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2010年10月の9件の記事

2010.10.31

『白井晟一 精神と空間』

作家のような日曜日であった(である)。朝5時半に目がさめた。9時半まで仕事。もくもくとキーボード入力。10時からフィットネス。お昼は、きのう買ったキスを焼く。魚屋の大将は「あまり」というが、あわくはかなく、なかなか美味である。午後は読書。最近の白井晟一展のカタログである。

謎の建築家と呼ばれていた白井晟一が評価されはじめたのが1970年前後である。

それまで評価されなかった理由も、急に評価されはじめて白井神話ができるのも、理由は同じであり、ひとつしかない。それは日本の建築批評がいわゆる「モダニズム」にもとづくものしかなかったからである。

白井は京都工業繊維大学の前身校で教育をうけたとはいえ、その建築家としての本質はほとんど独学で構築したようなものであり、そこには近代建築運動のドグマははいってきていない。しかしヨーロッパ留学中の経験と学習によるものがコアとなっている。そういう事情で、彼の建築は近代建築のドグマからは解釈できないのでそもそも批評の対象にならないので、人びとは気がつかなかった。ぎゃくに、近代批判がなされた1968年ころから、近代建築理論に依拠しないでさまざまな魅力に満ちた建築を創作する建築家として評価されようになる。

つまり無視も、評価も、神話も、もっぱら評価する側の事情(都合?)によるものである。

問題は、もし白井が近代パラダイムとは無縁なことに意義のある建築家であるとしたら、評価する側もまた近代建築とは無縁な評価パラダイムを所有するか、あるいはそれに近いものを組み立てなければならないのではないか、ということである。では、それはどのようにして可能なのであろうか。この問題はすこし時間をかけて考えたい。

そのほか気がついたことは、当たり前だが、白井晟一はいわゆる建築界にたいして徹底して孤高の人であったということである。孤独である。しかしそれは反転し、カタログの用語をつかうと「全体」に到達する。ぼく自身はむしろ「普遍」とか「神的なもの」ではないかと思うのだが。いずれにせよ「孤独の反転」という現象を記述するのがひとつの鍵であるようにおもう。つまり20世紀の近代建築であれ、21世紀のネット社会建築であれ、世界や社会から発せられるミッションをしっかりキャッチし、反応しているという点で、まったく同相であるし、後者は前者の正統な後継者である。だから個別のアプローチはしっかりと全体なり普遍につながっている。ただよくもわるくもそこには反転はない。個人的興味にすぎないが、そういう白井晟一的な「反転」はいかに可能だろうか、ということである。

個人的に彼の建築のなかで惹かれるのは「窓」である。別のひとなら、ロマネスク的であるとか、光と影の効果などというであろう。しかし彼の「窓」は、個人の意識や指向性が、方向づけられ、なにかに向かい、さらに別の広がりに参加してゆくような、そういう構図を象徴しているようにも思える。

さてそろそろティーブレイクである。家事もすこしはするし。さらに18時からは研究室OB+友人たちがきてワインでも飲むことになっている。よい日曜日になりそうである。

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2010.10.30

『アーキテクチャとクラウド』

を読んだ。副題は「情報による空間の変容」。アマゾンで買ったのだが、0528という通し番号がスタンプされていた。

ぼくは自分の専門の本を読んでいると、集中力が途中でハングアップしたり、もう歳なのかなと思ったりすることが最近多い。でもこの本は面白くていっきに読んだ。そんな自分が悲しい。

《せんだいメディアテーク》の話しがでていた。古谷案は倉庫の在庫管理の技術を図書館などに応用したもので、空間のありようと、書籍などの目録構造とを、はっきりわける。ここで思い出したのが近代建築の初期に、たとえばべーレンスのAEG工場のように、いわゆる実用建築をギリシア建築のようにデザインしたが、しかし近代建築の真髄は、それを逆転させて、美術館なんかの立派な建築を、実用建築の仕様あるいは様式で建設しようとしたこと。その果てには均質空間が生まれる。だから古谷案はビルディングタイプの横断というようにも読める。

いっぽうで古谷案がICタグで書籍の在庫管理をおこなうものであっても、図書分類システムそのものは以前からある普遍的なものである。旧来の図書館はその分類システムをなぞるように書架や空間が構成されていた。だから古谷案は、分類システムという抽象空間と、実空間をはっきり異質なものとしてスーパーインポーズしたところに特徴がある。

読んでいるうちに気がついたのはこうした「抽象空間」と「実空間」の二元性をどう処理しようかと、さまざまに論考しているようだな、ということ。

ぼく自身はさまざまなネットワークの受益者でしかないので当事者意識がまったくなく、矛盾に満ちた二元論で結構、などと居直っている立場であろう。ただあえて背負おうとしている方々の論考からはいくつかモデルを抽出できてありがたい。

