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2011.11.14

カンにて

Caen市(フランス、ノルマンディー)にいる。

1059年、ノルマンディー公ギヨーム(ウイリアム)と后マチルドは、それぞ聖エティエンヌに捧げられた男子修道院と、三位一体に捧げられた女子修道院を設立した。両修道院はいまはカン市内であるが、中世でにおいては、コンパクトなカン市を挟むように、ゆるやかな斜面の丘のピークにあった。カン市の町並みごしにお互いがみえる。そんな景観であった。

そののち1066年、ギヨームはイングランドを征服する。彼は1087年に没するが、その墓はサン=エティエンヌ内にある。マチルドの墓は女子修道院のほうにある。距離にして1.5キロメートル。散歩にはほどよい距離である。

とはいえ公と后は別々に埋葬されているという受け止め方もできる。近親だという理由から法皇に正統な結婚と認められなかったことが背景にあるのだろうか。

ふたつの修道院の教会堂は、ノルマン様式だともされ、石積みは重厚で、装飾はすくなく、側廊には二階席があり、半ヴォールトがバットレスの役割をしており、シトー派教会堂ほどではないにしても、ミニマルな良さを感じさせる。

Caen市内には4つの教区教会があったそうである。それらは規模としてはイル=ド=フランス地方のゴシックにはかなわないが、コンパクトで豊かに装飾された盛期および後期ゴシックの秀作である。ノルマンディーはドイツ軍と連合国軍の衝突の場所でもあったので、戦争によってヴォールト屋根がおちるなどかなり破壊されたが、立派に修復されている。

とはいえ日曜日の午前中、修道院、教区教会をはしごする。ミサをやっているので、すこしのぞく程度であるが、オルガンが聞けたりして楽しい、さらに修道院と教区教会は、やはり経緯からもあって、様式といい、内部空間の質といい、まったく別物である。そこに公国の施設としての修道院と、都市建築としての教区教会の、根本的な違いが感じられる。

修道院にもどると、革命によって両修道院は国に接収されてしまう。三位一体のほうは1820年から1980年まで中央病院として使用されていた。教会堂そのものは1865年に教区教会となり(ということは都市化が進み、市域がここまで拡大したということである)、修復がなされた。1944年の連合軍進駐のときの被害はそれほどでもなかったようだ。室内の修復は1990-93年であったという。

ぼくが前回みたのは1986年ころであったので、施設全体が宗教的目的にもどされた状態であった(そのときはそんな経緯はほとんど意識しなかったが)。

宗教建築でありつづけたといっても、公爵設立の修道院、国有財産、病院、教区教会・・・という運命をたどる。革命、政教分離、都市域の発展、といったものに翻弄されたととるのか、しっかり生き延びているというのか、そこまで含めて歴史を語るのは興味深いと思う。

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