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2011年1月の6件の記事

2011.01.10

atプラス 01から06まで

06号は送っていただいたのだが、バックナンバーも面白そうだったので、01から05号も注文した。というか浮世離れしていてこの雑誌のことをあまり認識していなかったぼくが無知なだけであった。

というわけで雪が降っている休日の午後、パラパラめくってみた。

01号は、岩井克人『資本主義の「不都合な真実」』。市場は本質的に不安定なものであって、いわゆる市場原理でものごとが安定するのは間違った見方という説明。マルクスの価値形態論は、主体(=労働や生産)が価値を生むというそれまでの経済学を批判し、他者こそが価値を決めるという転倒であったという説明。これは01から06までの総論のようなものである。

稲葉振一郎『100年に一度や二度・・・・』の、1929年の危機は、市場の失敗なのか、政府の失敗なのかという議論。

02号。見田宗介と大澤真幸の対談。全体としては専門家による整理整頓といった感じ。古代アテネにおける民主主義の失敗と、哲学の始まりは表裏一体という指摘はすこし面白い。

03号。内田樹『大人になるための経済活動』。商品の象徴価値というのは、他者が決める価値なのであろう。ただし「大人こそ経済活動できる」と「経済活動をするのが大人」というすこし循環論法っぽいのが下敷きになっているように感じる。内田は弱い個体をも含んだ共同体を構想しているようで、そこはそうなんだろうと思う。共同体論として語られているかどうかしらないのだけれど、「片思いの共同体」(メンバーとして認知されていない個体がメンバーシップにあこがれる)などというものは理論化されているのだろうか?

石山修武『生き延びる技術としての建築』。やっぱり戦前の人のほうが偉大だったのかな。

東浩紀×西山雄二『アナクロニックな時間のつくり方』。日本の大学において駆逐されつつある人文知。人文社会系の先生は今ほんとうに大変だし、ぼくも境界領域的だからプレッシャーは感じる。ただそのようなアナクロはぼくはすでに実践している。古代建築を研究している知人にはかなわないが、なにしろフランス語や英語の世界は現代語の知識で17世紀、すこし苦労すれば16世紀の文献も読めてしまう。さらに古典古代と近代の距離は近く、ひとつながりの空間を形成している。語学的才能の乏しい日本人であるぼくは、そのハンディはあるが、その広大な時空間に身をおいているのが救いである。というか、まさにそのために不得手な外国文化をやっているような側面もある。だからここまでくると宗教のようなものである。ただ問題はもっと働かねばならないことでしょうか。

04号。岡崎乾二郎『彫刻としての核エネルギー』。連載らしい。核爆弾(とその効果)は、国家を越える・イサム・ノグチはそのことを作品で伝えようとした。であるから市民的広場としての丹下プロジェクト(ピースセンターなど)を超越してしまった。ただ死者は国家や制度を越えることだができるのだろうか(ある意味で芸術家の特権ではないか)。

05号。水野和夫『ポスト近代の「リヴァイアサン」のために』。専門家による切れ味のある説明。インフレが支配する近代から、デフレのポスト近代への先駆者=日本、という説明。未来はほんとうに定住社会になるかどうかしらないが。それはともかく、建築にかぎっても「日本にはキャッチアップすべきモデルを外国に探すことはもはやできない」ということになる。日本的スノビズムなどといってられないようである。超オーソドックスに新たなる建築モデルを創造しなければならないのであろうか。

広井良典『「創造的福祉社会」の構想』。生産性、創造性(フロリダ)の再定義というこころみは、労働価値説を覆すか?という話しなのであろうか。

濱野智史『情報社会における新たな時間性と共同性の可能性』。ぼくも『建築と時間』のなかで素人なりに時間を考えたので、共感がわいた。たしかにコミュニティーはもはや場所的ではなく時間的であろう。そこまではぼくも考えていた。twitterのようなものは選択同期であり、ニコニコ画像は疑似同期である、という。これは、なるほど、である。ただそれらがネグリ的な「マルティチュード」あるいは<共>を保証するのかしらね。ぼく自身はいまのところ、個室(自宅)大好き、カクレ引きこもりのブログ派である。さてぼくはなにと同期しているのでしょうか?