均質/特異性という二元論、クラウドは物的表象としては水平的で建築メタファーとしての樹木は垂直的という二元論、「概念的一望性」と「身体的局所性」というそれ、Twitterの過去ログがつくりあげる情報空間内にある自己といま・ここの自己という二元論。

ちなみにTwitterをやらないぼくはそういうお人柄だというだけのはなしで、ブログ=個室が好きな人である、ということが本書を読んでわかった。そのとおりであろう。ひきこもり的身体なのかもしれない。しかしひきこもりと発信という「矛盾」ではなく、前者から後者への「反転」である。

そういう二元論的(あるいは矛盾した)構図のなかに置かれている人間ではあるが、ここで語られているたとえば「概念的一望性」というのはあらかじめグーグルマップで俯瞰することであり、実際に歩いてみると身体性があるので、そううまくは到達できず、そこで抽象と実の二重性を感じる、というような説明があった。

ただ全体として感じられたのは、その抽象的レベルの抽象度がやや低く想定されているようなことである。神としての「べき乗則」も言及されていたが、そうしたレベルの抽象度をどんどん上げてゆくとどういうことになるかを解説してもらえると、もっと楽しめたであろう。抽象と実は、神と人間かもしれず、クラウド時代の神は、一神教的なのか多神教的なのか、というとどちらなのだろう。ぼくが自分では答えられない設問なのであるが、好みとしては抽象度を上げてもらいたいほうである。

それからクラウド論のなかですでに誰かが論じているのかどうか知らないが、形式知と暗黙知の関係などというものは、どうでもいいのだろうか。

ともあれインターネットにふさわしい空間や建築は、傑作がひとつできれば歴史家的には満足である。二元論におけるズレや矛盾のほうに興味があるということであろうか。

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2010.10.29

ユリイカ特集『電子書籍を読む!』

2010年は電子書籍元年。8月号なので、ずいぶん遅れて読んだ。ティーブレイクと往復の電車のなかのお伴であった。

正直言ってがっかりした。もちろんユリイカだからたいへん高尚なことが書いてあるし、メディア論の講習を受けたきになるし、出版社は広告収入でなりたっているとか社会勉強もできた。出版業界も縮小しつつあるなかで、しかし公共図書館はどんどん増えているなど、勉強になった。

でも書き手はほとんど業界のひと、あるいは書物の送り手たちである。彼らはこの業界を支えているひとたちだから、出版界やIT界がどうなってゆくのかを真摯に問うてはいる。

でも書物の受け手のことは考えていない。この特集の書き手のなかには、読者=書物の受け手を代表する人はひとりもいない。

唯一読者にふれたというのでぼく的な興味に引っかかったのが桜坂洋さんの「本の未来」であり、「ソーシャルリーディング」とかいうテキスト、アンダーライン、書き込みなどを共有するやり方とか、アップル、キンドル、グーグルなどがそれぞれクラスタを構築し、それぞれのクラスタがあるライフスタイルを提供し、読者はいずれかのクラスタにしだいに囲い込まれてゆくというストーリーはおもしろかった。とくに後者は、20世紀の私鉄会社が、鉄道、住宅地、駅前商店街などを提供することでライフスタイルを構築していったことを思い出させる。これはとても面白かった。

特集中の多くの論文では萌芽的にしか書かれていないが、読者的に知りたいのは、ジャンルによって電子書籍は進化のしかたが違うであろう、というようなこと。(1)新聞・雑誌は広告料収入の減少で退化する?すでにぼくは7年前から新聞をとっていない。(2)学会論文集は、ずっとまえから電子投稿、電子審査、電子出版であるし、学問という閉鎖系では機能的に成立できる。(3)文学は、ストックとフローの関係でいうと、ストックがしっかりしていて、儲からないであろうがなにかしっかり感はある。(4)専門書・実用書は不細工なものであり書架の装飾にはなりにくいので、どんどん電子化すべし?(5)スポーツ紙などは動画をまぜたハイブリッドなものになるんでしょうね?MLBにアクセスするのはなぜかたるい。(5)マンガは?(6)iPadのような普遍的プラットフォームのなかで、ほんとうに映画、アニメ、マンガ、小説、専門書などは一元的コンテンツとなるかどうか?・・・などなどを教えてもらいたいものです。

ぼくは業界のことはしらないし、情報の専門家でもないので、逆に、アレクサンドリア、ムンダネウム、といったそれこそ人類全体の知のストックという次元で検討している専門家の話しをききたいものである。

