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2011年6月の3件の記事

2011.06.28

平田晃久『建築とは〈からまりしろ〉をつくることである』

平田さんには、今年の設計演習のために来ていただいた。一泊二日の短期課題であったが、テーマは〈からまりしろ〉にかんする深くて大きいもので、学生たちはとりあえずは空間の造形の課題としてこなしつつ、しかし建築の100年スパンのパラダイム転換とはなにか、という大きなテーマを(ひょっとしてトラウマのように?)かかえることになったら、むしろ学生本人にとってはとても生産的なことなのであろうとも思った。

そればかりか上記書籍もいただいた。ありがとうございます。

この書は、平田さんの作品の紹介と、ライプニッツ、オートポイエシス、ひだ・フラクタル・発酵、などを中心概念とする論考を、たくみに組み合わせて編集して、ひとつの一貫した世界を提示したものとなっている。

書物としては、150ページほど、グラフィカルであり、テキストは少なめで和英バイリンガルである。作品集というより、建築論集というより、意図して軽やかさをそなえたポートフォリオなのであろう。さまざまな読者とシチュエーションを考慮して、わかりやすく語りかけているような印象である。

しかしそれでも、序から一章から4章まで進んでいくと、論理は着実に構築されているような、あるいは確実に一歩一歩進んでいるような、印象である。じつはこのあたりに著者の力量を感じる。

ル・コルビュジエの『建築をめざして』はむしろ一種の箴言集であって、かならずしも理論と思わなくともいいのではないか、とぼくは思う。その基準をそのままつかえば〈からまりしろ〉は理論であると思う。

ちょっと飛躍するかもしれないがパラディオの建築四書もまた、みようによってはポートフォリオである。そこには建築学の体系と、ローマの古代建築と、パラディオ自身のプロジェクトが記録されていて、多方面から取材しながらひとつの世界をつくろうとしている。アルベルティはあまりに学究的であり、ヴィニョーラはあまりに職能的である。パラディオはその点バランスがとれていて、技術の体系、自作集、古代建築からなるやはりひとつのまとまりのある世界を見せようとしている。

平田さんの著書は、意図して軽やかに書かれ、読みやすくされているが、歴史や世界のなりたちを批判的に問い直すことからはじめて、あたらしいモデル、あたらしい方法論を提出し、そして具体的なプロジェクトのプレゼンテーションで結ばれている。じつは壮大である。著者はあきらかに理論家としての傾向いやすぐれた資質をもっているが、それらはいくぶんシャイに控えめにされていて、ここではあくまで建築家として語ろうとしている。そんな印象をもった。

一般的にいって20世紀の建築書は、批判的スタイルで書かれることに意味があることが多い。大理論が構築されたのはむしろ19世紀なのである。もっと時代がたてば、20世紀よりも19世紀のほうがより評価されるであろう。

それでは21世紀はどうか。その方向性はまだまだ読めないが、ちょっとそんなことを空想してみた。

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2011.06.26

南明日香『ル・コルビュジエは生きている』

を贈っていただきました。ありがとうございます。

ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録されるのかいなか、注目をあびているが、本書は、ペサック、スイス学生会館、マルセイユのユニテ・ダビタシオンといったル・コルビュジエ遺構の後日談集である。

通常の建築史、あるいは建築家モノグラフと比較してユニークなのは、まさにこれらが後日談であるという点である。「通常」ではアーキテクトのアイディアや時代背景や、建設途上のいろいろな挿話で飾られた、つまり「建設にいたる」語りである。ところがこれは「建設後の」「建築家もいなくなったあと」の物語りである。でも内容充実の面白い本である。

たとえばイギリスにおけるパラディアニズムはパラディオ後史なのかもしれない。それに特化した文献もある。本書はそれにも近い側面をもっている。

もうひとつの特質は、日本から見たル・コルビュジエというより、フランス内的視点が選ばれているという点である。これは著者が意識してそのことを書いてもいるが、おそらく長い滞在経験をいかして、文献、シンポジウム、展覧会など情報収集の網の目をひろげて、かつ、地域目線で書いている。もちろん日本目線、日本的誤解が悪いわけではない。しかしル・コルビュジエが語られる現場の空気というようなものは、別個に報告される価値のあるものである。これもまた日本側の層の厚さを物語るもので、読者としてもたいへんありがたいことである。

たとえばロンシャンの建築における、レンゾ・ピアノに依頼して増築しようとする教会と、建築に反対するル・コルビュジエ財団の闘いである。これが暗闇の闘いにならないで、公開討論会、公開展覧会のようなかたちでなされたことが具体的に紹介されている。本ブログでもフランスのウエッブサイトからに引用でその件を紹介したことがあるが、やはりメディア経由では情報も不足しているし、臨場感までは伝わってこない。文化財をめぐる教会勢力と、文化勢力の歴史的な構図、などということは書けるのではあるが。本書では、その顛末をきれめなく紹介していて、たいへん読みごたえがあった。

文化財制度にも言及しているが、それが具体的建築作品との関連で説かれているのでとても具体的である。

ル・コルビュジエ財団成立のいきさつも詳しく書かれているが、1987年だったと思うが、ポンピドゥ・センターでのル・コルビュジエ展にくわしく触れられていない点だけは、なぜだろうと疑問である。そこでつくられたコンテンツが、以降の展覧会などにかなり流用されているようだし、なによりも87年の展覧会は、ル・コルビュジエ派の普遍化宣言、勝利宣言のようなものであったし、だからその後は包括的な新企画の展覧会はほとんどないのである。

