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2010.08.12

カーネギー美術館の「建築の間」

ピッツバーグについでである。

2000年夏にアメリカを観光したときによった。カーネギー美術館である。「ザ・カーネギー」と正式にはいうとおもう。展示はなかなか面白くて、アートもあれば、まるで本物のように挙動する恐竜の実物大モデルもあって、すごい迫力であった。

そこには「建築の間」もあった。

カーネギーさんはスコットランド出身で、アメリカに渡り、製鉄会社をおこして鉄鋼王となった。アメリカンドリームである。彼は富を墓場にまでもってゆくのは恥と考え、1901年から慈善事業を始めた。そのなかのひとつが美術館であった。そのなかの「建築の間」なのである。

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アメリカの産業都市ピッツバーグで、110年前に、こんなしゃれた建築ミュージアムができていたのですね。ぼくはアメリカのことなどたいして気にしていなかったから、けっこう驚いた。もちろんこれをみて偉大な建築家になった人を知っているのではないし、建築史の中では傍系に扱われるミュージアムである。でもけっこう、これはすごいことではないか?

つまり伊東忠太が世界旅行をするのが1902年から1905年までである。しかしそれ以前に、建築にはまったく素人なのに世界的視点から見ようとした人物がいたのである。

念のためにウィキペディア英語版でカーネギーさんのことを調べたら、いちおうパリのシャイオ宮にある中世建築コレクションも見ていたうようだし、ブリティッシュ・ミュージアムも見ていたらしい。とくに前者は、最近コレクションを大改編して近代建築もとりいれて、中世から近代までのフランス建築の特質を表現しているという建築帝国主義の権化のようなところであるし、その前身は1870年代ころにヴィオレ=ル=デュクが提案した建築ミュージアム構想とその部分的実現なのであった。

つまり19世紀においてすでに西洋では世界建築の見取り図ができあがりつつあったのであって、新興経済大国アメリカから見学に来たカーネギーさんはその啓蒙的価値を即座に理解して、自分の都市ピッツバーグにそのミニチュア版を実現したのであった。そしてちょうどそのころ、日本ではやっと、世界的枠組みとそのなかでの日本の位置づけを探求しようということが始まるわけである。この探求は、ある意味、猛スピードで達成される。ぼくたちの先輩たちが猛烈に優秀であったのと、それからOSはすでにできあがっていたからなのだ。

ぼくとしては、伊東忠太さんが日本的後進性のなかで奮闘していたことの大変さは理解するが、日本における建築史学の出自として理解するのはどうかな、と思う。別に輸入学問であってもいいのだ。オリジナルなものは、普遍的なOSの上にだって構築できるのだから。

というわけでちょうど10年前の夏、ピッツバーグのカーネギー美術館でこの建築コレクションをみたとき、いろんなことがどーでもよくなって、じつにさわやかな気分になったものであった。

日本建築なるものは想像の共同体のようなものである。それは「日本的なるもの」をコアにした美学的な構築物である。べつにいけなくはない。だって、そう意図して構築したのだから。

だから、前項の続きでいうと、それなりに盛り上がろうとしている日本の地方都市も、「意図して構築」しようと思えばわりと簡単に構築できそうなのである。

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