大塚英志×宮台信司『通過儀式としてのワーク』。ほほう、といいながら一気に読んでしまい、当代随一の論客たちにぼくはだまされてはいないかとちょっと不安になる、でも面白い対談。反復とオリジナル、世界体験(世界を体験する私を体験する)、物語の二重性(『1Q84』のふたつの月、パラレルワールド)、などということが、政府と財界による愚策「自分探し」を越えるものとして希望をいだかせる。これは建築叙述にとってもすごく参考になる。

そして06号。山本理顕さんの『建築空間の施設化』がくる。この雑誌は、対談やインタビューの文書化が多いようで、編集者たちの仕事のスピード感がつたわってくる。01から06まで、リーマンショック以降の危機的状況へのさまざまな論考であるし、そこに山本さんの地域社会圏モデルが提案されるのはじつにタイムリーである。というか、私見では2世紀におよぶ普遍的構図を問題としてとらえているからこそ、いつでも、フレッシュなのであろう。

さてフィットネスでもいこういかな。

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ショワジー『建築史』

原著は1899年出版。桐敷真次郎先生の翻訳である。中央公論美術出版から。

建築史学にとっても、近代建築史にとっても、不可欠の著作である。ただほとんどの建築関係者(ぼくもそうなのだが)はバンハム『第一機械時代の理論とデザイン』をとおしてはじめて知ったのではないだろうか。しかも近代建築を準備した、プレモダンとして。

しかし21世紀になった今、その「第一機械時代」とやらも、歴史的に相対的なものとして見なさなければならない。そうするとショワジーが準備段階の人であったなどという認識も修正しなければならないだろう。

最近フランスではショワジー関連の論考も多い。もちろんご当地の人びとにとってバンハム的解釈などはほぼどうでもいい話しである。第三国の日本からの見方も多様化すべきではあろう。それはともかく、ショワジョーは建築家ではなくエンジニアであること、サン=シモン主義の影響を強くうけていること、ネットワークの概念をもっていたこと(21世紀的世界観の遡及的適用か?)などが主要な論点のなかにある。なかでも重要なのは:

(1)「見上げアクソメ」が、さまざまな建築をビジュアル化し比較検討するときの普遍的フォーマとになっている。このことによって、構造、構法、空間(1スパン分の)を一体として把握できる。

(2)様式伝播図によって、たとえばビザンチン、ロマネスク、ゴシックの東方をふくむ全ヨーロッパ的な流れがわかる。

(3)さらにアクソメと伝播図をクロス的にみれば、バリエーションの地理的分布をとおして、普遍的な建築のありようをイメージできる。

・・・という部分である。とくに「見上げアクソメ」はたんにプレゼ手法のようでいて、ショワジーのなかではほとんど建築の定義そのもののような位置づけを与えられてるようだからである。関連研究を全部見ているわけではないのでよく知らないが、エンジニアであったショワジーが、橋梁のプレゼ方法を流用したとか、そんなことがあったら面白い。つまり建築の外部であるなにかを、建築にもちこむことにより、普遍的な建築の定義としているのである。

フランスの文献でもヴィオレ=ル=デュクの合理主義とショワジーのそれはどうちがうのか、などという議論があったが、「構造合理主義」などという視点はいかがなものかと思う。つまりそういう言葉使いだと、計画/構造/環境といった現代の日本的枠組みがそっと遡及的に挿入されてしまうわけで、とりあえず19世紀のものを19世紀的枠組みのなかで再現してみるということができなくなってしまうのである。

「見上げアクソメ」は端的にいえば一種の「建築の定義」なのである。このように定義してこそ、様式伝播図が意味を持ち、ひとつの「建築」がさまざまなバリエ-ションを展開させつつ地球上の各地にひとまってゆく、それが上位の「メタ」建築なのである、・・・・というようなことをショワジーは構想していたにちがいない。

ショワジーのアプローチは驚くほど現代的である。20世紀後半、ナショナル・アイデンティティを強調するあまり建築史は各国建築史として描かれてきて、その限界も感じられてきたので、アジアや、ユーラシア、はたまた地球全体を視野に入れたスタディもされている。町屋がアジア的広がりがあるとか、木造ディテールを指標として日本と中国との類似性や関連性を明らかにしたすばらしい研究もある。グローバル化である。