ただそれでも、歴史と制度をしっかりおさえ、現場の空気を読めたうえで、建築の顛末をレポートできる人などそう多くはないのだから、こういう上質のレポートは続けてもらいたいものである。

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2011.06.20

『企業経営都市の盛衰とその空間構成』

建築学会の若手奨励論文集を送っていただきました。ありがとうございます。

拾い読みしかできず申し訳ないこともありますが、ぼく的には「市場」がキーワードかなと思った。あとで述べます。

いわゆる企業城下町の概念を広げたのが企業経営都市であるが、研究史的には、1980年代の東京の郊外住宅地にかんする研究、1990年代の各地の郊外住宅地、その枠内での官舎や社宅などへの関心の広がり、といった流れをくむものである。

秋田、鹿児島、倉敷、日立などといった近代初頭の企業活動が顕著にみられる例をとりあげている。類例を日本全国にさがしたらどういった数になるかはしらないが、データベースをつくるくらいなので、悉皆調査もあったら興味深いであろう。

研究者・調査者はおもに建築計画・都市計画の専門家が中心であり、歴史家は少ないようである。初期の官舎や社宅(労働者住宅といえるかどうか)は長屋にきわめて似たものがあるなど、むしろ近世との連続性も感じられるので、歴史家の参入も期待されるところである。また企業には企業家がいるが、江戸末の有力商人たちが明治期の企業家になった例も少なくないのだから、江戸/明治の連続非連続も歴史学の立場で研究して成果を教えてほしいものである。

研究の理論的枠組みであるが、理屈をこねだすときりがないが、20世紀初頭に成立した近代的都市計画を「行政による」ものとして位置づけ、「この主体を企業に置き換えたのが企業経営都市である」とされているのであるが、ぼくならばそういう前提は構築しない。なぜならば、理論的に考えれば、近代都市計画制度の成立をもって行政は行政となったと考えられるのだが、現実には企業がそういう行政=都市計画の成立以前からいわゆる経営をおこなっているからである。このあたりを理論的にすっきりさせておかないと、建築史や都市史との関連がみえてこないし、そして西洋との比較もみえてこない。基本的に、都市化や産業化といったものは普遍的な現象であって、西洋と日本の差などというものはたいしたものではない。この研究はきわめて普遍的なものになるうるのであえてそういいたい。

西洋建築史の立場から見みると、日本の産業都市にあまり触手を伸ばしてみたくならないのは、どうもはっきりした理念が感じられないからだ。いい悪いは別にして、西洋で産業ユートピアや労働者住宅をやれば、やはりフーリエや社会主義といった大文字のイデオロギーが根本に据えられているのがよくわかるし、ファイトもある意味でわくのであるが、日本だと福利施設などといった施設アイテムの有無をチェックしてどうか、というかんじである。オーウェン思想を信じた企業経営者もいたようであるが、それが都市や空間の形になるといった顕著なものはないようである。このあたりを補うのが、顔の見える企業人たちの個性のようなものであろう。

さてこうした企業経営都市なり企業城下町なり産業都市は、都市全般のなかでしかるべき位置をしめ、だから都市史や建築史にとって重要なものとなるであろう。では企業経営都市をつつんでいるより大きな枠組みとはなにであろうか。本書の冒頭では、行政と企業という二元論が語られていたが、ぼくは住宅産業、不動産産業といった「市場」との関係があまり意識されていない印象をもった。

西洋19世紀の産業ユートピア、企業家が経営した住宅地、などを考えてみる。市民革命、産業革命はすんでいて都市に人口が集中しはじめていた。このとき19世紀的形態とはいえ建設産業というものがあって、新興ブルジョワジーのための豪邸だけでなく労働者のためのあばらやをも大量に供給していた。つまり住宅の「市場」があった。フランスなどではこれはほぼ100%民営であった。民営であるがゆえに、利潤追求と住宅基準不在にために労働者住宅はきわめて劣悪なものであった。

それを改善しようとしたのが企業家たちであって、市場原理の民活にたいし、健全な社会生活、初等教育、衛生的な生活といった企業家理念で対抗した。それは自分たちが抱えている勤労者たちを、市場から守ろうという側面をもっていた。この企業家たちが始めた住宅地の原理は、やがて20世紀になると、公的住宅として普遍化される。それが近代住宅というものであった。

日本の文脈ではすこし違うストーリーも考えられる。初期の官舎や社宅は、そもそも都市や市場がきわめて未成熟であったことに対応している。だから戦後の持ち家政策というより、都市が成長し、住宅マーケットが充実してやっと企業は住宅政策から解放された、というような流れであろう。企業がいる都市で、アパートやマンションや戸建てが積極的に建設されれば、企業は直接社宅をつるのではなく住居手当をあてがいばよい、ということになるのである。

ということは企業といっても、産業社会を支えた非住宅製造企業と、住宅企業は、理論的には相互補完関係にあるので、その関係性にありようが都市のある部分を決めているというようなことであろうか。

企業経営都市に関する調査は、粘りづよく資料を探さねばならない、根気のいる仕事である。しかし日本的特殊性を見極めて判断すれば、産業都市という普遍的枠組みとなって、諸外国の類例と比較され、それらとともに大きな都市論の形成におおいに貢献するのであろう。だからこのパラダイムで情報収集を継続しながら、それをいかに大きな論に展開してゆくか、その接続の構造を考えると、ぼくをふくめ関心をもつ人びとはきわめて多いはずである。

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