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2011.07.10

アンソニー・フリント『ジェイコブズ対モーゼス』

アメリカ人が書くものはきっちり二元論になっていてわかりやすいが、本書はNYにおける開発対保全の実名入りの物語であり、いきいきとしていて、読むことの楽しみもあじわえる。

ジェイコブズはいうまでもなく『アメリカ大都市の死と生』の著者であり、市民運動、グラスルーツのまちづくりの始祖であるとされ、今日ますます評価が高まっている。モーゼスは、パリにおけるオスマンの役割を、ニューヨークではたした人物といえば大げさかもしれないが、実際、NYのインフラ整備はかれによってもたらされた。ふたりはワシントンスクエアパーク、ローワーマンハッタン高速道路をめぐって、保全と開発の立場から闘い、そべてジェイコブズは勝利をおさめたかっこうである。

時代としてはちょうどキム・ダービー主演『いちご白書』にいたるすこしまえのころであって、またまったく違う次元だが公民権運動ともイメージとしてはダブリ、古い人間としては熱い時代をなつかしく思いだしてもみよう。

著者はジャーナリズム学科を卒業し、都市計画畑で取材をつづけ、いまは土地問題研究所所員というから、まさにプロとして書いている。しかし専門用語の羅列ではなく、ノンフィクション的に的確であり読みやすい。そしておおむねジェイコブズを評価しつつも、メトロポリスに不可欠なインフラを整備したモーゼスの貢献も指摘している。

それにしても都市とはなにか?ということをあらためて考えてしまう。

そもそもハワードの田園都市が、危機にあるメトロポリスにたいする批判であり代替案の提出であったように、20世紀初頭にできた近代都市計画学は、科学的な手段をそなえつつ、本質的には都市批判であった。それまでの19世紀都市への批判であった。

ジェイコブズとモーゼスが対峙したのは、オスマンからせいぜい80年ほどであり、ハワードからせいぜい40年ほどしかたっていない。ましてやル・コルビュジエは同時代である。そういう時代の開発対保全というのは、現在から遡及してイメージする(ほとんどの人がそうするであろう)よりも、むしろ19世紀からの延長で考える(あまのじゃくだが思考のトレーニングとしてはいい)ほうがいいかもしれない。

ジェイコブズはハワードを批判しているそうで、都市をすてて郊外に逃避するのではなく、都市そのものの価値の、再発見というより発見そのものではなかっただろうか。

だから再開発なんでも反対の運動にとっての教祖だというのはある一面にすぎないのであって、ジェイコブズはほんとうはもっとダイナミックなものを求めていたようなきがする。だから晩年の都市経済についての研究などは、専門家からはいろいろ欠陥が指摘されていると聞いてはいるのだが、もっと知りたかったところである。のではあるが本書ではエピソード的にかるく言及されているだけである。

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