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2010.11.02

お別れの会のこと

先日、新建築社元社長の吉田義男さんがなくなられて、お別れの会があった。招待していただいていたが、本務のほうが会議などでいそがしく、出席できなかった。代理出席した家人と電話で話したりして、すこし雰囲気がつたわってきた。

ぼくもこの出版社にはたいへんお世話になっていた。ありがとうございます。

この雑誌の第一号などをみると、むしろ同人誌のような素朴な装丁であったが、しだいに業界大手になるにしたがって、立派になる。それとともに内容もかわってくる。初期はむしろ啓蒙的であり批評性もあったが、しだいに中立的、報道的になった。画期となったのが1957年のそごう問題であった。その批評のありようで、経営者と編集者が対立し、編集者全員が辞職したとされるものである。これはぼくにとっても伝え聞くのみのことであり、微妙なところはわからない。しかし今になって再考すれば、個人的な信念の問題であったかもしれないが、それ以上に、社会の変化にともなってメディアの使命というものに大変動がおこっていたと考えられる。メディアもあるスケールを越える公器のようなものになると、その公器上での批評は、おのずから個人の責任という立場からの批評ではなくなる。50年代ではそれほどではなかったと思うが、やがてこの大手建築雑誌にとって、購読料とともに広告料はたいへん重要な部分となったことも考えあわせると、経営者としての判断は正しかった思う。経営の面だけでなく、メディアの立ち位置ということからいっても、そうであろう。

メディアといってももちろん完全にニュートラルではありえない。多くの建設関連企業などから広告料をもらって経営している建築雑誌が、むきだしの批評性はひかえ、報道的になるのは当然のことであろう。

ただメディアの存立基盤もさまざまである。建築関係では、ある特定の企業の広報誌から発展したものや、そういうわけで特定の一企業からのバックアップで存続しているところもある。まれに、そういう雑誌が、特定の建築家やはたまた特定の一書き手をバッシングすることもあった。そういうのはたいへんはしたないことだと思う。

「批評」というと、ほんらいは大きな物語や大思想を物差しとして、それで建築作品や建築家などを批評するのがオーソドックスであろう。たしかにそごう問題の当事者世代はそのようなものであったかもしれない。しかし現在ではそういう大思想を前提とすることはまれになっている。ぼく自身もそうであり、その意味ではぼくは批評家ではない。ぼくが批評的行為によって目指しているのは、ある建築などを題材として、あたらしい観点を発見したり、問題をすこし普遍化したりするというようなことで、けっして対象をおとしめることではない。だから常勤の批評家ではないと自称して、たとえば八束はじめさんを納得させられなかったことがある。まあそんな感じである。

すこし普遍化すると、オーソドックスな建築批評は「演繹法型」であり、マルクス主義、進化論といった大思想の観点から個々の事象を判断する。それとは逆に「帰納法型」もありえて、ここの雑多な個別例を観察して、そこから普遍化できるものを探し、論じてゆく。ぼくは後者の立場である。自己観察をすると、建築史をやっていることと無関係ではないだろう。しかしこのアプローチは歯切れがわるいし、どちらかというと不利である。

そういうぼくにも新建築社から執筆の機会を与えていただいたものであった。ただ電子出版元年とよばれるこの2010年は象徴的なものになるかもしれない。ぼくも電子書籍に関する文献を買い込んで勉強しているくらいである。いっぽうで1世紀ちかく建築を取材しつづけた新建築のストックはすでに国宝級の建築アーカイブなのであろう。いろんなことがおおきく変わろうとしている。

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