それからまったく卑近なレベルであるが、iPadが電子情報を身体に近づけたというのであるから、電子書籍ならではの理想的書斎なんかも構想してほしいものである。これは近世の書院造、近代の小図書館型の書斎、につづく第三のタイプのことである。

ぼく自身はとても怠惰で保守的なのであろう。情報インフラの恩恵をうけているにもかかわらず。双方性など関心がなく、書物は届けられるものだし、いっそのこと神から配布されるものであったほうがいい(グーテンベルグの技術は聖書を普及するのに役立った)。人間どうしでちまちま交換しているというのはイメージ的にどうかな。神や、異界から送り届けられる贈与といった演出が欲しい。日本の図書館は充実しているので、ぎゃくに書籍の公共的共有にも興味がはなく、自分の蔵書という、排他的個人所有にしか関心がない。

大人数で同じ場所で同じコンテンツを楽しむといっても、スポーツ、オペラ、コンサートなどとちがって、たとえば映画は相対的に孤独な楽しみ方である。同じようにグーテンベルグの発明によってなにが変わったかというと、情報が広く伝えられるのと(反)比例して、人間は「孤独になる権利」を得たのではなかったのだろうか。もっというと、読書という孤独なことをやっていても、ちゃんと人類の知にリンクされるので、究極は普遍的なものと繋がっているという立場がえられた。ぼくが好きなのはそんなところです。古い人間ですから。というか孤独を経由しての普遍が好きというのは、類型としてはカトリック的というよりプロテスタント的なのかなあ。

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2010.10.26

ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』

学生がやってきて、最近のヨーロッパにおける都市再生事業の本を読んだが、なにか大切なことが書かれているらしいけれど、どう取り組んでいいかよくわからない、という。そこでいろいろ説明する。

・・・こういう専門書は大学の偉い先生が書いているから難しいのだよ。しかもいわゆる制度論的に書いてる。実際はとてもシンプルなものをわざわざ抽象概念で表現して、難しくしているのだよ。たとえばね。古い高密な街区がある。通りも狭く、車もろくに通れない。日照、通風もよくない。貧しい人びとが住んでいる。犯罪者、病人も多い。だから市はどうしたかというと、街の古い建物群の一部分だけを撤去して、広場をつくった。それに面して美術館をつくった。すると美術館にくるために、街路をとおる人が増えるよね。そのうちの一部の人でも、街路にある店でなにか買うよね。ドリンクとか、ボールペンとか、夏ならアイスとか。すると収入が増える。犯罪者、夜逃げに転落する寸前のひとが、ちゃんと暮らせるようになるかもしれない。でもね。環境がよくなる。芸術家たちが移り住み始める。地価があがるよね。するともといた貧しい人びとは、もっと貧しい街に移り住まなければならなくなる。だからこの点だけは、問題の解決ではない。問題が移動するだけ。だから市はね、低家賃住宅なんかをきちんと提供したりするんだ。住人を追い出さないようにする。コミュニティを崩壊させないということ。

これで学生の疑問はかなり解消した。学生が行き詰まっていたのは「ジェントリフィケーション」という言葉だったのだ。

もちろん専門用語がないと学問が成り立たないので必要だ。またこの世界ではさまざまな現象が無限に発生してゆくので、共通なものを一括して名付けられるようにしないと大変である。しかし問題は、この専門用語の使い方である。都市の現象は、とても錯綜しているとはいえ、ひとつひとつは、商品を買うというのが商品と貨幣の交換であるように、基本的にはすべて理路整然と、当たり前に、ふつうに、なされる。だから具体的レベルに落とせば、だれでも理解できる(はずである)。だから「ジェントリフィケーション」を理解するかどうかは、学問コミュニティにはいるかどうかであって、都市を理解することそのものではない。それなしにも都市は理解できる。

というのがジェイコブスの新訳というか完全訳がでたので読んでみたときの感想と、かなりぴったり重なった。

『アメリカ大都市の死と生』はたいへん有名な文献なので、いまさら素人のぼくが説明するまでもない。行政でも学者でもない、市民目線、というだけで評価されているのではない。いわば平凡な個別の事象から述べはじめ、それが都市全体の問題として説明される、その筆法がすぐれている。いわば「微分」をしっかりして、微小部分の集合としての積分としての都市のあり方を描く、そこがすぐれている。その書き方は、まるで小説のようにも思える。エッセイでも旅行記でも批評でもなく、ぼくは小説として読むと面白いと思う。誰だったか忘れたが、ある文芸評論家が、三島由紀夫はたとえばある有名でもない絵画を上手に説明し、見ていない読者にも見ているがごとくにさせる、と評していた。細部の描写をとおして、ある光景、ある世界(みたまま+その背景)、を描く。そんな感じである。

