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2010.07.18

ポストモダンは終わっていた

・・・ことにさっき気がついた。といっても世間のみんなはすでに知っていたし、実際WTC事件ですでに終わっていたのだ。しかしもともとぼくは世間とあまりつきあいがないし、そんな話しもしたことがなかった。だからさっきまで知らなかった。それからなにより、そもそもポストモダンにはまったく興味がなかったのである。興味をいだけないものが終わっていたことに気づくのに時間がかかってしまたって、誰も責められないだろう?

なぜぼくは唐突にこんなことを書くのだろうか?

まず伏線。MAT FUKUOKAである。これは松岡恭子さんというカリスマ的建築家が去年からやっているたいへん志の高い現代建築ツアーの企画である。ロンドンやパリの文化遺産の日や、シカゴの建築見学ツアーなどを手本にしている。ぼくも動員されていて「ポストモダン都市・福岡」というお題で話すこととなった。8月7日あたりです。ぜひ聞きにきてください。

なにしろ福岡はポストモダン都市なのである。なぜそうなのかは、ぼくはこれから考えるのであって、ぼくにもその理由はよくわからない。ただぼくは受けた仕事はすべてこなしたので、当日にはうまく説明してしまうのである。それがぼくというものである。それはともかくこのせいで「ポストモダン」という言葉が脳の片隅にプリントされたのであった。ぼくがそれを語るということそのものが、ポストモダンが終わったことの言い換えなのである。

それにしてもポストモダン・・・・。

書籍やWEBでは思想哲学の専門家がいろいろ指摘しているが、それはそれでいいと思う。おもいっきり単純化していうと、

モダン=自我、ポストモダン=欲望、なのである。

まずモダンが歴史性を否定して、新しい建築をつくったという。いわゆる通史ではそういうことになっている。しかし形態的にあるいは設計(方法論)的に、過去から自由であることなどありえない。たとえばおなじ都市空間を共有しているのであるし。自分はモダンでも隣地には折衷主義がたっているし。そういうことではない。モダンとは意識の問題であったのだ。自分がモダンである、自分の自我は過去から切断されたものである、という意識をもつことが目標であったのだ。だから実際に過去と連続しているか非連続かはそれは結果論である。モダンという意識があればよかったのである。

だからこのパラダイムにおける建築批評は、過去の断罪か、その逆の、現在の断罪か、どちらかでしかない。現代の名において過去を裁くか、過去の名において現代を裁くか。・・・しかしどちらも同じことなのである。両者も同じ問題をかかえている。それは過去から現代までをシームレスに認識できないということである。そこでは普遍や、永遠というものは排除される。

ポストモダンが欲望パラダイムであるということもいまさら説明するまでもない。この「欲望」は果てがない。「自我」とはある意味で自己の輪郭をはっきりさせることであったら、「欲望」は無限の自己増殖である。そういう意味ではマルクスの『資本論』などというものは、モダンではなくすでにポストモダンの構造を説明していたのである。かれがモダンと思われたのは、労働に冨の根拠を置いたからであろう。

このパラダイムにおいては、過去/現代という極端な二元論はなくなるが、微少な差異だけがクローズアップされる。

・・・という整理整頓をしたところで、ポストモダンのあとを考えなければならない。ただそれはいのだが、「モダン」でなく「ポストモダン」、では「ポストモダン」ではなくなに?・・・・という問題ではない。「モダン」も「ポストモダン」も結局なにであったか、そしてそれらではないものは、なにか?を考えればいい。

「モダン」も「ポストモダン」も結局は「私」を問題にした。だから「私」ではないかにか、である。とはいえ人権だの、個人主義だのはひきつづき尊重され、ベースにある。しかしそれにオーバーラップする、それとは違うなにかである。「主体」と「ポスト主体」というこれまた古くなったテーマのことでもない。

建築史をやっているから思うのだが、それはバージョンアップされた「歴史」なのではないか。いまのところ建築史学は幅が広がり精度も増したおかげでかえって輪郭があいまいになっている。その輪郭をふたたびはっきりさせたときに、この新しい建築史は建築の中心になると思うのだが。


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