しかしこのグローバル化はすでにショワジーが構想していた。100年も前に、ではなく、19世紀がそういうグローバルな世紀であったのである。そこでは地域ごとに地域建築史を研究する学問(フランスでは歴史というよりアルケオロジーになる)が成立するいっぽうで、ショワジーにように、見上げアクソメという断面で、地球をスキャンしようという人まで現れるのである。

そして重要なのは、ショワジー的視点は、それまでの建築学の内部にはまったくなかった外部の視点である、ということにある。さらにこの「ショワジー的視点」とは構造合理主義といった唯物論的なものではないと思う。ぼくは、著作は唯物論的に書かれているが、ショワジーそのものはまったくの観念論者であると思う。

ひるがえって21世紀初頭のぼくたちの立ち位置を考えてみる。建築を批評してみようという時代はすくなくとも数年前に終わっていたようだ。現代思想、哲学、メディア、テクノロジーから考察しようという試みがなされ、豊かな成果をあげながらも、地球上はコールハースの指摘どおりにジャンクスペースばかりとなり、さらにはリーマンショック以来の状況でまず仕事もなくなったというような状況である。ここが100年すこし前のグローバル的状況とちがう点で、今はその外部がない(かに見える)というようなことである。あるいは世界はすでにすべて建築化されている?

しかし19世紀とは、プロジェクトを受注した建築家たちがたいがいはつまらない折衷主義の建築をつくっていた時代なのだ。しかしその19世紀、理論は格段に進歩した。極端にいうと、19世紀とは創作はダメ、理論とテクノロジーはOKの時代だった。しかしある意味で実践と理論がうまく乖離したことで、20世紀のいろんな実験が可能になった。

ということは理論ぐらいしっかりしなさい、というのがぼくが信じる建築の神様が、ぼくたちに送るお叱りの言葉なのであろうか。そしてとりあえずは、今の時点で、ジャンクスペースにひたりながら「建築の外部」なるものを考えるなどということなのであろうか。

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2011.01.08

スーパーにて

彼が早朝スーパーに買い物にゆくということは、とても珍しいことであったが、ともかくもその日の7時、そこにいった。しかも昼食の弁当のためであった。なぜなら彼は一日中自宅にこもって仕事をするつもりであったので、朝の散歩と買い物を同時に効率よく済ませてしまいたかったのだ。そんなつもりになることすら、なかなかないことであった。

しかし彼はその目的をすみやかに達成することはできなかった。なぜなら棚の前には、体格からはブルーカラーと思われる中年男性がすでに立っていて、せいぜい5種類ほどしか陳列されていない棚のまえでまよっていたからであった。中年は、ある弁当を手にとってしげしげと眺め、棚に戻し、別のものをとりあげ、またもどし、こんどは違う棚にいきかけるが、また途中で戻ってきて、別の弁当を手にして、また棚にもどす、という作業を再開するのであった。中年が弁当を選んでいる、というものではなかった。つまり、中年には弁当を買おうという意思があまり感じられなかった。というより異なる様々な弁当たちが、順番に、時間をおいて、この中年を呼びとめているかのようであった。

時間帯が時間帯なので広いスーパーにはほとんど他の客はいなかったのに、彼はたかが弁当一個のために数分を無駄に費やしたのであった。そのとき、弁当以外に目的をもっていないことの非能率を悔やみながら、彼は3日前のことを思い出した。

彼は別のスーパーに、分別ゴミ捨て場に、牛乳の紙パックを捨てようとしていた。もうすこしでゴミ箱というところで、あたかも割り込むように、中年女性がそこにやってきた。彼女はエコバッグに、おそらく一カ月分の牛乳紙パックをつめこんできていて、それ捨てようとしていた。あまりに多くに紙パックをつめこんでいたので、バッグからゴミを取り出すのにたいへん苦労していた。いちどには取り出せないので、2~3個ずつとりだそうとしたが、それでも苦戦は続いた。やがて彼女は気づいた。彼が同じ目的をもって後ろで待っていて、彼女の行為をずっと見ていることに。彼女は狼狽し、小声でごめんなさいと言い、さらに全部を捨てるまでに、まるでまる一日のように長い30秒をかけるのであった。

