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2011.12.23

東京ミッドタウンを去るということで

六本木の東京ミッドタウンにはデザイン・ハブというものがあって、デザイン振興会やグラフィックデザイン協会などがはいっている。ぼくの大学の部局も、5年間ギャラリーを間借りして展覧会やさまざまな企画をおこなってきた。地方大学が首都圏に拠点をもって成果をとうというなかなか意欲的な試みであった。

契約期間が終了するので閉所式をきのうおこなった。そのために挨拶にいったというわけである。ただぼくじしんはほとんど貢献していないので、組織を代表して挨拶などということは、たいへん恐縮である。スピーチのなかで「はなはだ恐縮ではございますか」を数回くりかえしたものであった。

デザインではなく建築・都市をやているぼくとしては、三井不動産による民間開発、それによる東京のさまざまな重心の移動、というようなことが興味深かったので、そのことを話した。

場所は重要である。

まず武家屋敷の文脈。丸の内の屋敷街がオフィス街になったように、有栖川記念公園には充実した図書館があるように、そのほか大学や公共施設は旧武家屋敷に建設されたように、武家屋敷は東京における空間ストック・空間遺産であり、それをうまく継承するようなかたちで都市は発展してきた。だから萩藩毛利家の下屋敷であり、近代においては陸軍、米軍、防衛庁とひきつがれたこのミッドタウンが、芸術とデザインの街にかえるという意思のもので再開発されるのも、まさに都市の変容の典型的な一つの形である。さらにそれまでは上野や銀座であったかもしれないデザインの中心が移動したわけで、こうした都市内における重心の移動というのは都市や文化をかたるうえで不可欠である。

さらに庭園・公園の文脈。ロンドンのハイド・パークで1851年に開催された万国博からデザインの歴史がはじまったように、博覧会、勧工場、内国博らは日本の大名庭園をふくむ公園・庭園で成長した。じつに庭園は近代デザインの揺籃であった。ミッドタウンの庭園もなかなかのもので、夜になるとイリュミネーションが美しく、デザインを発信しようという意思が観じられる。

だからこの場所は、時代の変革のなかでデザインが変わる場所でもあり、そこに立ち上げの5年間かかわれたというのは、たいへん貴重な体験であったのである。

・・・ということで店子として大家様にオマージュを送ることで、ぼくの挨拶としたのであった。

それで帰りの機中でつらつら考えるに、上記へのアンチテーゼももちろん、たくさんいだいている。

場所性ということでいえば、萩藩下屋敷、陸軍、米軍・・・というながい歴史を考えれば、ここは男性原理にもとづいたマッチョな空間である。こういう経緯は、あたかも深層心理のように、今あるものに影響を及ぼす。

社会学者に指摘されるまでもなく、ここは米軍施設だったので、だから今でも外国人が多く、国際的な雰囲気がしておしゃれなのである。しかも将校宿舎である。彼らがよい文化やしゃれたアメリカの生活をもちこんだことは想像できる。しかも20年もいなかったのである。それがこれほどの刻印をおす。それほど場所の力はつよい。

さらに米軍にとどまらず、武家屋敷、旧軍もいたとなると、いくら除霊してもここの男性原理はゆるがないであろう。さらにそれが大企業の手にわたり、冷酷な資本の力で再開発されるとなると、その原理はますます揺るぎないものとなるであろう。そのなかでデザインを問うとは、どういうことなのか?ぼくは批判しているのではなく、そこには現代のぬきさしならない状況があってもおかしくない、その問題を抽出することこそ、デザインの問いではないか、ということをいっているのである。

武士や軍隊が悪いのではなく、男性原理ということである。ぼくが感じるのは、都市のなかで、これほどの広大な空間を扱うというシステムこそが、10ヘクタールの空間を所有し使用するということそのものが、男性原理的なのであって、江戸はこのシステムによって機能し、明治の東京もそのままそれを引き継いだのであり、ついでいえば平成の再開発も資本がそのままこの空間原理を継承したのであった。

田中角栄いらいの、中曽根民活いらいの、男性原理的プラットフォームのうえでのモデユール的都市開発と位置づけられるこういう例が、ほんとうの評価を得られるのは100年後であろう。

ブラックな未来予想もできて、日本が経済的に没落すれば、ふたたび外国や外資に譲ればよいのである。10ヘクタールという土地の使用をカードとして、幕府と藩が、日本とアメリカが関係を調節してきた。超高層がそびえる今のこの場所も、くるかもしれない国難への準備カードと思えば、頼もしく思えるかもしれない、などというのはかなりうがったブラックコメントなのであろう。

もちろん逆の評価もある。日本の都市は、狭小な土地に細分化されていて、それらは私的に絶対的に個人所有されていて、都市を社会資本として有効活用できない。旧武家地は理想的な都市計画をおこなうチャンスではあった。

だから一方的にどうこうということではない。しかしデザイン、それからついでに建築ということを考えるときに、男性原理的なものをそのまま微分して現場に適用するようなことではこころもとない。女性原理も必要だし、日本は後者なしにはなりたたないだろう、と思うのである。5年間で、そんなことも、考えてよかったのかもしれない。

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