それから田園都市批判。ハワードが大ロンドンを嫌ったように、近代都市計画は当時の都市を理性的に批判することからはじまった。アメリカの郊外化もその延長である。ヨーロッパとちがって、新大陸における実験であったアメリカの大都市はひょっとしたら成熟を待たずに、郊外へと解体していたのであろう。ハワードが忌み嫌った大都市を、ジェイコブズはその可能性において愛そうとした。初めて読む人にはそのように位置づけて読むとたいへんわかりやすい。

唯一のキーワードは「多様性」。というか本書全体が「多様性思想」なのではないか。しかも都市の多様性というものの現れを、具体的に、まさに多様に描き、そこからできるだけ一般化しようとする。だから都市計画学の本でもない。

だからジェイコブズのこの文献は、その現状批判のなかから可能性としての都市を希求した、一種の思想書である。ある思想を、きちんと構築された理論としてではなく、ひとつの視点からのさまざまな観察と省察として書いたのであろう。ぼくはとりわけこういう書き方に惹かれる。

ル・コルビュジエの『建築をめざして』や前述のハワード『明日の田園都市』はマニフェスト仕立てである。理路整然としている。だから都市計画学と相性がいい。しかし箇条書きにした処方箋のような書き方はいかにも20世紀的である。ジェイコブズの書き方は、ある意味で19世紀的な物語風書き方だし、その点では、こっちは偽悪的ではあるが『デリリアス・ニューヨーク』なんかに近い。そういう「書き方」のレッスンとしても読める。

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2010.10.24

今の学生は「広告代理店的」か?

今週もいろいろであった。

水曜日は午後、会議。建築教育をいかに発展させるかの学内会議。なにしろ伸びしろというか、発展形を提案しないと、リストラ圧力が外部からどんどんかかってくるので、新規の方向性を考えねばならない。そもそも日本の建築教育がいかに国際化するかの大方針がまだ決めていただいていない。地方大学としてはそれを無視して独自路線を走ることはできないので、様子見ももちろんある。しかし準備はしておかねばならない。こういう会議で、普段はあまり会わない学内のメンバーと意思疎通をはかっておくのも、重要な準備なのである。

水曜夜、会食。同僚の先生と3人で。設計教育について、首都圏の状況を把握しつつ、自分の大学の独自性をどう発揮してゆくか、などという点について意見交換。それから最近の若手建築家たちをどう思うかについても。現代日本建築を海外にアピールするような圧倒的に個性的なタレントの活躍も大切なのであるが、技術や社会などにどうしっかり立脚するかも大切であり、かつ、過度に情報化されつつある首都圏の状況にたいして、ぎゃくに地方の立場が有利であるという指摘もあった。twitterの支配力もすごらしい。おやじ空間とはまったく違うようである。アメリカの設計が極端にIT化することでかえって創造性を失ったのに、地道な模型製作スタディに固執した日本にこそ若い才能が開花していったように、そういう対比がこんどは首都圏/地方で繰り返されるのであろうか?ぼくたちは硬派ですね、というのが同僚との合意点。

木曜日はM論中間発表会。ひとりひとりのテーマは、修論なのであるし、コンパクトであるのは当然だ。しかし大きな枠組みのなかに適切に位置づけられる小テーマでなければならない。自分がとりあえず取り組む小テーマが、はるかにスケールの大きいテーマのどの部位にあるのか、というはっきりしたイメージをもっておく必要がある。しかしそういうことに気づいている学生は少なかったように思える。午後4時間ちかくをつかって13名の発表を聞く。どれもそこそこいいのだが、問題提起がないということにつきる。今では若い学生にとって、環境保全も、まちづくりも、伝統も、なにもかも、すでに規定のプログラムであり、自分の課題がそのフォーマットにのっていれば、普通に走っていけると思い込んでいる。疑いがない、というのが、聞いていて怖い。

金曜日は1年生向けの導入講義。金沢21世紀美術館と、上野の法隆寺宝物殿を比較して論じる。前者は、正面性がなく全方位的、ランダムアクセス、ヒエラルキーがない、市民参加的、などなど。後者は、強い正面性、1つのはっきりした経路にそったリニアなアクセス、強いヒエラルキー、国宝的、などなど。ついでに森山邸を紹介。さらにさらに高過案(土の建物)、ハノーバー万博日本館(紙の建築)、神奈川工科大学KAIT工房(鉄の建築)、プラダ青山(ガラスの建築)と、現代建築もいろいろですよ~と紹介。