そんなふうに無為に待っているあいだ、彼はいろいろなことを思い出した。電車の混雑の話し。こんだ電車はますますこみ、すいた電車はますますすくという、電車間の相互誇張効果。一般的な待ち行列の話し。有名な思想家がいっていた偶然と必然の違いと相同性についての話し。

朝の7時に、お昼の弁当を買おうという同じ動機の中年男性と遭遇する確率はかなり低いであろう。さらに1カ月分の牛乳紙パックをかかえた中年女性と遭遇する確率もそうとう低いであろう。さらにいえば、彼が朝7時に弁当を買おうとしたのはおそらく生涯はじめてであったし、牛乳紙パックを捨てようとするのもせいぜい月1回であろう。彼と彼らが遭遇する確率はなおさら低かったわけだ。でもそういう変わった人と偶然に出会うのは、やはりそのスーパーの棚であるからであり、分別ゴミ捨て場であるからなのであろう。

でも偶然が成立するためには、彼と彼らとのあいだに、なんらかの類似性や文脈の共通性があるからであろう。彼らは同類なのであろう。ではどういう意味の、どういう背景の、同類なのであろう。そんなに強い接点ともおもえないが、それにしても彼ら中年の男性や女性は、彼にとって並行世界の住人であるように思えてしまった。さらにいえば、同じ構造をもったふたつの出来事が、ほんの二三日おいておきるという偶然には、なにか意味があるのだろうか。いや偶然というのは意味がないから偶然なのだと思っていたが、そうではないようだ。彼がなんらかの意味を与えそうになるから、偶然をまさに偶然として、認めてしまうのである。彼はそのことを自覚する。

そんな彼のもとに宅急便がとどく。経済学の解説書などがあった。そのなかの一冊が批判的に論じているのはアダム・スミスの見えざる手なのであった。

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2011.01.04

山本理顕『建築空間の施設化』を読んでみる

ヴァーチャル初詣?も済ませたので、すこし硬派なこともしてみよう。昨年末『atプラス』6号が送られてきて、山本理顕さんの論文がなにか年越しの宿題のようなものになっていたので、すこし考えてみる。

この論文は思想の表明である。これまでも彼が主張してきたことを、より広いパースペクティブで整理し、さらに思想としてしっかり構築している。ペブスナー的なビルディングタイプを、その出現を明らかにするだけでなく、その背後に国家的官僚的プロジェクト、アーキテクトの職能の仕組みを明らかにしている。そうした制度やプロジェクトは、最初は理念や文書であっても、最終的には空間として描かれることで完結する。だから空間を手がかりにすることでも、近代のプロジェクトの全体にかかわることができる。そこには建築の「希望」と「責任」という2面性をいっきょに引き受けようとする山本さんの思想が見える。そしてそれはまったく一貫している。

さてさらに山本理顕さんと難波和彦さんの比較論をしてみよう。

(1)山本さんは「地域社会圏モデル」において19世紀と20世紀を背負おうとしている。

さまざまな産業やコミュニティモデルの新たなる展開を視野にいれたこのモデル探求は、私見によれば、19世紀のユートピアンの系譜に近い。もちろん単純な回帰ではない。しかし科学的社会主義に駆逐されたことになっている、いわゆる「失敗した」空想的社会主義のいろいろなこころみのなかに、まだ探求されないまま放棄された可能性がけっこうあるのではないかと思うことがある。なにしろ具体的で細やかないろいろな工夫は、労働、階級、貨幣といったメタレベルのものによって無価値として追放されたのだが、もういちど具体的なものに立ち戻って探求を再開してもよいのである。

18世紀後半に市民革命と産業革命がおきて近代社会が形成されたが、19世紀はその近代社会システムをさまざまなかたちで探求しながら、ゆたかな実験は数多く残しながら、結局はひとつのモデルをつくるには至らなかったが、20世紀はとりあえす普遍的モデルを構築した。フォーディズム、社会主義、都市計画(学としての都市計画は20世紀初頭の人工的構築なのである)、そして近代住宅である。

しかしこの20世紀モデルは、山本さんが指摘するように、きわめて官僚的であり、1家族=1住宅モデルもすでに社会的絆としてオールマイティではない。

歴史家の立場から、山本さんのアプローチを解釈すると、20世紀的パラダイムを根本的に批判しながら、19世紀のあるものを再評価しようとするが、単純な過去回帰ではなく、19世紀と20世紀の全体を遡上にのせながら、あたらしい21世紀の可能性はなにかを探求している、とお見受けした。

