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2011年11月の10件の記事

2011.11.26

楕円の間にて

帰国を明日にひかえ、図書館で半日すごした。ヴィヴィエンヌ街の国立美術史図書館である。ラブルーストが設計しギーディオンもとりあげた旧国立図書館のすぐ近くである。パサージュ・ヴィヴィエンヌと旧図書館の一体はソルボンヌ大学の美術関係、国立図書館の一部、この美術史図書館などが近隣関係をなし一体化し、パリにおける美術研究センターといった趣である。

2006年から改修工事が進行中で、完成は2016年という。先を急がぬヨーロッパで、しかも経済危機であるから、もうすこし先であろう。しかしぼくにとっても、クリエイティブ隠居生活にとっては不可欠の施設であろうから、ほんとうに楽しみである。

19世紀の文献数冊に目をとおしていると「しあわせ~」な気分になって、時空をこえて昔にリンクされているような気分になってくる。

そういえば博士課程の学生であったころ、すぐとなりのラブルースト設計国立図書館の閲覧室で文献をひたすら読んでいたなあ。ベンヤミンもほんの50年まえに同じ閲覧室のどこかの机でメモをとっていたはずだ・・・などと考えながら。この楕円の間も、雰囲気はそれに近い。

ドクターの学生とおもわれる人が、ルドゥの本を必死で読んでいた。あの表紙だとアンソニー・ヴィドラ-である。近未来の建築史学者に幸あれ。

ネットワーク時代前後の図書館というものを考える。

書店は、買わさせたいように書籍をならべ、買わせる。図書館も、整理整頓するだけではなく、新刊書コーナーなど、けっこうディスプレイを考えていて、つまり読ませたいように本を並べる。そういう意図は、「他者」に由来する。

ところがネット書店、ネット図書館は、たしかに便利だが、どんどん自分にとってカスタマイズ化されてしまい、他者が希薄になる。だからへえ!という本に出会う確率はどんどん小さくなってしまう。つまり広がらない。

図書館のよさは、それが他者であるということだ。自宅で本を読んでもどうも時空を越えた気分にはならない。図書館だと、一種の特殊空間・第三空間なので、著者が執筆した空間により近づいた感じ(幻想)がする。それがより昇華されると、著者一般、すなわち人類の英知そのもの、に近づいた感じがする。それがアレクサンドリア図書館、ル・コルビュジエのモンダネウム構想、グーグルの世界図書館をドライブしているものである。たしかにそれは一種の神殿化であり、幻想である。超越としての図書館である。ただ読者のモチベーションはそんな演出で結構活性化されるものである。それにたいして日本(ひょっとしたらアメリカの?)の図書館はどんどん非超越化しているように感じられる。そこには逆方向の意図がはたらいているように感じられる。

そういう話はいいとして、そのうち、2~3週間でも、図書館がよいに没頭する旅行がしたいなあ。レジャーとしてでもね。

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2011.11.23

『19世紀パリの民衆』展

カルナヴァレ博物館(パリ市歴史博物館)で標記展覧会をみた。関連資料は膨大になるであろうこのテーマを、よく絞り込んでコンパクトな展示にしていた。解説もわかりやすかった。

19世紀パリには裕福でない「民衆」がたくさんいて、社会問題になり、1830年と1848年の革命、1871年の内乱はすべてこの階層との関連で語られる。ル・コルビュジエが「革命か建築か」といったのは、19世紀のこれら事件を忘れないフランス人にとってはすごく即物的な語りであった。それはともかく、民衆なるものが、衣服、住居、飲食、飲酒、音楽、子供、教育、福祉、病院、革命と内乱、警察、事件、など具体的なさまざまな角度から展示される。

都市との関連でみるとおもしろい。この点でも解説はわかりやすかった。パリは18世紀においては消費都市であったが、19世紀になると生産都市(産業都市)になる。産業は地方からの大規模な流入人口を呼びよせる。彼らが「民衆」なのである。

