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2011.11.23

『19世紀パリの民衆』展

カルナヴァレ博物館(パリ市歴史博物館)で標記展覧会をみた。関連資料は膨大になるであろうこのテーマを、よく絞り込んでコンパクトな展示にしていた。解説もわかりやすかった。

19世紀パリには裕福でない「民衆」がたくさんいて、社会問題になり、1830年と1848年の革命、1871年の内乱はすべてこの階層との関連で語られる。ル・コルビュジエが「革命か建築か」といったのは、19世紀のこれら事件を忘れないフランス人にとってはすごく即物的な語りであった。それはともかく、民衆なるものが、衣服、住居、飲食、飲酒、音楽、子供、教育、福祉、病院、革命と内乱、警察、事件、など具体的なさまざまな角度から展示される。

都市との関連でみるとおもしろい。この点でも解説はわかりやすかった。パリは18世紀においては消費都市であったが、19世紀になると生産都市(産業都市)になる。産業は地方からの大規模な流入人口を呼びよせる。彼らが「民衆」なのである。

この「民衆 peuple」であるが、アメリカのpeopleともニュアンスがちがう。アメリカのピープルは、政治の主体としてしっかり位置づけられていた。フランスの場合、僧侶・貴族・市民という3身分制のなごりがあったが、それらにははまらないのが「民衆」である。彼らは19世紀の政治にとって主体ではなく「対象」であった。そういう点では日本の「細民」に近いかもしれない。

展示では、上にのべた1830年・1848年・1871年のそれぞれの事件で、パリのどの道にバリケードが構築されたかのプロットが興味深かった。ぼくが大学の授業でも説明している、1848年のバリケードは、みごとに東半分に集中していて、豊かな西/貧しい東を示唆していたが、ほかの2事件ではさほど強烈な分布はみられない。しかしコレラ死亡率では東西格差は顕著である。

パリの東西問題は、20世紀末の地区再開発においても、ミッテラン大統領のバスティーユ・オペラ(西のガルニエにたいして東のバスティーユ)においても、つねに意識されてきた構図である。

音楽では、酒場などで演奏される民衆的音楽と、それまでの伝統音楽がはっきり2分化するのが19世紀中盤ということらしい。

病院。最近日本でも話題になっているらしいが、医療の未発達な19世紀にあって、病院はむしろ孤独をまぎらわしたりする癒し施設であった。だから民衆はそのように病院を使った。ただ最後の場所としては嫌ったという。

フレデリック・ルプレが「社会経済」概念を提唱して労働者の問題にとりくんだこと。そういえば面白かったのはマルクスへの言及がほとんどなかったこと。

20世紀は都市、社会、建築のさまざまなレベルにおいて、この民衆をふくめた社会をなるだ非差異化して標準化してならそうとした世紀であった。しかしそれは最終的に解決したわけでもなく、基底的なところは残っているという印象である。

そうこうするうちに新自由主義経済によって疲弊した人びとが、大量の失業者たちが、人間の顔をした資本主義を希求するようになるという昨今の状況は、19世紀的状況の復活というより、現れはかなり違ってはいても、それと連続的につながっているのではないか、とさえ思える。

そういうことを感じさせようとしたとしたら、博物館の見識というところであろうか。

それにしても今回の調査旅行は、なんか暗いなあ。

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