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2011.11.02

レム・コースハース『プロジェクト・ジャパン』

WEB版アーキテクチュラル・レヴュ-に書評がでていた。Jack Selfという人が書いた、10月29日付のものだ。

Project Japanはまだ読んでいないし、読まない可能性も大きい(たんに怠惰だから)のだが、Jack Self氏のすばらしい要約を一読すると、読んでみたい!という気持ちと、すばらしくわかったからもう読む必要ない!という気持ちがどちらも大きくなり拮抗してくる。

ようするに、コースハースは「メタボリズム」を政治化し(政治的文脈で論じ)、新自由主義経済がメタボリストたちの最後のユートピア的夢を粉砕するプロセスを描こうとしている、という紹介である。

ほとんど注釈のいらない要約だが、ちょっとだけ書いてみる。

建築家たちの夢を、アヴァン=ギャルド、ラディカル、ユートピアンなどさまざまにラベルを貼ることはできるであろう。キャッチはさまざまであれ、建築の形態、空間の(再)組織化によって、社会を再構築できると信じること。それが建築家の夢である。

しかしそれが経済システムによって粉砕される。日本国内的にいえばT首相が開始し、N首相が大々的に拡大した路線が、こうした建築家たちの夢を縮めていったのであった。

70年代や80年代におけるメタボリズム批判が思い出される。つまりスクラップアンドビルドの政策をずるずると肯定するものである、高度経済成長政策への無批判なすりより、環境破壊・古い町並み破壊の同調者、などといったところである。近代建築のなかのいわゆる機能主義・合理主義の継承者であるメタボリズムを、文化や伝統、人間的価値から批判しようとすることがなされた。こうした直後の批判が、むしろより長いタームでの批判をむしろ妨げていたのかもしれない。

経済論理に身をゆだねたとして批判されたメタボリズム。じつはメタボリズムは経済の論理によって裏切られていた?

などということを考えると、日本近代建築は、自分たちがじつはとても政治的であることを自覚しつつ、しかし政治的言説ではなくあくまで建築的言説として思想を表明する、そのような業界的しきたりをつくってきたように思える。だからコールハースがまっこうから政治化しようとするととても新鮮である。でもコールハースの模倣はしないであろう、とも思う。

というわけで森美術館の「メタボリズム展」、やっぱり見てみようかな。

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