この「民衆 peuple」であるが、アメリカのpeopleともニュアンスがちがう。アメリカのピープルは、政治の主体としてしっかり位置づけられていた。フランスの場合、僧侶・貴族・市民という3身分制のなごりがあったが、それらにははまらないのが「民衆」である。彼らは19世紀の政治にとって主体ではなく「対象」であった。そういう点では日本の「細民」に近いかもしれない。

展示では、上にのべた1830年・1848年・1871年のそれぞれの事件で、パリのどの道にバリケードが構築されたかのプロットが興味深かった。ぼくが大学の授業でも説明している、1848年のバリケードは、みごとに東半分に集中していて、豊かな西/貧しい東を示唆していたが、ほかの2事件ではさほど強烈な分布はみられない。しかしコレラ死亡率では東西格差は顕著である。

パリの東西問題は、20世紀末の地区再開発においても、ミッテラン大統領のバスティーユ・オペラ(西のガルニエにたいして東のバスティーユ)においても、つねに意識されてきた構図である。

音楽では、酒場などで演奏される民衆的音楽と、それまでの伝統音楽がはっきり2分化するのが19世紀中盤ということらしい。

病院。最近日本でも話題になっているらしいが、医療の未発達な19世紀にあって、病院はむしろ孤独をまぎらわしたりする癒し施設であった。だから民衆はそのように病院を使った。ただ最後の場所としては嫌ったという。

フレデリック・ルプレが「社会経済」概念を提唱して労働者の問題にとりくんだこと。そういえば面白かったのはマルクスへの言及がほとんどなかったこと。

20世紀は都市、社会、建築のさまざまなレベルにおいて、この民衆をふくめた社会をなるだ非差異化して標準化してならそうとした世紀であった。しかしそれは最終的に解決したわけでもなく、基底的なところは残っているという印象である。

そうこうするうちに新自由主義経済によって疲弊した人びとが、大量の失業者たちが、人間の顔をした資本主義を希求するようになるという昨今の状況は、19世紀的状況の復活というより、現れはかなり違ってはいても、それと連続的につながっているのではないか、とさえ思える。

そういうことを感じさせようとしたとしたら、博物館の見識というところであろうか。

それにしても今回の調査旅行は、なんか暗いなあ。

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人間の顔をした資本主義?

ねんのためにWEBで検索したところ、日本における「人間の顔をした資本主義」の初出は2008年のようである。

このお題でフランスの週刊誌が特集をくんでいたので面白かった。リーマンショック以来、新自由主義、市場至上主義がうまくいかないのは共通の認識になってしまった。

もとはといえば「人間の顔をした社会主義」なのであった。そもそも自由主義経済が人間にとって過酷なことは、19世紀の自由放任主義で判明していたのであった。それを正すための社会主義であったが、それが抑圧的となったので、人間の顔をした社会主義などといわれた。それがこんどは資本主義の番である。状況の逆転などというものではない。再逆転、あるいはそのまま、である。こんなことになるなら、そもそも、人類は19世紀の経験をほんとうに学んだのか、とまでいいたくなる(がそれも極論であろうが)。

日本では社会的住宅というのはほとんど死語のように感じられる。しかしヨーロッパでは社会的住宅が不足していて、なんとかしなければという状況らしい。さらにはMoMAの展覧会で、社会性のある建築プロジェクトなどというテーマのものがあるらしい。

19世紀の自由放任にたいし、20世紀はじめの社会主義的な介入がなされた。それらは排他的なふたつの選択肢として人類のまえに提示された。公共住宅などというものもいちばん分かりやすい例である。

そうだとすれば21世紀は、資本主義的原理と社会主義的原理の調和的な組み合わせ、というようなことになりはしないか。それは市場と国家が、現実をみながらえんえんと綱引きをするという構図である。

いずれにせよひとつのオールマイティが支配する世界は地獄であるというのが最近の2世紀における人類の経験である。そういう意味で複数の力がせめぎあう構図をつくる。市場と国家(行政?)などというのもそうかもしれない。