それはさておき、19世紀というのはけっこう面白いのである。近代都市計画がまだ成立していない時代、それでも都市開発行為はあった。通常それは無秩序な、とされる。しかし都市計画は不可欠とする現代人の視点がそう判断するだけであって、街や共同体を構築する人びとは、文化をテーマにしたり、新しい社会像を構築しようとしたり、個人レベル、民間レベルでそんなことを考えていた。

山本さんのアプローチは回顧的なものでないにもかかわらず、とにかく自分たちの手でなにかを構築しようという指向が、19世紀のいろいろな試みに光を再照射させるのである。そのようなかたちで19世紀と20世紀全体を背負おうとしているのである。

(2)難波和彦さんの「箱の家」は20世紀を背負おうとするものである。

もちろん東大・池辺陽研究室の1950年「立体最小限住居」がスタートなのであるが、「最小限住宅」そのものは20世紀初頭のCIAM的理念である。それらは20世紀全体の思想の表明であろう。

CIAM「最小限住宅」はよく床面積の最小限のことと誤解されているし、初期の言説にもそれが示唆されているかもしれないけれど、大きな歴史的流れからいったらそうではない。それは近代住宅はどう定義されるか、そこから住宅必須のアイテムはなにか、について先進国内で共通の了解ができたうえでの、「ミニマムな要件を満たす住宅」なのであって、けっして「床面積が最小限」という理念なのではない。ようするに19世紀、いろいろな住宅があった。共同住宅、労働者住宅、業者のつくった劣悪住宅、篤志家住宅、宗教団体住宅、ほんとうにさまざまであった。それらの多様な試みのなかから、19世紀末から20世紀初頭にかけて、公共住宅というまったく新しい住宅形式ができた。「公共住宅」とは、国や自治体が手がける住宅という意味にはとどまらない。まず住むのが労働者やブルジョワや貴族といった階級をとくに意識しない一般的な「市民」であり(とはいえ実質的には中産階級)、そういう意味で普遍的な人間像を想定し、その普遍的人間が受容する普遍的住居の要件が定められ(電気・ガス・水道、サニタリー、プライバシー(個室)、団欒(居間))、それらのミニマムな要件を満たすものが最小限住宅なのである。

池辺研の立体最小限住宅は、邪推すれば、CIAM的なものに、ル・コルビュジエのアトリエ・ハウス的な吹き抜けと、木造二階建ての戸建て住宅という戦後民主主義日本の現実をミックスさせたようなものであろう。

もちろん20世紀的な「一般的市民」はむしろいまや少数派であり、過去の遺物かもしれない。しかし伝聞によれば、「箱の家」の住人は典型的な一般的近代家族というよりは、それぞれ課題を抱えた家族なのだそうで、施主自身が家族形態と空間のギャップを認識し、むしろそのギャップに希望をいだくといったような、じつに複雑なことになっているらしい。

ぼくは「箱の家」第1号を内覧会で見学したという光栄に浴しているのであるが、印象的だったのはそのオープンさであった。吹き抜けの居間、庭、道路まで空間としてはシームレスにつながっている。閉じこもり、引きこもる近代家族など想定されていないかのようである。そのことが「近代住宅の施設化」そのものであるかのような箱の家を、そうでありながら、なにかまったく別なものにしているのではないか、と思う。

(3)時代を背負うということ

ぼくはべつに、2世紀を背負おうとしている人のほうが、1世紀の人よりも偉いだとか、その逆だとか、そんなことをいっているのではない。ただ現代の建築家にも歴史性はある。歴史とは過去のことではない。歴史がほんとうに歴史なら、それは古代から現代にまでシームレスに繋がっているものだし、現代建築家のなかに歴史性を発見するのが歴史家の勤めなのであって、比喩をもって人を煙に巻くような話しではないのである。意地悪く言うと、歴史家としては、現代建築家をみるときに、このお方はどれだけの時代を背負っているのかな、というのを考えることがある。べつにこびているのではないが、それでも現代建築家は(現代歴史家もすこしばかり)歴史をその最先端で展開しているその主役なのだし、現代のなかに歴史性を見いだそうと努力するのは歴史家の仕事のちゃんと一部である、と思うことがある。それは「務め」なのである。

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2011.01.03

建築神社に初詣?