金曜夜はぼくンちで研究室コンパ+交換留学生歓迎コンパ。フランス人4名、アメリカ人1名、日本人12名?の総勢17名?で、夜11時までワインをいただく。3カ国語でなんだかんだ語りつづける。2年前に交換留学でアメリカからきていたジミーくんも旅行がてらきていた。長年の経験で、こういうアットホームな場所に案内すると外国時留学生はちゃんとなついてくれていろいろ楽であることを知っている。忙しかったりして交換会がないと、どうも教員と留学生は疎遠になる。飲み会は重要である。

これも毎度のことながら異文化理解、外国理解はどういうことか、ということ。日本人はどちらかというと心を理解しようとし、定性的な指標をたてる。ヨーロッパやアメリカからの留学生は、むしろ定量的、データ的であり、失業率はなん%、女性の平均収入は男性のなん%、などなど、まずはっきりした指標からはいる。最終的にどうとはいえないが、日本人がまず外国を理解しようとするしかたは、ずいぶん迂回的であり、思索的であり、まどろっこしいような気がする。というか、さすがに外国を見習ったほうがいい。

建築プロジェクトにおきかえると、ぼくは課題で、ある地方都市は20年前は1世帯6人であったが、今は1世帯2人であった、これは重要な指標である、と何度も強調するのである。しかし学生たちはまったく反応しない。こうしたはっきりした指標をもとにして、建築や都市のプロジェクトを提案しようとする学生は皆無である。むしろ学生は、やさしい、ふれあい、コミュニティ、創造的、などというキャッチがないと思考を組み立てられない。

かつての学生は「職人的」か「文化人的」であったように思う。それがよかったわけではない。しかし今の学生はつくづく「広告代理店的」である。明確ではっきりした指標というより、そつなく企画をつくって一丁上がりという感じである。教師はむしろアナクロニックにこれを矯正してバランスをとるべき立場であろう。

こうした思考法は、設計だけではなく、卒論や修論にまではいってきている。

さて当然のことながら、世代が違うのだからアプローチが違って当然であるし、こうした傾向は変えようもない与件なのであるが、そこで自分はどのように立ちふるまうかを考えると、小説家的にそうするのであろうか。やや唐突な結論だが、100手先を読んでいるつもりでそんなことを考えるのである。

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2010.10.18

TOKYO METABOLIZING

・・・を北山恒さんからいただきました。ありがとうございます。

ヴェネツィアビエンナーレ日本館の展示のための図録である(ようだ)。

展示は北山恒さん、塚本由晴さん、西沢立衛さんの住宅作品を並べたものであるが、それらをとおして東京という都市の姿を語るものとなっている。

パリが君主の都市、ニューヨークが資本主義の都市、であるのにたいして、東京はメタボリズムの都市なのだという。3都市の航空写真が並べられている。私見では、パリは1ブロック=1ボリューム=マルチスペース、NYは1ブロック=1ハイライズ(2~3はあっても)、東京は1ブロック=マルチボリュームである。結局のところ、パリは中世以来のゲルマン法的規程で、戸境壁は両隣の共有壁であり、壁というソリッドではあるが、その空間は共有されていて、諸空間は密実につまっている。東京は、近世の中下級武士の住まいがパターン化されて、近代の戸建て住宅となり、ボリューム(建物)はすかすかに並ぶことになる。

そう考えると、それが都市のOSであるとすれば、OSは都市計画法とか建築基準法のさらに下層の基底にあるものである。事実はというと、そうしたOSにあわせて、法制度や建設産業というアプリが形成される。こんどは法や産業が自律的に肥大化し、問題があっても、なかなか変更できないものになってしまい、OSをバージョンアップすることを困難にしてしまう。このような事情から、OSは社会制度全体がおおきく変化しても、かなり一貫したものとなってしまう。

3人の建築家はたいへん独創的な住宅を展開しているが、しかし無節操にそうなのではなく、自覚的にせよ無自覚的にせよ、この都市のOSを顕在化させ、それをほりおこし、それに注釈をくわえたり、あるいはその最後の可能性を搾り取ろうとしているような気がする。

西沢さんの《森山邸》はいわば「はなれ」であろう。かつては同じ敷地に母屋といくつかのはなれがあった。この「はなれ」をいくつか集めたのがこの邸宅である。住人それぞれが独立ししかし依存も可能な、つかず離れずの生活をおくる。孤立したパヴィリオンではなく、なにかに依存しつつしかし縁は切っておくという微妙な距離感。しかしここで面白いのは「母屋の不在」という点であろう。それは「中心がない」というよりも、もっと強い中心の拒否であるように思える。ぼくはこの森山邸は、そのように母屋の不在によって、それとははっきり示さないのに、強くて決定的な欠落感を与え、しかしその欠落感そのものに批判的意味があるような、そんな逆説を感じる。

