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2011.08.09

原聖『<民族起源>の精神史』と中本真生子『アルザスと国民国家』

フランスの地域にもすこし興味があるのでブルターニュ(原聖『<民族起源>の精神史』2003)とアルザス(中本真生子『アルザスと国民国家』2008)を読み比べてみた。

ブルターニュはもともとブルターニュ公国であり、女公アンヌの時代にフランス王国に併合された。背後にあるのは力の論理かもしないが、すくなくとも法的手続きにしたがってなされた併合であった。絶対王制時代の法制度については、専門家しか興味がないのであろうし、ぼくも断片的にしか知らないが、おもしろいのは高等法院の存続であって、パリ高等法院がフランス王国の最終審ではあっても、ブルターニュ高等法院はブルターニュの最終審でありつづけた。だからブルターニュはそれ固有の最終審をもちつづけ、司法上の独立性を継続できた。しかし1675年の印紙税一揆の際には、国王は断固たる処置をもってのぞみ、ブルターニュ高等法院をレンヌ外に移転させたのではあるが。だから地域の独自性の主張というのは、社会的、制度的なものであった。

しかし近代になって考古学・歴史学が発展し、ガリア、ケルトといった概念が登場すると、こんどは民俗、文化、言語、宗教などを根拠として地域の独自性が主張されるようになってくる。このあたりは素人にとってはこみいっていて、本書を読んでくださいというしかないが、19世紀における地方での民俗学・考古学関係の学会の成立というようなことがそれに整合しているという指摘はもっともである。

アルザスの歴史はすこしはしっているつもりであったが、『アルザスと国民国家』では豊かなマテリアルが示され、説明されている。この地域は、アルザス語が話される独自の地域であったが、ブルターニュほどの独立性はなかったようでもあり、とくにウエストファリア条約以後はドイツ領になったりフランス領になったり、苦難の歴史を歩んだ。本書も内容豊かなので、要旨というより感想を述べるだけではあるが、アルザスとしてのアルザスが成立しないことに不幸があって、つねに「フランスとしてのアルザス」か「ドイツとしてのアルザス」なのかであり、そのようにしか選択肢がない。言語的には、アルザス語、フランス語、ドイツ語の重層構造なのであって『最後の授業』にあるのは、学校教育から排斥されたフランス語という、ごく限定されたものであったことなど。アルザス人が、フランス人としてあるいはドイツ人として軍役にふくすかで、戦争責任のありかたが問い直されるなど、悲劇的である。

ミッテラン時代にできた地方分権制における地方圏(州)の区分は、ほぼ革命前の地域区分を踏襲していることはよく指摘されるが、18世紀から21世紀にワープするとむしろいろいろなことはよく見えてくるような気もするが、では逆に、19世紀・20世紀の近代とはなんであったかを考えると、もういちど評価軸を見直さなければならないかもしれない。このことは都市・建築についてもいえそうである。

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