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2011.11.20

ヨーロッパの危機

カンからパリに移動。電車のなかで週刊誌をぱらぱらめくる。

日本ではギリシア、そしてイタリアの状況がよく報道されている。

フランスでもそうだが、ここではむしろスペインとフランスである。

スペインにかんしては、高級マンション街が建設資金もとだえだれも入居していない、地方空港も新設されたが飛行機はとんでこない、バレンシアの文化センターもうまくいっていない、などなど。スペインの経済破綻はすぐ日本でも話題になるであろう。

危機からの回復はかなり時間がかかりそうで、ヨーロッパも「失われた10年」になるのではないか、という観測もある。

フランスもかなり悲観的であるようだ。全体像を描けるほど読んではないが、興味深い指標はいくつかあった。住宅はこれからも不足気味。財政赤字も拡大傾向。フランスの外国への借金はおおきくなっている。

原子力については、次期大統領選挙をにらんで社会党と緑の党が共闘関係をむすんだが、MOXについての条文が削除されたのどうので騒ぎになっている。ただ原発依存率を下げる方針で大統領選挙にのぞむ方針はあきらかである。世界で消費されるエネルギーのうち、原子力によるものは6%にすぎない(フランスの週刊誌によれば)ので、世界全体からすれば脱原発は大きな問題ではないはずである。

どうでもいいが、いまテレビでやってるが、ボーヴェではツィッターで小学校教育をはじめた。教材につかわれたのが日本の俳句だという。なるほど字数制限があるなかいい素材である。

書店をのぞいてみても、経済危機、グローバル化にたいする反省の声が支配的である。「社会の再構築」などというタイトルの新刊書もあった。市場原理は社会を崩壊させるが、21世紀の課題はそれをいかに再構築するかが課題という。ぼく自身、19世紀の再来となるであろうと思っていたが、この文献にはまさにそのようなことが書いてあった。

ドーピングについて、ヤニック・ノア(80年代に活躍したテニスの人)がむしろ合法化したらと提案したのにたいし、柔道のダヴィド・ドゥイエがそれは無責任と批判していた。この国ではまったくなにを話し合っているのであろうか?

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2011.11.15

Caenの大プロジェクト

カンからバイユというところに鉄道で移動した。時間つぶしにキオスクでぶらぶら。村上春樹の『1Q84』第一巻がおいてあった。22ユーロもするので買わず。L'EXPRESS誌の特集が『10年後のカン----都市を変容させる大プロジェクト』と面白そうだったので、買って車中で読んだ。

邪推だが、全国紙のうちのご当地特集のようで、ページは正規連番ではないので、地方枠特別刷り込みといったところだろうか。すると表紙も地域によって変えられるようになっているようである。

建築プロジェクトによって都市が活性化されるという、いまどき珍しくストレートな内容である。内容を抄録してみよう。

ギヨーム征服王いらい中世、カンは躍進した。第二次世界大戦で市街地の70%を破壊されたが、復興した。戦後、産業も充実していたが、ノルマンディー金属協会やムリネックスが撤退すると衰退傾向にあった。市長はそれでも新テクノロジーの都市であり、研究開発が充実したダイナミックな経済を誇っているという。しかし人口は減少しつつあり、さらにグラン・パリ構想に位置づけられていないことから、それを模索しなければならない。

カギとなるのがパリ/カン間の鉄道の高速化である。パリに「近すぎて」TGV網から除外されていて、おかげで「19世紀以来まったく発展していない」鉄道連絡を刷新して、いまだと1時間45分から2時間かかるパリ/カンを、1時間15分にするのだという。2020年までには完成させたい意向。なるほどこれなら通勤圏になる。

さらに6大プロジェクト。

(1)ロルヌ川沿いに、集合住宅、オフィス、ホテル、シネコン、ショッピングセンターなど多目的複合施設。これは工事中であった。

(2)図書館。レム・コールハース設計。運河沿いに、十字形プランの図書館。図書のジャンルにしたがって4部分にゾーニングだが、外観よりもボリュームをくりぬいて巨大なボイドをつくり、そこを閲覧室などにする。ストラテジー・オブ・ボイドの再現であろう。出資は市が56%、地域圏文化局が27%、県が10%、地域圏が7%と、いまの地域圏行政システムの動かし方が垣間見える。