ぎゃくに塚本さんのものは、住宅でありながら、複合的であることに意義があるようだし、その複合性のありかたに彼の思想があるように思える。専用住宅ではないさまざまな用途を吸収した住宅であるとともに、境界条件から演繹して設計したものであるがゆえに、きわめて都市と連続的であり、状況を反映したものとなっている。しかし同時に、これが母屋的かというとそうも思えない。全体性はしいて求められていない。やはり欠落感がある。それは都市の断片であることをクールにわりきっているようにも思える。

欠落が悪いといっているのではない。ぼくがかつて村上春樹『東京奇譚集』が欠落のものがたりだと感じた、ついでに伊東豊雄《中野本町の住宅》にも感じるといった、そんな欠落感に近い。

不動産の証券化というreitなるものがかつて話題になった。きわめて流動的な空間の共同所有である。しかし考えてみれば、日本の都市は、究極的には社会的共有物であるはずの土地=空間の総体を、私的所有権の絶対性という枠組みで、細分化し断片化し、個々の所有者に分配した。それが地主であり、本書のなかで言及されている東京の180万人の土地所有者たちである。彼らは個々には絶対的所有者であるが、全体としてみると社会的総空間の共同所有者といえなくもない。

それはそうとして地主たちは、それぞれ所有者にして消費者となって、住宅を建設する。その消費行為が、ライフスタイル、建築家のチョイス、建物の構成やスタイルの選択となって現前するというようなことが図録で主張されているのである。

ということは東京の、とくに戸建て住宅地で露呈しているのは、消費行為のあられもない顕在化ということになるのだが、これもつきとめてゆくと半世紀以上も繰り返されてきた日本都市批判のようなことに戻ってしまう。のであるが、本書が違うとすれば、その消費行為を文化のレベルに高めていこうというような姿勢が見られるというようなことであろう。なにごとにも救いはほしいものなのだから。

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2010.10.14

美術全集について

昨日は事務所訪問デーであった。

まず表参道の建築設計事務所を訪問。難波和彦先生にご報告。鵜飼先生を中心に福岡が盛り上がっているということなど。それからJABEE-UIAを含め、これからの建築設計界の動向などを教えてもらった。就職戦線も刻々と変化しているようだ。注意しないと気がつかないが、しかし確実に秒針も長針も短針も進んでいるというような印象であった。設計教育国際会議の記録本もいただいた。ありがとうございます。

それから代々木公園にあるデザイン事務所を訪問。前田麻名さんに、これからの美術全集のありかたなどを教えてもらった。

これは20年近くもまえにすこし執筆を担当させていただいた西洋美術大全集をデジタル版としてどう復活させるか、というような企画である。20年前、編集者が「紙媒体の美術全集はこれが最後ですね、つぎはレーザーディスクでしょうね」といっていたのが強く印象にのこっていた。もちろんいまやレーザーディスクも古くなってしまったが、デジタル化という点ではそのとおりになったわけである。

そこであらためて「全集」なるパッケージのありかたを考えてみた。もちろん古くさくなってしまった。いまではWEB上の美術サイトでは古今東西の名画が一瞬で検索できて鑑賞もできる。レゾリューションがいいと、カラープリントして名画で壁を飾ることも容易である。無数の美術作品からなる大海は、ランダムアクセスがむしろふさわしく、体系にこだわらなくても、いかようにも分節化され、嗜好の対象となりうる。

そんななかで「全集」とはひとつのパッケージ哲学の表明として、一種のメタアートとして位置づけられるであろう。もちろん本家のアメリカやヨーロッパと比して、日本はそもそも西洋美術のコレクションがすくないのだから、美術館やギャラリーは主流にはなれないから、それを補う意味で全集が必要となっている。つまり近代における西洋美術は本質的にメディア化された美術であった。考えてもみれば即物的なまでに当たり前のことなのだけれど。

だから「全集」とはいっても、選集なのである。しっかりした監修者が、執筆者と作品を厳選し、それで20数巻からなるひとつの体系を構築するのである。するとある時期の日本の、西洋美術理解をかなり反映したものになる。それ自体がひとつの作品と思ってもいいわけである。

