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2010.12.11

シャンゼリゼ劇場で内田光子などを聞く

さすがパリで、充実したアフター5が楽しめる。音楽については趣味も知識もないのだが、人に勧められてアルテミス・カルテットと内田光子を聞いた。

内田光子は、ベートーベン、シューマン、ショパンという今年的なものをやって、アンコールはバッハのフランス組曲というよく配慮されたものであった。

この劇場はオーギュスト・ペレによるとても有名なもので、こけら落としが《春の祭典》でもあったということから、モダン芸術の象徴のようにいわれているし、WEBでもいろいろ解説されている。ただぼくはぼくで、すこし別の感想をもっている。

新旧オペラ座は、都市計画的に重要な位置づけもなされている。ガルニエのほうのオペラ大通りはこの劇場の軸線として開設されたし、バスティーユのほうは革命を象徴する広場に面している。コンペで案が募集され、ゴシックかバロックか、といった様式の闘いもなされた。このように、国家的モニュメントなのである。

しかしシャンゼリゼ劇場は、都市的、市民的である。広場に面しているわけでもないし、大通りの軸線を受けているのでもない。普通の町並みのなかに溶け込んでいる。

シャンゼリゼ劇場はよく、アールヌーボーと新古典主義の折衷などといわれる。たしかにファサードは新古典主義そのものだ。インテリアはむしろアールデコ的でさえある。そしてモダンを推進したペレのなかに残る、ボザール的な折衷主義の残滓などと説明される。こうした理解は、それはそれで間違っているとは思わない。しかしそのなかに日本的偏向のようなものも含まれていると思う。それから新古典主義から、大革命、ファシズム、帝国主義などと連想をはじめるのはいささか一方的である。

というのは、さして上手くもない天井画にアポロとディオニソスが描かれているその紋切り型を眺めながら、やはり古代ギリシアという芸術的理想郷と、20世紀の市民社会は、いわゆるモダニズムの批判的言説にもかかわらず、ベタにつながっていたのであろう、というような気になってきた。

たとえば19世紀中盤、オペラ座ができる前、そのやや東側の地区で、民間業者が《ヌーベル・アテン(新アテネ)》なる分譲地を開発した。芸術の故郷ギリシアをイメージした分譲地で、芸術家や音楽家が移り住んだ。このギリシア熱は、国家表象の建築とはまったく次元の違うものであった。

シャンゼリゼ劇場の新古典主義はむしろそのような市民レベルのギリシア熱のほうに近いのであろう。そのような劇場で、内田光子がリサイタルをバッハで締めくくるのはまことにふさわしいのではないかと、感じ入ったものであった。

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