・・・ときどきかってにやってくる妄想。あまりためのんではいけないということで。

三田の建築会館ちかくには建築神社なんかあってもいいのでは?

神殿ではなく、神社である。なぜかというとギリシア風の神様はどうも人間たちのためというより、自分たちのために存在しているような気がする。だからここは日本風でいこう。建物の様式もとくにきまりはないのだが、妄想ということでいえば、春日造がよろしい。大社造などはどうもよろしくない。

ついでにいうと建物というより祠、大人二~三人で持ち運べるようなサイズがよろしい。稲垣榮三先生のご指摘にそう、由緒正しい神社のありかたが望ましい。信者を圧倒するモニュメントではなく、精神を宿した、高貴で清廉なものがよろしい。

建築がダウンサイジングしつつある当世。いろいろ願をかけてみよう。ゼネコンは公共工事が受注できますように。業者さんは、とにかく請負できますように。アーキテクトはコンペで勝てますように。学生は、卒計コンクールで入賞できますように(本音は就職できますように)。大学教員は、研究費が増えますように。いろいろである。

もちろん家宝は寝て待つのではいけない。神様は努力をする人間にご褒美を与える。偉大な人間ほど、日々の努力は欠かせない。ル・コルビュジエも毎日、午前中は絵を描いたり、デッサンしたり、浜辺の石ころをしげしげ眺めたり、感性を磨くことを忘れなかった。村上春樹は毎日1時間ジョギングをする。某建築家は、毎日、午前中は読書をして頭脳を鍛え、思想を構築する。神託を得るためには、日々努力して、自分自身をベストの状態にチューニングしておかねばならない。

中世ヨーロッパのコスモロジーにおいて神は建築家であった。神は世界を設計し、構築したアーキテクトであった。だから神殿は、世界を設計した全知全能へのオマージュでもあっていい。守護聖人だれそれ、芸術の神様、医学の神様、鍛冶屋の神様に捧げられた神殿もある。でもそれらは部分的である。デミウルゴスに捧げられた神殿こそ、ほんとうの神殿である。

中世以来の同業者組合にはそれぞれ守護聖人がいた。そのもとに職人たちは、職業の組織をまとめ、その決まりや知識を保持し、相互扶助をし、倫理を守った。職業は神に守られていた。

近代の資本制における営利的職業は、そのような神はいない。しかしより抽象度を高めた神はいる。貨幣である。拝金主義もまた、まさに一種の信仰であり、貨幣という神を奉る。しかしこのきわめて抽象度の高い神は、どの職業にとっても共通の神である。すると職種の違いはあまり重要でなくなる。

「労働」はもちろん貴重なものだ。しかし現代人としてみると「労働」はどうもイメージがわるい。ぼくたちが怠け者だからではない。「労働」はどんな職種をも包含するとても抽象度の高い概念である。それはいろいろな価値を内包するきわめて抽象な「貨幣」に対応する。労働と貨幣は、神と女神なのである。

でもぼくたちはそんな「労働」は必要悪だというように考える。なぜか?

ぼくたちは、大人になるときに、とても大切な決断をする。それは職業を選択するということである。一生の決断で、これよりも重要なものはそんなにはない。しかし「労働」も「貨幣」も、この一生の選択をはるかに超越しているので、この職業こそをと熟慮して考えたことが、どうでもいいような扱いをされたと感じてしまう。だからぼくたちは労働も貨幣も、大切なのだけれど、あまり考えたくないのである。

だから建築の神様なのである。職業を選ぶのは、ちょっといい暮らしをするためであり、なんらかの誇りをもちたいからであり、自分の特性を発揮したいためであり、社会貢献もしたいからであり、云々である。でもそのような、自分に戻ってくるような動機もよいのだけれど、それをつきつめてゆくと、その職業そのものに自分を捧げているような気持ちになってくるかもしれない。あるいはそんな気分になると、いろいとつらいことがあっても、自分を支えられるかもしれない。

だからぼくは、建築の神様はいると思うことにしている。

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2011.01.01

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▽2012年2月の記事
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▽2012年3月の記事
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