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2011.02.21

冬眠の幸せ、iPadの喜び

去年あたりから体温が下がっていることには、彼は気づいていた。悪寒がして朝3時に目がさめたこともあった。風呂にはいろうとして裸になるとはげしい悪寒がおそったりした。デスクに向かいながら芯から寒いと感じたことがあった。風邪かなとおもったが、熱はないし、咳も鼻水もでない。もう歳かなと思いつつも、このまえの健康診断ではとくに問題はなかったし、とほっておいた。そんな調子で一カ月ほど、さほど危機的でもない軽微な変調をやりすごしていた。

ある朝気がつくと、彼は冬眠していた。もちろん熊のそれとはディテールはかなり違う。体温が下がったといっても平熱からマイナス1度くらいで、健康の範囲内とはいえる。心拍数が10以下にまで下がることはない。昏睡しているのでも睡眠しているのでもない。意識はある。にもかかわらず彼は冬眠していたのだ。

彼は安楽にもベッドに横になっていた。窓が近く、午前中は陽光がさしこむ。昔ふうの、縁側のひなたぼっこのようであった。

今朝そういうことに気がついたから、冬眠はさっきからであるはずだが、こんな生活をもう一カ月以上もおくっているような気もする。こんな生活?食事は三度々々、女性が運んでくる。お膳も下げてくれる。完全エアコンでたいして汗もかかないし、ときどき暖かい濡れタオルで体をふいてくれる。あまりぜいたくはできないが、欲しいものは頼めばもってきてくれる。出勤しなくともいいみたいだし。快適だなあ。

気がつくと枕元にiPadがあることに、彼は気づいた。去年の7月にかったものだ。発注が人よりすこし遅かったので3週間もまったものであったが。ともかく、それで彼はメールを友人たちに送った。グーグルでニュースもみた。you tubeでお気に入りのミュージシャンを堪能した。「午後のパレード」ではノー天気でごめんなさい、ってなんども謝っていた。人に勧められてウィーンのピアニストが演奏するショパンも聴いた。そればかりか電子ブックで小説を読んだりした。『異邦人』も原語で読んでみたほうが、不条理感が増幅されることに気がついた。さらに電子書籍化した自分の専門書も、ストレスを感じない範囲で、目をとおしたりした。彼はきまぐれに、娯楽も、仕事も、趣味も、なにもかにも、細切れにし、それらを混ぜ合わせてミンチにようにし、なんともいいがたい日々を過ごしたのであった。

ようするにベッドとiPad。極楽にはこのふたつでじゅうぶんだな。小心者の彼は、この言葉をおもいつきつつ、それをそっと意識の隅におしやったが、もちろん捨てさりはしない。

彼は夢をみた。冬眠中の夢は、二重の深さの夢だなあと自覚しつつ、みた。夢のなかで、彼は友人が語ったことを回想していた。「全身麻酔から目覚めるとき、まず意識が目覚める。ごく僅かな時間、視覚はまだ回復しない。がすぐ回復する。このような時間差がある。すると気がついたとき、なにも見えない。闇さえみえない。しかし0.1秒後、闇は見えるが、しかしなにも見えない瞬間がある。それから闇のなかに、ほんとうに小さい、針の穴のような、明るい一点が見える。それはトンネルの先の小さな明かりよりも、もっとはるかに小さい一点だ。それからこの明るい微小点が、爆発的に、いっきに広がる。すると病室の天井がみえる。どうじに点滴の容器、執刀医のマスク、さまざまな器具がみえる。睡眠からさめたときとは、まったく違うのだ。睡眠からの覚醒は、じょじょに、段階的になされる。全身麻酔からの覚醒は、ON-OFF的に、デジタルに、ビッグバン的になされるんだ」。友人はそんな体験を語っていた。ということは麻酔では夢をみないのか。普通の睡眠ではたとえばレム睡眠のように、意識はあるのだな。意識とは巨大な無意識の一部にすぎない。でも麻酔がその巨大な無意識まで奪ってしまうのはよくないことだな。

ふたたび夢をみた。夢だからどんな病気なのか、医者の所見はどうなのか、そういうディテールは省略されている。しかしフィジカルに激しい疼痛がする。ナースを呼ぶと、彼女は太い注射器をもってきて彼の肩に鎮痛剤を注射する。しばらく痛みはほとんど去る。しかし3時間もすると痛みは復活する。そしてはげしく彼の肉体をさいなむ。またナースを呼んで打ってもらう。そういうことを繰り返していると、これはシジフォスの神話なのかと思ってしまう。「ねえ看護婦さん、いつかは完治するの?」「さあ」「完治しなければ?」「また注射します。痛みはなくなります。」「無限につづくの?」「かもしれませんが、わたしにはわかりません」「看護婦さん、あなたは天国の天使だと思っていたけど、地獄の悪魔かもしれない」「天使でも悪魔でも、おなじことです」。どっちなの、といいかけて目が覚めた。

またもや夢をみた。こんどはちかくに医者が立っている。「iPadおもちですか。ぼくも個人的にはもってますよ。病院が厳しくて仕事で使わしてくれませんけどね。病院サービスとしては、入院患者用無線LANを提供したっていいと思います。患者さんを社会から隔離してはいけません。精神的にも肉体的にも。当病院では、内臓の半分を摘出した患者さんでさえ、1日は完全休養として、すぐ歩行訓練をしてもらいます。そのほうが回復が早いんです。仕事だって〆切が厳しくない類のものならストレス発散にいいんです。メールもやったほうがいい。ニュース、娯楽、いろいろあったほうがいいんです。孤独になると悲観的なことを考えてしまいますからね。・・・忘れるところでした、3G経由でMRIのお写真ごらんになりますか。そう、こうして、はい、これがあなたの内臓脂肪です、しまっててとてもいいですね、ここが脊椎、ここが・・・え?」。え?ってなんですか。と訪ねようとして目が覚めた。そして自分の夢はとてもいいかげんで、オチを省略した無責任な夢であることに気がついた。

目が覚めるとそんな夢を、iPadの日記帳につけたりした。それらは夢がみた夢として彼のアーカイブとなるであろう。

そして目が覚めた彼は、もういちど目が覚めるのであろう、つまりこの眠りは二重のものであることを知っていた。いま最初の眠りから目覚めたのだから、そのうち二回目の、というか、上階の眠りから覚めるであろう。そしてその覚醒がなんの劇的な演出もなくなされるであろうこと、あたかも駅の改札をスイカで通過するようになされるであろうことも、彼は知っていた。それをいつ、どの段階で知りえたかは知らないほど、知っていたのであった。

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