(3)公営スイミングプール。ソーラーパネルで温水を用意するのだそうだ。

(4)メディアセンター。旧公国館の再利用。

(5)医学部

(6)空港。滑走路を延長してビジネス用の空港としないと、経済が成長しないのだ、という。

そのほか、トラムの延長、港の充実、などいろいろである。

これら全体は2040年(!)を目指しているという。

カンはコンパクトな歴史的都市であり、文化遺産もそこそこあり、緑や水辺も充実していて、都市施設を充実させればかなり魅力的であろう。そのためにはインフラを整備して、パリとの連絡だけではなく、グローバルネットワークのなかにはいっていかなければ埋没してしまう、ということである。現状では、街も、落ち着いていし、失業者がウロウロしているわけでもないが、そんなに活気があるとはいえない。魅力的な公共建築をつくることが、都市の活性化になれば、ほんとうによいのだが。日本とはサイクルが違うという印象である。

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2011.11.14

カンにて

Caen市(フランス、ノルマンディー)にいる。

1059年、ノルマンディー公ギヨーム(ウイリアム)と后マチルドは、それぞ聖エティエンヌに捧げられた男子修道院と、三位一体に捧げられた女子修道院を設立した。両修道院はいまはカン市内であるが、中世でにおいては、コンパクトなカン市を挟むように、ゆるやかな斜面の丘のピークにあった。カン市の町並みごしにお互いがみえる。そんな景観であった。

そののち1066年、ギヨームはイングランドを征服する。彼は1087年に没するが、その墓はサン=エティエンヌ内にある。マチルドの墓は女子修道院のほうにある。距離にして1.5キロメートル。散歩にはほどよい距離である。

とはいえ公と后は別々に埋葬されているという受け止め方もできる。近親だという理由から法皇に正統な結婚と認められなかったことが背景にあるのだろうか。

ふたつの修道院の教会堂は、ノルマン様式だともされ、石積みは重厚で、装飾はすくなく、側廊には二階席があり、半ヴォールトがバットレスの役割をしており、シトー派教会堂ほどではないにしても、ミニマルな良さを感じさせる。

Caen市内には4つの教区教会があったそうである。それらは規模としてはイル=ド=フランス地方のゴシックにはかなわないが、コンパクトで豊かに装飾された盛期および後期ゴシックの秀作である。ノルマンディーはドイツ軍と連合国軍の衝突の場所でもあったので、戦争によってヴォールト屋根がおちるなどかなり破壊されたが、立派に修復されている。

とはいえ日曜日の午前中、修道院、教区教会をはしごする。ミサをやっているので、すこしのぞく程度であるが、オルガンが聞けたりして楽しい、さらに修道院と教区教会は、やはり経緯からもあって、様式といい、内部空間の質といい、まったく別物である。そこに公国の施設としての修道院と、都市建築としての教区教会の、根本的な違いが感じられる。

修道院にもどると、革命によって両修道院は国に接収されてしまう。三位一体のほうは1820年から1980年まで中央病院として使用されていた。教会堂そのものは1865年に教区教会となり(ということは都市化が進み、市域がここまで拡大したということである)、修復がなされた。1944年の連合軍進駐のときの被害はそれほどでもなかったようだ。室内の修復は1990-93年であったという。

ぼくが前回みたのは1986年ころであったので、施設全体が宗教的目的にもどされた状態であった(そのときはそんな経緯はほとんど意識しなかったが)。

宗教建築でありつづけたといっても、公爵設立の修道院、国有財産、病院、教区教会・・・という運命をたどる。革命、政教分離、都市域の発展、といったものに翻弄されたととるのか、しっかり生き延びているというのか、そこまで含めて歴史を語るのは興味深いと思う。