もちろんヨーロッパではまた別の方向性があるようにみうけられる。専門ではないので断片的なことに気がついたまでだが、最近ではテーマ別の横断型の解説書がよくみられる。たとえばHazan社のものは西洋絵画にえがかれたさまざまな対象、たとえば聖人、食物・料理、王、権力の象徴、などごとに一巻を用意して、時代やスタイルをこえて、さまざまに解説してゆく。ある意味、絵画を情報に分解して、素人がとりあえず知的に理解できるようにする。ひとつのタブローからいくつも引き出し線がかかれ、たとえばこのハトはこれこれの象徴であり、などと解説される。そんな感じで1巻数百頁で10巻以上のシリーズとなる。その情報の厚みにも驚くのであるが、逆に、アートの情報化とはそのグローバル化、そしてある意味で大衆化でもある、というようなことに気がつく。絵画に描かれる対象は時代がかわっても、基本的にはおなじである。静物ならパン、果実、グラス、瓶、果物。肖像。聖人。風景。神話。・・・・すると辞書のなかで、単語の意味を箇条書きにし、その用例を紹介するように、時代と地域とスタイルを横断して絵画要素が解説されるのである。それがほんとうに美術の理解かどうかはさておき、ちがう流れがあちらにあることをうかがわせる。

ちなみに「飲食」巻をランダムに開くと、アレサンドロ・アロリがキリスを描いた作品において「卵は再生のシンボルかもしれない」とか「ブドウはテーブルに出された植物を意味するのみならず、ワインと関連し、さらにはキリストの血と受難にも言及している」などとある。ブリューゲルが大食漢をえがいた作品では、「卵は、殻からひよこの足がでており、3人の大食漢のどん欲さをひょうきんにえがいている。卵にはナイフがささっているが、彼らがどんよくに最後まで食べようとしたことを示している。孵化寸前のこの卵はたいへん古いものである」などとも解説がある(たまたま常識的な解説であったが)。卵づくしもおもしろいかな?ただ情報化も細部にいきすぎると面白くなくなる。そうではなく人類が自然界を描く集団表象は、結局のところ、どんなもんであるか、などと誰かが論じてくれると面白いのであろう。

教えてもらったなかでとくに面白かったのが、日本の色彩教育はなっていないというようなことで、初等あるいは中等教育レベルのことだと想像したが、美術教育のための色彩パレットというかいくつかの標準色というものがある時期に選択されたが、それは子供に創造性を与えるようなものではないにもかかわらず、今日にまで再検討されず採用されているというようなことだ。家政学における計量カップ、計量スプーンのことを思い出したりもした。ル・コルビュジエも色彩パレットを考案していたし。近代において、いろにろなことが標準化され、スタンダードが決められた。近代批判なるものが根底的になされたようで、じつはそういうものは頑固に残っているということのようである。

世田谷には個人美術館が多いとか、岡本太郎の話とか、いろいろ勉強になった。シカゴの建築ツアーのことまでご存じで感銘を受けたものであったが、日本ではブラタモリですかねえというオヤジ的オチになってしまった(もちろん東京の建築ツアーなどは知ってますよ)。

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2010.10.05

twitter考

人から教えられて知ったのだが、twitter上で、第三者どおしが、ぼくはtwitterをやっているのかいないのか、なんて交信していた。ふううむ。と考えてみた。

すこし考えて、ぼくはtwitter向きではないので、やらないなあ、という気持ちになっていた。もちろんtwitterに本質的に意味がないとか、有害だ、とかはいいません。それは利用者がクレバーに操作すればいいだけのことです。でもぼくはぼくなりに、人とは違った態度でtwitterに接していい。それだけのことです。

理由はふたつ。

(1)ぼくはときどき建築批評をする。世間からも、手厳しい、ラディカルな、かなり急進的な批評家と思われているようである。自分でそう思っているなどとかくと自信過剰と思われて、反感をかうであろう。そんなことを望んではいないので、ソフトに書きます。ようするに自分が自分で怖い。瞬間的に、かなりディープな反応をし、それはそれですこし妥当性があったとしても、人様にたいして過激なことをいう恐れがある。twitterはわりと瞬間反応的だから、自制しているようで自制していないことがある。そういうような意味で、ぼくは適性がないと自己判断しているのである。

