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2011.10.16

シンポジウム『パリという首都風景の誕生』

仏会館のコンフェランスにパネラー招待されたので、土曜日は恵比寿までいってきた。

 美学、美術、文学、経済、建築(ぼく)などの多様な専門家たちが19世紀首都パリの景観を論じるというもので、面白かった。初対面の先生がたばかりであったが、さすがパリ、いきなりでもかみ合うものであった。

 19世紀の公園整備、ペール・ラシェーズ墓地の詳細な埋葬文化、日本人文学者がこの墓地にどのような観念をいだいたか、労働者住宅の経済学的な意味など、けっこうな話を聞けた。労働者住宅を経済学の観点から分析されたものは、近代住宅史をライフワークとしてものしたいという野望をいまだに捨てられないぼくにとってはとても参考になった。美学や文学で19世紀をやっている先生方は、アーティストや文豪についてもみならず、専門性に配慮してそれほど語らないが、建築家についてもしっかりチェックしている、ということもよくわかった。

 ぼくは「首都空間の聖性」というお題で、19世紀の霊廟や教会について話した。まず19世紀以降は、革命でキリスト教の教団組織がいちど解体されたあとの、世俗性社会のなかでの宗教建築というところに、再考すべき大枠があるのではないか、ということも枠組みとして大切だということも強調した。行政が教会建築を指導するということが、宗教団体に篤いというより、宗教への介入である。もちろんこのような大問題は、30分そこそこで論じ尽くされるものではないが。

 具体的にはパンテオンや、ペール=ラシェズ墓地や、サクレ=クールといった超メジャー物件。それからサントーギュスタン教会、ラ・トリニテ教会、サント=クロチルド教会といったすこししぶい物件。オーソドックスな物件ばかりであるが、最新研究を反映させたつもりである。これを機会に研究史的なまとめもした。それからパンテオンが19世紀の政権交代とパラレルに、霊廟になったり教会堂になったり、揺れ動いたという話し。またサクレ=クールにおけるビザンチン様式の文化的・政治的背景がじつは(故意に?)はっきりしない、というような話など。

 パンテオンにつての浩瀚なモノグラフを読んでいると、とあるパッセージに遭遇した。こんなことがかいてあった。ペール=ラシェーズ墓地には1830年の七月革命で犠牲になった自由派の人びとが埋葬されている。だから自由派の人びとが政治集会などをする場合は、まずペール=ラシェーズ墓地で集会する。しかし19世紀のある時期に、パンテオンが自由派埋葬的な役割をにないはじめると、自由派はまずパンテオンで集会をもつようになる、云々。といったことがわずか数行でふれられてるが、そこはとても興味深い。パリのなかで、教会や霊廟や墓地などがネットワークをなし、そのなかで神様や偉人や聖人などの配置が、政治的状況などを反映してたえず再編集されてゆく。そういう変転する構図があるのではないか、というのを結論とさせていただいた。

 ところで、他の先生のお話もちゃんと拝聴していたのだが、ぼくの脳のなかで「建築史学のメタ学問的構図」のようなことが、むくむくと登場してきてしまった。どうもぼくの脳は、目前の対象にぴったりピントをあわせるということが長続きせず、横滑りして、メタ的なことを考えてしまうようである。ほっておくと白昼夢の世界にいるのと同じようになって危険なのであるが、今となっては性癖でもあり芸風でもあるという、困った状況である。

 メタ学問の構図?それは宗教建築の宗教性というのはどういうことか、という根本的なことである。いいかえれば教会建築の「宗教性」と「建築性」というまったく異次元のこと2面があって、その二元論そのものがぼくたちの建築史学のパラダイムであり、モダニティであるというようなことである。

 通常の西洋建築史では、空間性が軸にされる。ロマネスクは空間モデュールの並置、ゴシックは上方、奥への空間の運動、ビザンチン建築は空間の流動・・・というように。これは20世紀の空間志向の建築史という一般的な枠組みのなかで、ペブスナーが諸研究をとりまとめたものである。つまり宗教建築の宗教性をつとめて脱色して、純粋建築言語にまで高めたものである。それから19世紀のイギリスで、ゴシックを初期、盛期、後期にわける時代区分が発展したが、これはほとんど標本学のようなものであった。ここでも宗教的ではなく世俗的である。それから教会堂設計の流れを、古典、ゴシック、ロマネスク、ビザンチンというような様式運動の歴史として描くオーソドックスな史観であるが、様式の戦いということを媒介として、政治や宗教と関係はなくはないとしても、やはり様式分類学という自律したニュートラルなものに転化してしまう。そしてそれは宗教的ではなくきわめて世俗的である。

 もっとも日本建築史では、おなじ二元論とはいっても、もうすこし距離は近いような印象であるが、ハイスパートの専門家の先生におまかせしたいところである。

 ここでふたたびハタと気づいたのであったが、まさにこれは宗教建築を世俗的な枠組みで読替をするものである。だから大きくは、(近代に構築された)建築史は、19世紀の世俗主義を反映している、あるいはすくなくとも、パラレルである、というようなことだ。

 では宗教建築の宗教性を強調するような研究はありうるだろうか。

 それは難しいか、つまらないかのどちらかであろう。なぜなら宗教儀式が空間構成にどう反映されているかというような研究は、基礎的研究としては重要であるが、なにか建築平面学の応用のようなものになるであろう。ゴシック建築がスコラ哲学を反映しているというのも、パノフスキーがやると格調高いが、これもたんなる反映論であるような気がする。宗教建築の宗教性を問うような研究は意外と難しいのではないか。それは、それほどまでに建築史という学問そのものが世俗性原理に起源をもつからなのである。

 では建築史学の世俗性原理そのものを改めるか?といわれれば。そこまではしないであろう、とは思うのであるが。

・・・というようなことを飛行機のなかでワープロし、自宅でブログにアップした(のがこれである)。明日は同僚のT先生につれられてフィリピンである。

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