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2011.11.08

会議>展覧会>学会>展覧会>学会・・・・

金曜日。

某市にて某会議であった。あまり詳細を書くことは差し障りがある。大学は、グローバル化、学生のレベル変化、教員の勤労意識の変化などで、経営側もまた疲れている。往路でランチ、復路で夕食という、健康に良くない一日であった。

土曜日。

8:30の便で移動。ひたすら睡眠を補う。

午前中は、ギャラリー間で震災関連の展覧会を見た。被災前の街をホワイト・ボリュームで復元した模型が並べられていた。被災地を思う、というその指向性をそのまま模型にしたような展覧会であった。

お昼は、ミッドタウン裏のインド料理屋でランチをいただいた。辛さ5段階で4を選択したが、辛かった。はやめに入ったので最初は客といえばぼくひとりであったが、出るときは5人になっていた。ランチは裏通りに限る。

午後は某学会の全体シンポジウム。公/私という二元論の、普遍性と個別性、現代的意義、今後の展望などを論じたものであった。ハーバーマス『公共性の構造転換』と網野善彦『無縁・公界・楽』などがいまだに支配的な理論的骨格をなしているとということが軽い驚きでもあったが、古代、近代、日本、中国、イスラムではもちろん公/私概念はまったく違うが、どう違うかが明快に説明されていた。

夜は森美術館でメタボリズム展。若い見学者を中心に多くの人びとが熱心にみていて、興行的には大成功であった。この建築理論は、今風のことばでいえば、アルゴリズムの提案である。有機体というアルゴリズムは基本的には19世紀のものである。構造とは生物学における動物身体の構造という概念に由来している。成長という発想も、1910年代には都市計画の領域では登場している。ひとつひとつの発想はそれぞれ少し以前にその源泉があるようだ。建築は機械であるという発想も、ル・コルビュジエを経由して、すくなくとも19世紀にまで遡及できる。では1960年代のメタボリズムのどこが新しかったか。おそらく建築をメタフォリカルな次元で説明しようということが、日本においてもなされた、ということがひとつあるであろう。

コンビニ+ビジネスホテルの組み合わせは秀逸なる貧者の合理性そのものであり、自宅から目的地ギャラリーまでほとんど車窓の外を眺めないトリップにはふさわしい施設なのだと感心しながら、すぐに安眠する。

日曜日。

某学会の研究発表を拝聴する。リテラシーの権化のような学会であったので、アーカイブ探求の深さには毎度感嘆するのであるが、住宅、都市といったフィジカルな対象に関するものになると、さすがに建築畑とは完全に同じものを共有しているわけでもなさそうである。

帰りの便。キオスクで文庫本4冊を購入。現代兵器、生活設計ノウハウ、健康指南、日本史秘話などについてページをぱらぱらめくる。自分をわざと俗物におとしめるという自虐的な読書である。

月曜日。

お昼はパスタランチをいただきながら、同僚たちに学会とメタボリスムの話をする。メタボリズムの発想では、基本的に私人はカプセル空間に収容される。それらカプセルと都市との関連づけかたはまさに有機体論的にされているが、この理論枠組みはそれほど緻密とは思えない。丹下健三は個人空間/社会空間というような階層化を考えていたし、CIAM的な、ということは19世紀西洋市民社会的な広場理念をもっていた。だから理念レベルでは、ハーバーマスが『公共性』で理想化した古代ギリシアの公共空間を意識して再現しようとしたのが丹下であった。もちろんニーチェに詳しく、しかも自分を天才(=超人?)にたとえる丹下が、19世紀的市民社会をどれほど理想化していたかは疑わしい。しかもこの思想はチームXによってすぐ否定されるし、現代都市のダイナミズムは、社会を無数の個に解体し、膨大な粒子群が全体としては流体のようにさまざまな磁場や電場に引き寄せられて流動する。これを方向付けるのがメタボリズムであった。

