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2010.09.08

新建築創刊1000号

図書館にあったのでちらちらながめた。

創刊85周年でもあり、1925年創刊である。

1925年という年は重要である。かつてこのブログで指摘したが、1920年代と30年代こそ近代化の時期といえると思うからである。つまりRCの普及、建築の科学化、都市計画法や市街地建築物法(建築基準法)、それから教育体系の普遍化といった指標で考えると、まさにこの時期である。そして学会の建築雑誌は別にして、「新建築」などの雑誌メディアが登場することも重要な指標である。創刊1000号の歴史的意味のひとつである。

だれも相手にしてくれない議論だが、ようするに明治維新前後の時期は、政治的・国際関係的に意味をもつのであって、世界建築史のなかではとくに画期ではない。だからそれをそのまま日本建築史上の切れ目とすると、世界建築史との折り合いがつかなくなる。(国ごとに事情はちがうからしかたないが)。

だから1860年代以降は西洋化、1920年代以降は近代化とするとすっきりする。つまり西洋化と近代化をわけて考えるのである。

ところが日本の建築史では、1860年代以降のあるものを近代建築(モダンアーキテクチュア)と呼ぶことが定式化しているため、1920年代以降のものをあらためて「モダニズム」建築とすることで、区別しなければならなくなってしまった。

いろいろ事情があることはわかりますが、日本では「モダン」は二階建てである、ということです。二階建てということでダジャレすると、1925年創刊の新建築はその2階への階段かハシゴ、ということになる。

さて「新建築」誌ではオンライン書店を経由して、電子書籍を販売し始めるという。PCでも読めるし、iPadを利用して電車のなかでも読める。

さて紙/電子のパラレル関係はいつまでつづくのであろうか。最初は紙がオリジナルで、電子はそのダブル、といった感じで読者は読むはずである。しかし電子版は、資源や在庫管理や返本などのことがないし、コンテンツもつめこみやすい。だから理念だけではなく、市場原理によって、電子が紙を凌駕し、電子版のほうがオリジナルで、紙版はある特殊な用途向け、などといった逆転現象はあらわれてくるであろう。いつごろ、どのように、について興味がわく。

ところで「書籍」という形式はなくならないだろうし、なくなってはこまると思う。つまり書籍は、編集であり、審査であり、どちらも蓄積されたノウハウがいる。つまり建築家の業績算定装置でもあって、アカデミーもその点ではかなりお世話になっているからである。建築雑誌は情報フローのほかに、情報アーカイブと作品審査機構というふたつの重要な機能をもっているといえるからである。

歴史的には「紙の85年」といういいかたができる。そのあと「電子の200年」なんかがあったら、ちがったふうに見えるかもしれない。

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