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2011.09.24

奈良建築見学ツアー

学生を引率して古寺巡礼をした。ほぼ20年ぶりなので、ぼくが学生をつれていったというより、学生たちがぼくをつれていったようなものである。

社寺の写真のとりかた。外観は真正面から正対して。日本建築は、軒下を露出オーバーぎみに。などなどブランクをものともせず語る。

しかし虚心坦懐にはもうみられないのも事実で、法隆寺ではフェノロサのヘレニズム論、伊東忠太の法隆寺建築論、再建非再建論争、発掘調査、年輪年代測定法など、しだいに迂回して見るようになる。東大寺南大門では、太田博太郎の重源創造性論、伊藤ていじの『重源』、磯崎新の大仏様=大革命建築論など、海外にも情報発信されている建築論的視点からの歴史解釈などを語ってみる。一般的に、歴史を語ることは、歴史学の出自を語ることと切り離せない。だから歴史はつねに二重の語りになってしまう。日本ではそこに日本/西洋という二重構造がオーバーラップされる。学部学生にはすこし迂回しすぎる説明のしかたである。でもいまのうちにすり込んでおけば10年後20年後にいきてくると思う。

建築史学と現代建築が並走しつつたがいに刺激しあったよき時代であった。

実物をみることのメリット・デメリットとしては、脱線的思考におちいってしまうことである。法隆寺金堂はアルカイック的である。唐招提寺金堂はクラシック的である。12世紀末に完成された大仏様は、ゴシックの完成とほぼ同時期であり、構造美という点でも、中世の代表的洋式という点でも共通している。しかしそのころ東西の建築的交流があったわけではなく、共通性を支える基盤はまったくない。などととりとめもなく脱線してゆく。

またまた太田博太郎にもどると、平等院鳳凰堂はデカダンスで、東大寺南大門は創造性あふれる再構築という歴史観そのものはどうも納得できない。きみたちの目にはどううつるのか、と学生にきいてみる。

ミュージアム。法隆寺に新築されていた博物館は、飛鳥様式のRC建築であって、想像したとおり竹中工務店が建設したものであった。平等院のそれは、当世風の透明建築であった。どっちがいいと思う、とこれも学生にきいてみた。

春日大社あたりから、とくに若宮あたりを登っているあたりから、頭のなかを富田勲の新日本紀行が響き始めた。宇治、京都の東寺にいくにおよんでは、大音響でろうろうと響いていた。

なので自宅にもどってyoutubeで聞いて、やっと鎮めたのであった。

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