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2010.12.23

山本理顕さんから「atプラス」6号を送っていただいた

山本理顕さんから「atプラス」6号を送っていただいた。ありがとうございます。『建築空間の施設化』という論文を書かれている。いずれしっかり読んで、多少の感想も書いてみたい。

今回は、こうゆう文献が届けられるのも、いろいろなことの符合のように思える、ということを書いてみたい。

なにしろつい半月前、リヨン市の郊外にある「合衆国街」と名付けられた集合住宅をみにいった。トニー・ガルニエ設計である。20世紀初頭の集合住宅街である。19世紀的な労働者住宅から、20世紀の最小限住宅への移行期における、トランジショナルな例であると、ぼくは建築史家として判断している。それが建築遺産となって、アーティストに壁画を描かせたり、トニー・ガルニエ・ミュージアムを建設したりして、地域住民の誇りを高め、多少は観光遺産化にもなっている。20世紀初頭、電気ガスといったエネルギーの家庭化、衛生設備の導入、労働法、社会保障制度、休暇法などの一連の法整備によって、普遍的な市民像が制度的に確立された。近代住宅はその近代市民のための施設なのである。ぼくもそう考えた。

山本さんも、それを「施設化」といっているのである。

つい2~3日前、同僚の経済学の先生と世間話をしていた。それがいろいろな方向へ脱線していった。

まず19世紀の空想的社会主義者たちはさまざまなユートピアを建設した。でもそれらはすべて失敗した。経済学の常識ではそうである。しかしぼくは反論してみた。でもそれは「失敗」の定義によるのではないでしょうか。ユートピアにはすぐつぶれたもの、10年もったもの、20年もったもの、いろいろです。でも最終的に崩壊したからといって、それらはすべて失敗なのでしょうか。たとえばアメリカの上場企業は、20年たつとほとんど入れ替わるそうです。ではそれらはすべて失敗なのでしょうか。民主主義国家の政権もやはりせいぜい数年しかもちません。それらはすべて「失敗」なのでしょうか。そうではないと思います。近代という柔らかい社会は、いわゆる失敗を繰り返しながらも前に前に進めるような構造をもっている、つまり失敗を次々とのみこんでしまい、システムそのものはなかなか崩壊しないようにできている。だから19世紀のユートピアも、一種の企業のようなものと考えれば、それらが失敗したということはできないのではないでしょうか、と。

ぼくはさらに考えてみた。たしかにユートピアは、現実社会のシステムから逃避して、自給自足の社会を構築しようとした。農業ベースであれ、工業ベースであれ、それである。そしてそこそのうまくいったユートピアは、生産物を市場にちゃんと供給して利潤を上げることで存続していた。つまり社会との関係が密であったユートピアほど存続しえたのであった。

前述のガルニエの集合住宅も、工場地帯に併存したものであったが、工場経営と住宅経営はいちおう別個であったようで、つまりこの集合住宅は労働者向けという方向付けはありながら、より一般的な住宅マーケットと折り合いがつくようになっていたと思われる。だから存続しえたのではなだろうか。

ぼくは山本さんが構想する「地域社会圏」は19世紀ユートピア的な側面をもっていると思う。核家族住居が原則ではない、共同性を目指している。フーリエが情念によって媒介された人と人の関係性を構想したように、山本さんは6次産業的な産業への人間の知恵、工夫、インタレストなどが媒介となった人と人の関係性を考えている。

しかし違いはある。19世紀のユートピアは既存の社会から孤立することを目指した。しかし「地域社会圏」はそうではないであろう。ある種の共同体でありながら、いろいろなネットワークを介して社会とさまざまに連絡しているであろうし、固定的ではなくつねに流動しつつ、アイデンティティは守ってゆく、そんな共同体なのであろう。しかしそうすると、共同体の基礎理論的なものへの話しは回帰してゆくのであろうか。

すこし大きな問題でもある。

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