは、19世紀もグローバル経済の時代であったという認識、重商主義の意味内容、といった大きな枠組みはそのとおりであろう。ただそれが建築史とリンクするとどうなるか。ベネボロなどの歴史観によれば、自由放任主義の19世紀において都市は無秩序に成長したが、20世紀はむしろコントロールの時期であった。21世紀はどちらかというと19世紀的である。しかし国家や社会的繋がりの役割が再認識されたりするのは、たんに19世紀的なのか、しかしヴァージョンアップしているのか、ということである。

JA no.85(住宅の系譜 アトリエ・ワンの全42住宅)

たんなる住宅の特集としてみていると、自宅で読書したりSOHOで知的作業をする、そういう施主が多いのだろうか。ほとんどの人間がケータイやPCを使う現代は、庶民だの、労働者だのといった人間類型が通用しない。それでは21世紀はどのような類型概念が可能であろうか。

大澤/中野/アトリエワンと横断的斜め読みをすると、21世紀的なプロレタリアートはこんなところに住むのか(戸建てだからそうではないがずだが)、商品としての土地がある意味でとてもクレバーに活用されるのはこういうことなのかな、と妄想が走り出す。ほとんど間違った妄想なのだろうが、具体的に立ちあげられた空間はそれなりに世界の構造を反映しているはずである。

アトリエ・ワンの住宅は、それまでのタイポロジー的アプローチをまったく払拭した、境界条件とその場における重要なパラメーターの抽出という方法論において、新しいのだと理解している。もちろんタイポロジーや歴史上の典型が意識のなかで参照されないわけではないだろうし、政策論・産業論にリンクしそうにない(といっても、べつにリンクしてもいいのだけれど)。

ただかつて「住宅=小さな神殿」というような神話化があった。それはここにはない。だから強引にいうと「第三者の審級」をうまくはぐらかしていて、とてもフレキシブルに感じられる。それが普遍化したプロレタリアートなのかどうかはしらないが、重要な内需の拡大ということにはおおいに貢献していそうである。

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