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2011.02.20

五十殿利治『「帝国」と美術』

1000頁を超える大著なので、隅々まで眼をとおすわけにもいかないが、堪能できる文献ではある。

1930年代日本の対外美術戦略という副題のとおりの内容である。ローマとベルリンで、それぞれムッソリーニとヒトラーにアピールしようとした日本美術展。仏領インドシナ、朝鮮半島、台湾におけるそれ(アジアへの文化工作)。パリとNYの博覧会における「写真壁画」の問題。そのほか満州、オリンピックをテーマとした章もある。ようするに章構成そのものが本書の思想であり、かつ、1930年代世界における日本の立ち位置を説明するようなものになっている。

ようするに、フランスとソ連がかつて「革命」を輸出したように、日本も、西洋諸国には「近代化」を逆輸出し、アジアの諸国には「近代化」をベタに輸出しようとしたのであろう。そういう意味では1930年代にとどまらない、20世紀全体の問題であろう。

個人的に面白かったのは1930年代は「写真壁画」の時代であった、という指摘である。1937年のパリ万国博日本館についての記述が面白い。これだけ取り出して単行本化できるくらいである。建築史の通説では、坂倉準三による日本館が、日本における(日本人による)近代建築運動の勝利として語られるだけであるが、本書ではこのパヴィリオンは一種のメディア建築であり、壁面全体がいわゆる写真壁画であって、写真技術の発展を物語るとともに、建築とメディア(写真)の不可分の一体化ができてしまっていた、ことが指摘されている。また部分的には紹介されていたことだが、岸田日出刀がフィクサーの立場をおりてしまって混乱し、そのなかから坂倉案がでてくる経緯は面白かった。さらにいえば、写真壁画という展示と、展示空間という建築が、ほんらいは対話をとおして一体として設計されるべきが、そうではならなかったとしごく正当な批判がなされている。専門家はそう批判するにしても、それでも建築とメディアのそこそこの融合はみられるのではないか、とも読者としては思う。

興味をおぼえた点がいくつか。

(1)パリ1937年博では、政府筋がイニシアティブをとろうとして、建築、アート側がしたたかに実質を奪ってしまうような(読み物としては)たいへん面白いストーリーが堪能される。ただそれでいうと大阪万博もおなじストーリーで理解できそうだし。それから、いろいろ批判されている、ポスト大阪の博覧会の無内容を再考するにも、20世紀前半から検討しなければならないということか。

(2)1980年代にポンピドゥ・センターで《日本の前衛》展をみたが、そのズレは印象的であったのであって、「近代化」をテーマとする日本展は原理的にある限界を超えられないのではないか。そういう意味では1977年の《「間」展》を超えるものはまだないといっていい。しかしその「間」展のコンセプトそのものも、おそらく1930年代あたりで、日本人が西洋的な建築・美術を学習した最良の部分ということができるのだが。

(3)本書は一種の「1930年代論」である。いわゆる30年代論はかつて1980年代になされたことがあって、歴史は50年周期か60年周期かなどといわれた。当時の論客たちの中心はおもに1940年代生まれのひとびとであった。端的にいうと団塊の世代が1930年代を問題にしたのであったし、その問題構制の中心にあるものも、ナショナルとインターナショナルの関係であったように記憶している。本書の執筆者たちはそれより若い世代であって、課題が世代をこえて伝わっていることが想像される。

(4)1937年展では渡辺義雄、河野鷹思が担当した《日本の住生活》のなかで、堀口捨己の《岡田邸》が同時代作品的なあつかいで紹介されている。執筆者は建築が専門ではないので、この件にかんする論考は遠慮されているようである。ぼく自身は、すでに神話となっていた堀口捨己《岡田邸》を事後的に学習させられた世代に属しているが、同時代現象としての堀口捨己はどうであったかはまた別であろう。彼の茶室についての思索をどう位置づけるかも、なんども再考されてよいであろう。

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