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2011.08.10

アラン・リピエッツ『サードセクター』2011

最近出た翻訳である。副題は「新しい公共」と「新しい経済」である。

最近日本でも政府が「新しい公共」などといっているが、こちらは10年前からヨーロッパで提唱されてきたものの紹介である。つまり公共セクター(大きな政府)もダメ、民間セクター(市場原理至上主義の新自由主義経済)もダメという今の状況のなかで、第三の道、つまり社会の自己組織力、コミュニティが社会的なつながりを再生させることにかかわるすべてのこと、にかかわるのがサードセクターである。これは日本のいわゆる三セクとはまったくちがう。

訳者は解説のなかで、東日本大震災のことに言及しながら、国も企業もまったく対応できない状況の中で地域社会の自己組織力が問われていると指摘しているし、さらにはうしなわれた二〇年を経験したあとでも、やはりおなじような結論であろう、と指摘している。

著者はEUのかつて政策立案担当者であり、その実践のなかから本書を書いている。

専門が違うので、批判的に読めるわけではないが、ぼくなりにいろいろ面白い点があった。ひとつは歴史的なパースペクティブを与えてくれること。フランス革命のときにル・シャプリエ法ができて国家と市民のあいだのすべての中間団体が禁止されたが、家父長的家族などというものはじつはさらに強化されていたので、通説をうのみにしてはいけないという指摘。フーリエの情念や友愛といった思想も、アトム化した社会の中で人と人との絆を再構築しようとした思想であったという指摘(これはぼくの理解と一致していた)。さらには1901年のアソシアシオン法によって行政の許可なく市民的連携を構築することができるようになったこと。

さらにいえば1901年法は、1905年の政教分離法とも連動していて、宗教団体が社会貢献するものと位置づけられるようになった、という指摘もなるほどである。当時はそういう宗教団体が、低所得者むけの住宅供給などのプロジェクトに取り組もうとしていたのである。

20世紀は大きな政府的になって、社会福祉政策が充実したので、日本からみると19世紀がどうもよくはっきりしない。19世紀のユートピアはほとんどすべて失敗したということになっているが、でもものによっては、賞味期限をすぎた、役割を終えたというのが実際であって、そうそう失敗と決めつけることもないのではないか、という気がするのではあるが。

19世紀はむしろ、21世紀から回顧することによって、その意味がはっきりするような気がする。大胆な仮説なのではあるが、そんな方向で思索してみたら面白そう。

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