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2010.07.20

岡嶋裕史『ポスト・モバイル』

2010年7月20日発行の新書である。同じ日にブログ感想文を書くので、ぼくもすこしは時代に追いついたかな。

モバイルはすでに古いらしいし、ケータイもそう。ぼくはケータイはほとんど使いこなしていないが、そのうち電子環境が人間を使ってくれるユートピアが出現するそうで、ややこしいものを操作することからも解放されるらしい。

ITにかぎらずテクノロジーの日進月歩にはほとんど麻痺してしまうし、新鮮なものも3日で陳腐化する。そういう意味でIT本もたいへんだなあ、とも思ってしまう。でもこの書はそれなりに楽しんで読めた。著者がある意味で負のユートピアについてのビジョンも持ち合わせているからであった。

ユビキタス、新世代紙状ディスプレイ、電子書籍、クラウド、デジタルサイネージなどが解説され、その延長線上に、環境がコンピュータそのものとなり、どうじにコンピュータが環境そのものになる状況が素描される。

ぼくがおもしろかったのは、入力/出力についての指摘である。デジタルサイネージなんかは動くポスターのようなイメージでもう2年前からだれかが言っていた。だからぼくのようなIT弱者も知っている。しかし都市や環境のなかに出力装置がたくさんあるというようなイメージでは、まだまだらしい。

著者がいっているのは環境がすべて「入力装置」にもなったら?というようなことである。たとえばスーパーでは常時、顧客をスキャンしていて、店内空間で客がどのように分布し、どのような購買行動をしていて、体温に意欲が反映されていたり、歩行速度までスキャンされていたり、さらには生体情報までキャッチされていて、個人歴まで蓄積されていたら?もちろんそうすれば顧客をマスとしてではなく、個人こじんとしてとらえられるから、スーパーでありながら個人商店のようなきめ細かいサービスができるであろう。いまでもアマゾンからお薦め本についてのDMが届いているのだから、技術的にはごく簡単なことだ。するとスーパーにいくと、店内放送ですぐ××さんいらっしゃいませ、今日は○○をお買い求めではないですか(と心のなかを見透かされる)、どこそこの棚に今日の特価品がありますよ、それからおせっかいかもしれませんが、冷蔵庫のお醤油がそろそろお切れですよね(冷蔵庫もスキャンされている)というアドバイスまでくる。

環境そのものがコンピュータ化される。

するとデバイスを持ち歩く必要はなくなるのである。

コンピュータ万歳である。しかし産業としてこのようなITは儲かるのであろうか。『デフレの正体』によるとIT産業は典型的な薄利多売構造をすでにもっている。とくに日本は。生産性をあげても儲からない。すると課題は、内需をどう増やすかである。オタクは一種の「内需」として貴重なのであろう。

建築論に変換すると、建築における「内需」とはなにか?である。日本人建築家はすでに日本離れをしている。内需を見限ったのである。それはそれでよい。個人としてその対応はしかたない。しかし全体をみまわして、建築内需を増大させるには、やはり格段に創造的な発想が必要なのでであろう。今の若手や中堅の建築家たちにとっての中心課題はそこだし、意識的にしろ無意識的にしろ、彼らはこの重い課題にとりくんでいるのであろう。


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コメント

土井義岳様、 もう1年以上もまえに一度ご連絡差し上げました。ヨーロッパに長く居ついてしまうとあとで困ったことになるよという苦言が、日常に当てはまりつつある近頃です。困ったものです。
それにしても、最近のブログにお書きの事項を煮詰めるまでもなく、先進的なようでダルな日本の雰囲気が色濃く伝わってくるのはどうしたことでしょうか。
教育というものの大切さをつくづく感じます。前評判の悪かった日本のサッカーがずるずると勝ち進み、勝てないのが人材の問題ではないことを示してみせたからです。それはあきらかに、あの本多という選手の破天荒さに起因します。その、個人の「やけくそ」がもたらした勝利が、お国のために勝つことを至上目的とする戦略で踏みにじられました。デンマーク戦のように派手にやって、たとえば3:2で負けたほうが、はるかにお国のためだったのです。こうして話は、必然的に指導者の問題に至ります。いや、監督という個人ではなく、日本のシステムの活性化を妨げる日本的民主主義のコーデックスといったものの存在です。むかしの若者は理想を追って変革を求めました。「真田十勇士」を読んだ戦前の世代、そして「紫電改のたか」や「あしたのジョー」を読んだ戦後の世代。前者から受け継いだものを、後者は21世紀に引き継ごうとしているのでしょうか。それが欠落することが普通になってしまったのでしょうか。でも若者が、理想に奔るという特権を放棄したとしたら?中国には今でも理想を追う運動が存在しているのに。
そして建築。ご指摘のように建築設計業は「なりわい」ですが、「建築をする」という側面も持ち合わせているのです。教育はシステムの問題ですが、高等教育は教師自体の問題でもあるのです。最先端科学の教員が新技術を学ぶことを怠らないのと同じように、人文的な分野においても絶えなきアップデートは必要です。まさにこういう時代だからこそなのです。
思わず長くなって、失礼しました。本当ならメールさせていただく内容なのですが、アドレスの探索がうまくゆかずにこういうこととなりました。そういうことを頭の片隅におきながら、私も土井さんに習ってブログをはじめました。
ご感想などいただければ幸いです。
ちなみに日本のサッカー選手、強くなるにはドイツに出るべきです。いつまでもフランスとかイタリアのブランドのにこだわっていると。時代に後れます。日本の生ぬるさを自覚するためにも。平均年齢25歳に満たないドイツチームがワールドカップで三位になったこと、それは国の覇気と無関係ではありません。
ますますのご活躍を。 2010年7月22日 ウィーンにて

投稿: | 2010.07.22 23:15

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