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2011.09.17

内田繁『戦後日本デザイン史』

新刊書コーナーにあったので読んでみた。

よく整理整頓されていて、戦後から00年代まで10年ごとがタテ軸、インテリア、モード、グラフィック、プロダクトなどの分野ごとがヨコ軸というマトリクスのなかで、代表的な作家、思想、背景がてぎわよく説明されている。

ぼく的には70年代の西武、パルコ、無印良品、おいしい生活、ふしぎ大好きあたりがべったりした日常であったので、その前後とからめてフラットに相対化されているのは読みやすかった。

いわゆる「デザイン」は専門外なので批評をする立場ではないのだが、占領軍、高度経済成長、消費社会、ポストモダン、グローバル化といった社会や経済の背景はよく説明されている。だからものすごくわかりやすい。

ではデザイナー固有の考え方や、思考のクセや、業界内文化のようなものがあって、これまで素人にはわかりにくかったが、ここではわかりやすく説明されている、というような印象ではなかった。また哲学や現代思想などとからませて説明するという(よくある?)語り口でもないのが、むしろ新鮮であった。むしろあえてそのままの語りをする、というスタンスである。

著者は、学者的なデザイン専門家ではなく、高名なデザイナーでもあるから、最後にはグローバル経済の破綻や地球環境の問題から生活そのものひいてはデザインの根本理念を変更しなければならないという、実践的で切羽詰まった思想をも表明している。それはほとんどの人間が共有できるものではあるのだけれど。この点でも、虚飾を排したような語りにみえる。

さらにいうと勝見勝はしばしば引用されているが、柏木博はきっぱり避けているのが印象的であった。

内田は戦後のデザイン史をデザイナーとして実践的に生きてきて、その激動の半世紀をふりかえり、歴史的のみならず倫理的に問い直しているのであって、社会や生活にたいして責任を負うのがデザイナーであるというスタンスである。その立場から生活への帰還をうったえている。だから本書は全体として、デザインのデザイン性というよりも、デザインの歴史というよりも、むしろ「デザインと歴史とのぬきさしならない関係」とでもいったことを訴えようとしている。そういうひとりのデザイナーの懐古的・倫理的マニフェストとして真摯に読むべきであろう。

八束はじめもそうなのであるが、歴史的叙述ではあるものの、自己の体験の範囲内であり、第三者ではなく当事者として内部からデザインを語るのであって、それは本質的に語り部的な語りなのである。だから読者としてはそうした誠実な語りを、とりあえずはやはり誠実に受け止めるべきなのであろう。

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