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2011.06.20

『企業経営都市の盛衰とその空間構成』

建築学会の若手奨励論文集を送っていただきました。ありがとうございます。

拾い読みしかできず申し訳ないこともありますが、ぼく的には「市場」がキーワードかなと思った。あとで述べます。

いわゆる企業城下町の概念を広げたのが企業経営都市であるが、研究史的には、1980年代の東京の郊外住宅地にかんする研究、1990年代の各地の郊外住宅地、その枠内での官舎や社宅などへの関心の広がり、といった流れをくむものである。

秋田、鹿児島、倉敷、日立などといった近代初頭の企業活動が顕著にみられる例をとりあげている。類例を日本全国にさがしたらどういった数になるかはしらないが、データベースをつくるくらいなので、悉皆調査もあったら興味深いであろう。

研究者・調査者はおもに建築計画・都市計画の専門家が中心であり、歴史家は少ないようである。初期の官舎や社宅(労働者住宅といえるかどうか)は長屋にきわめて似たものがあるなど、むしろ近世との連続性も感じられるので、歴史家の参入も期待されるところである。また企業には企業家がいるが、江戸末の有力商人たちが明治期の企業家になった例も少なくないのだから、江戸/明治の連続非連続も歴史学の立場で研究して成果を教えてほしいものである。

研究の理論的枠組みであるが、理屈をこねだすときりがないが、20世紀初頭に成立した近代的都市計画を「行政による」ものとして位置づけ、「この主体を企業に置き換えたのが企業経営都市である」とされているのであるが、ぼくならばそういう前提は構築しない。なぜならば、理論的に考えれば、近代都市計画制度の成立をもって行政は行政となったと考えられるのだが、現実には企業がそういう行政=都市計画の成立以前からいわゆる経営をおこなっているからである。このあたりを理論的にすっきりさせておかないと、建築史や都市史との関連がみえてこないし、そして西洋との比較もみえてこない。基本的に、都市化や産業化といったものは普遍的な現象であって、西洋と日本の差などというものはたいしたものではない。この研究はきわめて普遍的なものになるうるのであえてそういいたい。

西洋建築史の立場から見みると、日本の産業都市にあまり触手を伸ばしてみたくならないのは、どうもはっきりした理念が感じられないからだ。いい悪いは別にして、西洋で産業ユートピアや労働者住宅をやれば、やはりフーリエや社会主義といった大文字のイデオロギーが根本に据えられているのがよくわかるし、ファイトもある意味でわくのであるが、日本だと福利施設などといった施設アイテムの有無をチェックしてどうか、というかんじである。オーウェン思想を信じた企業経営者もいたようであるが、それが都市や空間の形になるといった顕著なものはないようである。このあたりを補うのが、顔の見える企業人たちの個性のようなものであろう。

さてこうした企業経営都市なり企業城下町なり産業都市は、都市全般のなかでしかるべき位置をしめ、だから都市史や建築史にとって重要なものとなるであろう。では企業経営都市をつつんでいるより大きな枠組みとはなにであろうか。本書の冒頭では、行政と企業という二元論が語られていたが、ぼくは住宅産業、不動産産業といった「市場」との関係があまり意識されていない印象をもった。

西洋19世紀の産業ユートピア、企業家が経営した住宅地、などを考えてみる。市民革命、産業革命はすんでいて都市に人口が集中しはじめていた。このとき19世紀的形態とはいえ建設産業というものがあって、新興ブルジョワジーのための豪邸だけでなく労働者のためのあばらやをも大量に供給していた。つまり住宅の「市場」があった。フランスなどではこれはほぼ100%民営であった。民営であるがゆえに、利潤追求と住宅基準不在にために労働者住宅はきわめて劣悪なものであった。

それを改善しようとしたのが企業家たちであって、市場原理の民活にたいし、健全な社会生活、初等教育、衛生的な生活といった企業家理念で対抗した。それは自分たちが抱えている勤労者たちを、市場から守ろうという側面をもっていた。この企業家たちが始めた住宅地の原理は、やがて20世紀になると、公的住宅として普遍化される。それが近代住宅というものであった。

日本の文脈ではすこし違うストーリーも考えられる。初期の官舎や社宅は、そもそも都市や市場がきわめて未成熟であったことに対応している。だから戦後の持ち家政策というより、都市が成長し、住宅マーケットが充実してやっと企業は住宅政策から解放された、というような流れであろう。企業がいる都市で、アパートやマンションや戸建てが積極的に建設されれば、企業は直接社宅をつるのではなく住居手当をあてがいばよい、ということになるのである。

ということは企業といっても、産業社会を支えた非住宅製造企業と、住宅企業は、理論的には相互補完関係にあるので、その関係性にありようが都市のある部分を決めているというようなことであろうか。

企業経営都市に関する調査は、粘りづよく資料を探さねばならない、根気のいる仕事である。しかし日本的特殊性を見極めて判断すれば、産業都市という普遍的枠組みとなって、諸外国の類例と比較され、それらとともに大きな都市論の形成におおいに貢献するのであろう。だからこのパラダイムで情報収集を継続しながら、それをいかに大きな論に展開してゆくか、その接続の構造を考えると、ぼくをふくめ関心をもつ人びとはきわめて多いはずである。

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