そういう都市ビジョンに対する再度の批判が、こんどは1970年代のコミュニティ指向、定住指向からなされた。確かにかみ合った批判であった。しかしたとえば公/私が単純な二元論ではなく、さまざまなバリエーションが可能な多様な二項図式であったとしたら、メタボリズムをさらに加速させた結果考えられる悪社会としては、古代律令制的社会、などといったものが考えられるかもしれない。古代ローマ帝国は、帝政時代になっても、すくなくとも一種の擬制として共和制的・共同体的政治プロセスをのこしていた。おなじ推論をすれば、日本的な「公」は古代律令制にあるということなので、メタボリストたちという一種の代理王たちによる未来像の原形は、むしろそんなところに帰着する可能性がないわけではない。

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2011.11.04

福田晴虔『ブルネッレスキ』中央公論美術出版2011

長崎は今日も雨だった。のではなく、晴れていた。そんな長崎に日帰り出張し、車中で福田先生の近著を読みあげ、長崎につくころにはトランス状態になっていた。

ブルネッレスキの代表作を網羅し、アトリビュートもあやしいものもとりあげ、多くの先行研究に言及している。いつもながら文章もこなれていて読みやすい。建築を論じて格調高いという、近年では希な書き手となられてしまった。

内容解説をここでするわけにはいかないが、印象にのこったことを二三書く。というか一点に絞られるかもしれない。つまり先行研究にたいする批判的スタンスである。

ブルネッレスキは、前ルネサンスであった、古典主義といいっても厳密にはそうでない、という20世紀の代表的な通説にたいする批判。欧米の学者が、透視画法の重要性を過大評価することにもとても批判的である。

ネオプラトニズムの視点からブルネッレスキを分析しようとする視点にたいする批判。やや唐突に表明される。しかしパノフスキ-、ウイットカウアや、それに影響をうけたコーリン・ロアらの近代建築=ネオプラトニズムという視点が20世紀を支配したのにたいし、それを批判しようとしているのは、明らかだ。おもうにネオプラトニズムは古代アレクサンドリアに集結し、都市の崩壊とととも散逸したが、ワールブルク学派によって20世紀ふたたび統一的な像を結ぶようになる。建築史の研究において、ルネサンス建築の背景としてネオプラトニズムが注目されたなどという逸話的なものではなく、一種の「知の構図」であった。日本人研究者による成果は相対的に少ないが、それでも70年代はネオプラトニズムの一種のブームであったこと、たとえば三宅理一『エピキュリアンの首都』は神秘主義思想に注目することによって、その時代的刻印なのであった。そういう20世紀的パラダイムにたいして批判的なスタンスをとる。

さらにはルネサンスの建築家たちが「デコルム」という(社会的体面を建築表現において重視すること)理論を重要視したという歴史観にたいし、ブルネッレスキはそうではなかったと指摘する。これはジョン・オナイアンズ『意味を担うもの』への批判であろう。

このように20世紀における支配的であった理論をことごとく批判している。学者の辛気くさい実証主義ではなく、血の気の多い論が躍動しているのである。そういう意味でも、建築史の文献としては、ひさしぶりに挑戦のスタンスをはっきりさせたものといえるし、福田先生らしいともいえる。そしてこの視点は、ブルネッレスキ解釈のために見いだされたというより、福田先生自身の建築観をなす一部なのではないか。

建築史家はじぶんの建築観を過去の建築や建築家に投影する。だから建築史はたんなる過去の真実の発見であるにとどまらない。演出かもしれない。しかしそれでよい。ヴィオレ=ル=デュクがなしたのはそういうことであり、中世観としては問題があっても、未来を準備できたのであった。

磯崎新はブルネッレスキをテクノニヒリズムであるとする。福田先生は、ブルネッレスキは建築をある種の純粋な初期状態に還元し、建築そのものにアプローチした、というような説明をされる。序文ではじぶんは形而上学的な建築論はしないといいながら、でも、本書を貫いているのは、ぼくなりにいうと建築の純粋状態、すなわち形而上学的にまでなった形而下の建築、といいようなことであろうか。ほどほどにするために予防線をはるなどなさらずに、核心的な論考を続けられたいものである。

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2011.11.03

A book review on Rem Koolhaas' Project Japan

I happened to read Mr.Jack Self's book review on Project Japan, as of the Oct.29 issue of The Architectural Review web mag.

