『アーキテクチャとクラウド』
を読んだ。副題は「情報による空間の変容」。アマゾンで買ったのだが、0528という通し番号がスタンプされていた。
ぼくは自分の専門の本を読んでいると、集中力が途中でハングアップしたり、もう歳なのかなと思ったりすることが最近多い。でもこの本は面白くていっきに読んだ。そんな自分が悲しい。
《せんだいメディアテーク》の話しがでていた。古谷案は倉庫の在庫管理の技術を図書館などに応用したもので、空間のありようと、書籍などの目録構造とを、はっきりわける。ここで思い出したのが近代建築の初期に、たとえばべーレンスのAEG工場のように、いわゆる実用建築をギリシア建築のようにデザインしたが、しかし近代建築の真髄は、それを逆転させて、美術館なんかの立派な建築を、実用建築の仕様あるいは様式で建設しようとしたこと。その果てには均質空間が生まれる。だから古谷案はビルディングタイプの横断というようにも読める。
いっぽうで古谷案がICタグで書籍の在庫管理をおこなうものであっても、図書分類システムそのものは以前からある普遍的なものである。旧来の図書館はその分類システムをなぞるように書架や空間が構成されていた。だから古谷案は、分類システムという抽象空間と、実空間をはっきり異質なものとしてスーパーインポーズしたところに特徴がある。
読んでいるうちに気がついたのはこうした「抽象空間」と「実空間」の二元性をどう処理しようかと、さまざまに論考しているようだな、ということ。
ぼく自身はさまざまなネットワークの受益者でしかないので当事者意識がまったくなく、矛盾に満ちた二元論で結構、などと居直っている立場であろう。ただあえて背負おうとしている方々の論考からはいくつかモデルを抽出できてありがたい。
均質/特異性という二元論、クラウドは物的表象としては水平的で建築メタファーとしての樹木は垂直的という二元論、「概念的一望性」と「身体的局所性」というそれ、Twitterの過去ログがつくりあげる情報空間内にある自己といま・ここの自己という二元論。
ちなみにTwitterをやらないぼくはそういうお人柄だというだけのはなしで、ブログ=個室が好きな人である、ということが本書を読んでわかった。そのとおりであろう。ひきこもり的身体なのかもしれない。しかしひきこもりと発信という「矛盾」ではなく、前者から後者への「反転」である。
そういう二元論的(あるいは矛盾した)構図のなかに置かれている人間ではあるが、ここで語られているたとえば「概念的一望性」というのはあらかじめグーグルマップで俯瞰することであり、実際に歩いてみると身体性があるので、そううまくは到達できず、そこで抽象と実の二重性を感じる、というような説明があった。
ただ全体として感じられたのは、その抽象的レベルの抽象度がやや低く想定されているようなことである。神としての「べき乗則」も言及されていたが、そうしたレベルの抽象度をどんどん上げてゆくとどういうことになるかを解説してもらえると、もっと楽しめたであろう。抽象と実は、神と人間かもしれず、クラウド時代の神は、一神教的なのか多神教的なのか、というとどちらなのだろう。ぼくが自分では答えられない設問なのであるが、好みとしては抽象度を上げてもらいたいほうである。
それからクラウド論のなかですでに誰かが論じているのかどうか知らないが、形式知と暗黙知の関係などというものは、どうでもいいのだろうか。
ともあれインターネットにふさわしい空間や建築は、傑作がひとつできれば歴史家的には満足である。二元論におけるズレや矛盾のほうに興味があるということであろうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント