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2010.09.04

新しい博多駅ビルにちなんで

先日、酒の席でくだらないことをしゃべったら、誰も相手にしなかったのでグズグズ書いてみる。

駅である。

というのは九州新幹線が全面開通まぢかである。駅ビルも遠目にはできている(内装はしらない)。ハンキュウとトウキュウが両雄並び立つというすごいことになっている。

もちろんぼくはてっちゃんでもなく、鉄雄くんでもないので、間違っていたらごめんなさい。

明治のはじめ、はじめて鉄道が建設されたころ、英語の"station"からそのままステーションと呼ばれたり、それから停車場とも呼ばれた。それからすこしたって「駅」という言葉が定着していった。

通説では「駅」は、江戸時代の宿駅制度からきていることになっている。ところがそもそもの起源は、中国で律令制度ができて官道が整備されたことによる。馬で移動するのだが、その馬の休息所、乗り換え所であった。日本でも律令制度ができたころ、この駅制度も導入された、と文献には書いてある。

これもまあ普請、造家、建築というターミノロジーと同じようなのかもしれない。つまり近代化によって西洋文明を導入するとき、単純に洋→和とするのではなく、洋→漢とし、それから漢→和とするのである。これなども専門家がいろいろいっていることである。要は日本における言葉の普遍化手続きのようなものであろう。

それはそうなのだが、建築の興味からすると、駅舎である。建築てっちゃんという造語はないが、しかし駅舎についてはモノグラフもけっこうあるし、建築史のたちばから専門的に研究もされている(もちろん建設主体は別種のまさに専門的な研究をしているわけだが)。

で、そうした研究では、ターミナル駅か通過駅か、ホームと駅舎が平行なのか垂直なのか、いくつかタイポロジーも提案されている。

しかしぼく的にはもっとシンプルに考えて「駅舎らしい駅舎」と「駅舎らしくない駅舎」にわかれるとおもう。過去2世紀の多くの建築事例のなかで自然に定まってきた流れである。

「駅舎らしい駅舎」。これはかなり偏見だが、ヨーロッパや中国ではいまでも駅をひとつのモニュメントとして建設しようという意識が残っているように思える。たとえばユーラリール駅。かなりチープな材を使いながらも駅らしさを表そうとしている。上海駅もそう。古い話ではNYのセントラル駅。東京駅は日本での典型。内藤さんは駅舎らしい駅舎を意識してがんばってつくっている現代の建築家である。

「駅舎らしくない駅舎」。小林一三の発明かどうかぼく自身は確認していないが、日本風ターミナル駅というか駅ビルは日本的といっていいかもしれない。日本の駅舎はほとんどがこの類型にはいるであろう。

今ではどうか知らないが、10年前パリの建築学校に遊びに行って、むこうの設計演習のお手伝いをしたとき、駅と一体となったおおきな商業ビルがあり、そこにデパートやら高級ブティックやレストラン街やらいろいろつまっていて・・・というようなことがむこうの学生たちはどうも理解できない。というか理解しようとしない心理的逆バネが働いているようであった。

べつの視点からいうと「駅舎らしい駅舎」はアーキテクト的、「駅舎らしくない駅舎」はデベロッパー的、といえる。

そろそろ完成する駅ビルがどちらかは、すでにみなさんご存じである。歴史家的には「九州は福岡へ一極集中」という1970年代からの既定路線がいよいよ完成するのであるから、それなりに注視すべきなのかもしれないし、それなりの感慨があるかもしれない。大学コンソーシアム、建築コミュニティの再構築なども、やる気があればできるであろう。そのときぼくたちは、古代駅伝制の馬のように、そこで水分補給し、エサを食らい、ついでに買い物をしたり仕事をしたりするのであろう。

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