 

The clear-cut summary by Self is such a persuasive argument that urged me to read the tome, yet, at the same time, it made me feel there's no need to do so with this absolute illuminating review!

 

Self accurately points out that Koolhaas politicalized the Metabolism or urged it in a political context, describes that the neo-liberal economy broke down the last utopian dreams of Metabolist architects'.

 

Although this perfect summary hardly needs any annotations, still, some thoughts on its historical context to be followed.

 

Each architects' dream can be labeled as avant-garde,radical,utopian and so on. Whatever the catch may be, these dreams shared a belief that they are capable of reconstructing a society by means of architectural forms and spatial re-organizations.

 

However, their dreams were blown off by economic system. Prime Minister T launched a new urban policy that was taken over by his successor Prime Minister N, who even expanded it on a large scale, suffocating these architects' dreams.

 

In the 70's and 80's, Metabolism was criticized under the names of culture, tradition or human value, for being a successor of so-called functionalism / rationalism of the modern architecture, or for being an advocate of the economic boom's scrap-and-build policy. However, such an immediate criticism may have disturbed to make a longer-term longer-perspective criticism.

 

Here is a paradox: the metabolism once being criticized for embracing the economic logics, may have been betrayed by the very logic of the economy.

 

The Japanese modern architecture seems to have made a strong tradition of asserting thoughts in terms of non-politics, retaining to be architectural. That's why Koolhaas' straight-forward politicalization appears so novel. However, it is unlikely that he will provide a model to any architectural theorizations in Japan.

(注)文化の日ということで、前項の英語バージョンを書いてみました。

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2011.11.02

レム・コースハース『プロジェクト・ジャパン』

WEB版アーキテクチュラル・レヴュ-に書評がでていた。Jack Selfという人が書いた、10月29日付のものだ。

Project Japanはまだ読んでいないし、読まない可能性も大きい(たんに怠惰だから)のだが、Jack Self氏のすばらしい要約を一読すると、読んでみたい!という気持ちと、すばらしくわかったからもう読む必要ない!という気持ちがどちらも大きくなり拮抗してくる。

ようするに、コースハースは「メタボリズム」を政治化し(政治的文脈で論じ)、新自由主義経済がメタボリストたちの最後のユートピア的夢を粉砕するプロセスを描こうとしている、という紹介である。

ほとんど注釈のいらない要約だが、ちょっとだけ書いてみる。

建築家たちの夢を、アヴァン=ギャルド、ラディカル、ユートピアンなどさまざまにラベルを貼ることはできるであろう。キャッチはさまざまであれ、建築の形態、空間の(再)組織化によって、社会を再構築できると信じること。それが建築家の夢である。

しかしそれが経済システムによって粉砕される。日本国内的にいえばT首相が開始し、N首相が大々的に拡大した路線が、こうした建築家たちの夢を縮めていったのであった。

70年代や80年代におけるメタボリズム批判が思い出される。つまりスクラップアンドビルドの政策をずるずると肯定するものである、高度経済成長政策への無批判なすりより、環境破壊・古い町並み破壊の同調者、などといったところである。近代建築のなかのいわゆる機能主義・合理主義の継承者であるメタボリズムを、文化や伝統、人間的価値から批判しようとすることがなされた。こうした直後の批判が、むしろより長いタームでの批判をむしろ妨げていたのかもしれない。

経済論理に身をゆだねたとして批判されたメタボリズム。じつはメタボリズムは経済の論理によって裏切られていた?

などということを考えると、日本近代建築は、自分たちがじつはとても政治的であることを自覚しつつ、しかし政治的言説ではなくあくまで建築的言説として思想を表明する、そのような業界的しきたりをつくってきたように思える。だからコールハースがまっこうから政治化しようとするととても新鮮である。でもコールハースの模倣はしないであろう、とも思う。

というわけで森美術館の「メタボリズム展」、やっぱり見てみようかな。

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