« 『19世紀パリの民衆』展 | トップページ | ハードな現実とソフトな建築、あるいは宗教なき宗教性 »

2011.11.26

楕円の間にて

帰国を明日にひかえ、図書館で半日すごした。ヴィヴィエンヌ街の国立美術史図書館である。ラブルーストが設計しギーディオンもとりあげた旧国立図書館のすぐ近くである。パサージュ・ヴィヴィエンヌと旧図書館の一体はソルボンヌ大学の美術関係、国立図書館の一部、この美術史図書館などが近隣関係をなし一体化し、パリにおける美術研究センターといった趣である。

2006年から改修工事が進行中で、完成は2016年という。先を急がぬヨーロッパで、しかも経済危機であるから、もうすこし先であろう。しかしぼくにとっても、クリエイティブ隠居生活にとっては不可欠の施設であろうから、ほんとうに楽しみである。

19世紀の文献数冊に目をとおしていると「しあわせ~」な気分になって、時空をこえて昔にリンクされているような気分になってくる。

そういえば博士課程の学生であったころ、すぐとなりのラブルースト設計国立図書館の閲覧室で文献をひたすら読んでいたなあ。ベンヤミンもほんの50年まえに同じ閲覧室のどこかの机でメモをとっていたはずだ・・・などと考えながら。この楕円の間も、雰囲気はそれに近い。

ドクターの学生とおもわれる人が、ルドゥの本を必死で読んでいた。あの表紙だとアンソニー・ヴィドラ-である。近未来の建築史学者に幸あれ。

ネットワーク時代前後の図書館というものを考える。

書店は、買わさせたいように書籍をならべ、買わせる。図書館も、整理整頓するだけではなく、新刊書コーナーなど、けっこうディスプレイを考えていて、つまり読ませたいように本を並べる。そういう意図は、「他者」に由来する。

ところがネット書店、ネット図書館は、たしかに便利だが、どんどん自分にとってカスタマイズ化されてしまい、他者が希薄になる。だからへえ!という本に出会う確率はどんどん小さくなってしまう。つまり広がらない。

図書館のよさは、それが他者であるということだ。自宅で本を読んでもどうも時空を越えた気分にはならない。図書館だと、一種の特殊空間・第三空間なので、著者が執筆した空間により近づいた感じ(幻想)がする。それがより昇華されると、著者一般、すなわち人類の英知そのもの、に近づいた感じがする。それがアレクサンドリア図書館、ル・コルビュジエのモンダネウム構想、グーグルの世界図書館をドライブしているものである。たしかにそれは一種の神殿化であり、幻想である。超越としての図書館である。ただ読者のモチベーションはそんな演出で結構活性化されるものである。それにたいして日本(ひょっとしたらアメリカの?)の図書館はどんどん非超越化しているように感じられる。そこには逆方向の意図がはたらいているように感じられる。

そういう話はいいとして、そのうち、2~3週間でも、図書館がよいに没頭する旅行がしたいなあ。レジャーとしてでもね。

|

« 『19世紀パリの民衆』展 | トップページ | ハードな現実とソフトな建築、あるいは宗教なき宗教性 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 楕円の間にて:

« 『19世紀パリの民衆』展 | トップページ | ハードな現実とソフトな建築、あるいは宗教なき宗教性 »