« ポストモダンは終わっていた | トップページ | 藻谷浩介『デフレの正体』 »

2010.07.19

『踊る小人』

季刊「考える人」で村上春樹のロング・インタビューがあったんで、買って読んだ。とてもおもしろかった。小説は、とくに近代小説は、新聞や月刊誌に連載のことが多い。『1Q84』は書き下ろしなのだが、途中でフィードバックするのはすこしそれに近いかもしれない。

ところでかなり初期の短編『踊る小人』をブックオフでみつけて、これも買って読んでみた。短編『蛍』は『ノルウエイの森』の原型であった。それとおなじように『踊る小人』は、『1Q84』の、原型とまではいかなくとも、ひとつの構成要素であるように思われた。

『踊る小人』は、夢のなかに出てきた小人がとても踊りがうまいので、主人公が女性の心を射止めるために、乗りうつってもらって上手な踊りをして、女性を口説くことに成功した、というような話である。その結果、小人がもっていた罪のようなものまで背負ってしまい、警察から追われる身になった。ようするに悪魔的なものに身を売ってしまうのである。物語の構造として合理的解釈をすると、ひとつの嘘が、まったく違う罪悪を招くという、童話的なものが感じられる。しかし童話は他愛のないものではなく、その理不尽さゆえに、かえってある種の恐怖を植え付ける。さらに小人がはっきりした悪魔ではないので、なおさらそうである。

そしてもうお気づきだろうが、「リトル・ピープル」はこの「踊る小人」なのではないか、ということである。

『1Q84』はまだ完結したストーリーではないし、むしろ完結させないことに意義がある。ただそれでもたくさんの謎が意図的に残されている。

たとえばNHKの集金人。邪悪なものとして登場した牛河がひょっとしたら神聖なものとして再登場するのではないかという予感。そしてこのリトル・ピープル。


『1Q84』においてリトル・ピープルはまだキャラクターを確立していない。まだゼロ記号である。しかしゼロ記号として登場しているのではない、というのがぼくの読みである。基本的にそれらは、読者の影、ひとびとの影、のようなものなのであろう。

ただ個人的なつまらない感想を述べると、『踊る小人』はたとえば『ハーメルンの笛吹男』のような、寓話とわかっていながら、読了後に底のない喪失感を味わせる。短編だからかもしれない。しかし長編になるとどうもそうはいかない。

でもだんだんわかったような気がする。『ねじまき鳥クロニクル』が日常と歴史世界の交信であったように、きっと『1Q84』は日常と寓話的世界の交信なのであろう。だからそれは、21世紀における寓話的物語、という単純なものではない。人類がつくってきた寓話的世界はたしかにあるのであろう。物語は、それとぼくたちがいかに交信するか、のトレーニングをさせてくれるのであろう。

|

« ポストモダンは終わっていた | トップページ | 藻谷浩介『デフレの正体』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/35801917

この記事へのトラックバック一覧です: 『踊る小人』:

« ポストモダンは終わっていた | トップページ | 藻谷浩介『デフレの正体』 »