(2)口語的/文語的。あきらかにHP、ブログは文語的です。それにたいしてtwitterは口語的です。今回気がついたのは、文字だから文語的ではないということ。twitterは文字なのだけれど、口語的。違いはどこか。HP・ブログ=文語的というのは、書き手の内部であるていど時間をかけて考察し、論を構築してから書き、発表する。twitter=口語的は、文字で表現されるのではあるが、他者にたいする即時的な反応にちかい、という意味では、書き言葉をできるだけ、口頭の会話に近づけようとすること。で、twitterで新しいのは、初対面とか、知らない人どおしでも、WEB上で知り合って、会話ができるということ。twitterそのものが、まだなされていない、しかし可能な、ありとあらゆる「個人と個人の出会い」を可能にし、即、対話を成り立たせていること。です。そこまでは理解できるけれど、だからこそぼく的ではない。なぜかというと、ぼくはいつも他人とは違うことを考えることを努めているからです。人によっては他者と理念を共有することを信念としている。むしろそういう人が多い。そういう人にはtwitterはよい、と理論的に理解できる。でもだから、ぼくには向かない。ぼくは他者とことなる理念をもつことを目標としているので、他者に語りかける場合も、自分の内部で理論を構築してから、メッセージをおくる。そういうへそ曲がりもゆるしていただける今の社会の鷹揚さだと思っていますが。

でもでも。そのうちコロっと気が変わって、twitterなんか始めるかもしれませんね。宣言して禁欲するなど意味ないし。などとかくと理論を構築して他者に伝えることになりませんね。

ロボットを製作することの意味は、人間がよくわかってくること、っていいます。ロボットは人間のダミーです。で、研究しているうちに、ロボットにフィードバックできるほど、人間のメカニズムはわかっていなかった、ということにわかるのだそうです(10年以上前に話題ですが)。だからロボットをよりよく造るために、人間をよりよく理解しなければならない、ということになる。

おそらく人間が人間に語りかける、その方法も、いままで知らなかっただけで、じつはたくさんの種類があるのでしょう。だから、HP、ブログ、twitter、SNS、facebookとさまざまな形式が考えられるのでしょう。ですので新しいメディアが、古いメディア、あるいは人が人に語りかけるという行為そのもの、を克服するのではないのでしょう。今まで気がつかなかった「語り方のさまざまな種類」をこれから発見するのでしょう。

そういうようなことなのかなあ。

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2010.10.03

WTC10年

ワールドトレードセンターについて1年生のまえでしゃべった。とはいっても数分しか与えられていなかったので、印象批評的なさわりを話したていどだが。

ぼくは2000年夏、アメリカを観光旅行した。LA、ボストン、フォートワース、シカゴ、ピッツバーグなどをまわって最後はNYであった。

WTCはできたときから話題になっていた。日系の建築家であること、世界で最も高かったこと、なによりも貿易センターという機能、NYのスカイラインに与える圧倒的な存在感、などによって。そして1990年代すでにテロ行為の標的になっていた。貿易が地球規模の強者/弱者の構図を再生産しつづけることへの攻撃なのであった。

2000年夏、NYにいたぼくは、おのぼりさんは高いところに登らねばならないという論理をくみたて、まわりはいくなと反対したのだが(危険な場所だという認識はけっこうあったのだ)、そうした問題を抱えている現場をこの目でみたいという、バックパッカー世代の現場主義というか、建築見学愛好家の性なのであるが、ともかくも登ったのであった。もちろん事件ののち、軽薄な動機について心のなかで懺悔を繰り返したのであったが。

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ファサードの一部と、遠景の都市景観をサイドバイサイドに撮影した。

眺めはともかくよい。エンパイアステートビルもみえる。足下のワールドファイナンシャルビルも見える。シーザ・ペリのアトリウムも。彼はのちに福岡に同様なアトリウムをつくる。シーホークリゾートである。

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もちろん今回発見したことではないのだが、NYはグリッドプランである。同じスケールのブロックが整然とならんでいる。とてもデジタルである。0/1である。均質である。しかしコールハースにいわれるまでもなく、そこに資本が不均質に投入される。投資効果があるエリア、そうでないエリアといた、密度の差が、濃淡ができてくる。資本は流動し、効果的な場所にマッシブに投下される。それが超高層地帯、中層地帯などとなってあらわれる。

WTCそのものは、その合理性と表裏一体の無個性、圧倒的な高さとは矛盾する非モニュメンタリティ、ある種の空疎さ、というものをぼくに印象づけた。政治的文脈はよくわからないので、建築論的にのみ語ると、それは巨大な空疎なのであった。しかし空疎そのものを表象するモニュメントであった。それがテロの標的となったひとつの要因かもしれない。もしテロというものに美学的な動機が介在すしうるとすれば、である。

一年後。2001年9月11日。祝日であった。テレビでその光景をずっとみていた。午後、用事があったので外出した。公共機関では国旗を掲揚していた。外国の事件ではあるが、日本人も多かったし、地元銀行の行員も犠牲者(その時点では行方不明者)であった。それでも旗を降ろさないこの社会の鈍感さに、すこし腹がたったものであった。

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